横井庄一と小野田寛郎。戦争に翻弄された帰還兵。「恥ずかしながら帰って参りました」は流行語にもなりましたね。
2016年4月26日 更新

横井庄一と小野田寛郎。戦争に翻弄された帰還兵。「恥ずかしながら帰って参りました」は流行語にもなりましたね。

戦後、高度経済成長の日本に、海外で日本兵が見つかるとの衝撃的なニュースが飛び込みました。横井庄一と小野田寛郎。彼らの壮絶な人生をまとめてみました。

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戦後の高度経済成長期を経て、世界有数の経済大国に成長した日本。
戦前とはまるで様変わりした1970年代初頭、海外で生き残っていた日本兵が見つかったとゆうニュースが日本中を騒然とさせました。

1972年に帰国した横井庄一軍曹と1974年に帰国した小野田寛郎少尉。
1980年代以降も「経験」を生かし、ご活躍されましたね。

戦争に翻弄されたお二人の壮絶な人生を追います。

元日本兵・横井庄一さんの第一声

「恥ずかしながら生きながらえて帰って参りました」

1972年、28年ぶりに祖国の土を踏んだ元日本兵・横井庄一さんが発した第一声は、あまりにも有名である。
太平洋戦争の記憶が薄らぎつつあった時代に、日本社会に衝撃を与えた奇跡の生還劇。
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グアムで発見された横井庄一さん
冒頭の「恥ずかしながら帰って参りました」は1972年の流行語にもなりました。
また、NHKの横井さんの報道特別番組「横井庄一さん帰る」は高視聴率を獲得する等、一躍時の人となりました。
番組では、帰国後に両親の墓参りをした際に「親孝行できなくてすみませんでした」と、墓石を抱きかかえて涙ながらに詫びる様子が映し出されました。

グアム島で戦死したと通知を受けた横井さんの母でしたが、息子の生還をずっと信じていたようです。しかし、その願いは叶いませんでした。

横井庄一とは?

昭和時代の軍人。
大正4年3月31日生まれ。昭和16年召集され,19年グアム島にわたる。
47年現地の人に発見されるまでの28年間,ジャングルに潜伏して生活。
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発見当時の横井庄一さん

「よっこいしょういち」は口癖になった

横井庄一と掛け声である「よっこいしょ」をかけたギャグであり、かつて日本全国で流行的に使われた。
現在は死語となっているが、椅子に腰掛ける際など思わずこの掛け声を発してしまう人もいまだにいるようである。

横井さんの実直な人柄が分かる映像

【1972年2月2日】 横井庄一さん帰還 - YouTube

帰国当時の横井さんの特集番組

来歴

1941年(昭和16年)には再召集され、満州を経て1944年(昭和19年)からはグアム島の歩兵第38連隊に陸軍伍長として配属。

同年7月にはアメリカ軍が上陸し(グアムの戦い)、8月に同島で戦死したとされ戦死公報が届けられた。

1965年(昭和40年)10月30日の第19回戦没者叙勲では、戦没者として、戦前受けていた勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載されている。
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若かりし日の横井庄一軍曹
当時、グアム守備隊壊滅後も生き残った一部の将兵は山中に撤退しゲリラ戦を行っていたが、1945年(昭和20年)のポツダム宣言受諾によって日本軍の無条件降伏が発令されたことは知らされなかった。

横井らはジャングルや竹藪に自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年(昭和47年)1月24日、エビやウナギをとるためにウケをしかけに行ったところ、現地の行方不明者を捜す村人たちに遭遇、同年2月2日に満57歳で日本に帰還した(なお、撤退当初から横井には2人の戦友が居たが、発見の約8年前に死亡している)。

ジャングルでの過酷なサバイバル生活

横井庄一さんたちは穴を掘って地下で生き延びる方法を選びました。

そして穴掘りと並行してランプを作る研究を行いました。ココナッツミルクを火にかけアクを取り、アクを再び火にかけると油と水が分離。
この油にヤシの繊維を編んで浸して燃やしランプとしました。
この油を手にいれたことで食生活も変わりました。ソテツの実を砕いた粉に食材をつけて油であげ天ぷらに。

完成した穴の出入り口は竹で作ったスノコや葉っぱで隠しました。
木の梯子を1.5mほど降りると居住スペースに。
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グアムのGun Beach(ガン・ビーチ)にある大砲。
旧日本軍が設置したものです。
横井さんと他の2人(ジャングルで亡くなります。)は意見が衝突し、その後離れて暮らすことになりました。

台風に襲われた際は、実が流され食糧が無くなってしまい、次の実がなるまで野草を摂取しました。
また、自力で島を脱出しようと考え、海岸線を偵察する為に山に登りますが、そこにはかつての面影もない位に立派な道路が整備されていました。敵の眼をごまかして海へ出る事は無理だと悟ったそうです。

そして、1972年1月24日、食糧の獲物を捕獲する為に罠を仕掛けようとしたところを、現地の住民に発見されました。
実は発見者である現地住民は、親族を日本兵に殺された事から日本兵を非常に恨んでいて、横井さんに殺意を抱きますが、なんとか抑えたという話もありました。

帰国後の生活

帰国後、生まれ故郷である愛知県で過ごした横井さん。
約30年前までの日本しか知らない彼が、はたして暮らしていけるのだろうかと危惧されました。
しかし、驚く事に見事に順応します。
ジャングルで貨幣との関わりが無かった事が、当時の貨幣価値をすんなりと受け入れられた要因になったそうです。
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マスコミは一斉に横井さんを追い回しました。
また、横井さんの自宅に観光バスが止まる事もあったそうです。

帰国した年にお見合い結婚 「出会いのエピソード」

美保子さんに会った途端「わしの顔を見に来たんだろう」と言いました。

当時の横井さんはマスコミや一般人の人達から追いかけ回され、好奇の目で見られ続けていたため。人間不信に陥っていました。

しかし、美保子さんはそんな横井さんのニュースには一切無関心だったため、横井さんを好奇の目で見ることもなく、庭に誘いだし、「そんなに焦っても、いい人には巡り会えないよ。あなたは帰ってから1年も経っていない。ゆっくり探さないと。」とお説教をしました。

するとそれを聞いた横井さんは「怒ってくれる人が好きだよ」と答え、その日のうちにプロポーズをしました。
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嬉しそうに結婚を報告する横井夫妻

1997年に82歳で横井庄一さんが亡くなった後、奥様の美保子さんは自宅を改装して「横井庄一記念館」を開館しました。

サバイバル術を生かして活躍

自身のグアムでのサバイバルについて耐乏生活評論家、あるいは生活評論家として全国各地で講演。

当時の石油ショックに伴い、節約生活について自らの経験を語ったり、「日本沈没」等のブームに関連して災害時のサバイバルについて雑誌等でインタビューを受けた。
1984年に出版した「横井庄一のサバイバル極意書 もっと困れ!」での一言に、ジャングルを生き抜いた横井さんならではの説得力がありました。以下、著作からの引用です。

「このごろの人は、困り方が足りないんだと思う。だからくだらないことで甘えるんだよ。子供だってそうだ。・・心底困り果てた時は決まって神や仏が助けてくれるものだと思う。本当に困らないと助けてくれない。・・本当に困り果てた人間には神や仏が知恵を浮かばせてくれるんだと思うよ。」
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横井 庄一(著)「横井庄一のサバイバル極意書 もっと困れ!」

出版社: 小学館
発売:1984年1月

小野田寛郎少尉を象徴する「敬礼」

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有名な敬礼シーン
1974年、ルバング島で、発見され、日本、そして世界の情勢を知らされたものの、それでも任務遂行のため、投降をこばみ、当時の上官である谷口元少佐がじきじき島まで出向き、その上位下達を持ってようやく、任務解除、地元フィリピン軍に降伏を行ったのである。

この敬礼している写真は、その時のものであり、YouTubeなどで、今でも映像をみられるが、凛とした姿、気然とした態度は、過酷な年月を感じさせず、帝国軍人の凄さ、それどころか、かつての日本の侍の荘厳さすら想像させる、圧倒的存在感がある。

小野田寛郎とは?

日本の軍人。大日本帝国陸軍の情報将校で、終戦を報されずフィリピンに29年間ものあいだ潜伏。ようやく発見され帰国後は実業家となり、健全な日本人の育成に努めた。渾名は『最後の日本兵』。
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フィリピンの山中に潜伏し、独りで戦闘を続けていました。

ラスト・サムライと称された小野田少尉

The last true SAMURAI - Japanese Spirit - YouTube

小野田さんがフィリピンから帰国するまでのヒストリーです。
軍人らしい物堅さをまとった方です。

来歴

1942年 招集礼状で徴兵されるが、自動車運転や語学などの能力を見込まれ、予備仕官学校、中野学校へと進学する。

1944年12月 フィリピン戦の直前、長期抗戦目的のゲリラ戦指揮のため、フィリピンルパング島に着任。

1945年1月 ルパング島に米軍上陸、日本軍守備隊200名中160名が戦死、小野田少尉は3人一組のグループに分けさせ、ゲリラ戦を命令。

1945年10月 米軍の投降勧告で、小野田少尉のグループ以外の日本兵は投降。小野田グループの3人のみが残る。

この後長期に島に残る。フィリピン人の牛を盗む、フィリピン軍を殺害などして抵抗を続ける。またグループ中の1名が死亡。

1960年頃 残留日本兵発見の報告で、日本政府による呼びかけ実際されるが、発見されず死亡とされる。日本側は、戦争が終わった事を知らせている。

1972年10月 小野田少尉とフィリピン軍の銃撃戦で小野田少尉部下の小塚金七一等兵が死亡し、発見される。このため日本政府厚生省による再度捜索が実施される。後年小野田氏は小塚氏と意見が異なり衝突があった事を述べている。
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