”永遠の妖精”として今でも話題に上るオードリー・ヘプバーンのよもやま話
2018年7月20日 更新

”永遠の妖精”として今でも話題に上るオードリー・ヘプバーンのよもやま話

1993年直腸ガンのため、63歳という若さでこの世を去った米国の女優オードリー・ヘップバーン。既に4半世紀が過ぎているのにも拘わらず、今もなおCMなどに彼女の映像が使われている。このように、彼女は“永遠の妖精”と言われ、いつまでもその清純な美しさで我々を魅了し続けている、私の大好きな女優の一人である。

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CM オードリー ヘップバーン 午後の紅茶 花屋篇 one of Japanese commercial

このCMは約10年ぐらい前のテレビCMだが、オードリー・ヘップバーンの若い頃の画像とCGを合成したものだと思われ、まるでオードリーが生きているような錯覚を起こしてしまう。

オードリー・ヘップバーンを知らない人のために!!

『ローマの休日』(1953年)予告編より

『ローマの休日』(1953年)予告編より


オードリー・ヘプバーン(英: Audrey Hepburn)は、イギリス国籍を有し、米国で活躍した女優である。ハリウッド黄金時代に活躍した女優で、映画界ならびにファッション界のアイコンとして知られる。

本名   オードリー・キャスリーン・ラストン
    (英: Audrey Kathleen Ruston)
別名義  エッダ・ファン・ヘームストラ
生年月日 1929年5月4日
没年月日 1993年1月20日(63歳没)
出生地  ベルギー、ブリュッセル・イクセル
死没地  スイス、ヴォー州
国籍    イギリス
身長    170cm
ジャンル 映画
活動期間 1948年 - 1989年
The Audrey Hepburn Treasure...

The Audrey Hepburn Treasures (英語)より

オードリーは、オーストリア・ハンガリー帝国ボヘミア出身の父と、オランダ貴族出身の母の間に、1929年5月4日にベルギーの首都ブリュッセルの19の基礎自治体の一つ、イクセルで生まれた。幼かった頃にはベルギーやイングランド、そしてオランダのアーネムに在住していた。
オードリーはベルギーで生まれたが、父の関係でイギリス、そして母の実家がオランダだった事から必然的に、ベルギー・イギリス・オランダの3カ国を頻繁に行き来するようになる。そのため、オードリーは英語・オランダ語・フランス語・スペイン語・イタリア語を話すことができたようだ。(語学が堪能で、うらやましい限りだ!!)
当時オランダは表面上は中立国と宣言をしていたが、内実、ナチス・ドイツに占領されていたため、オードリーという名があまりにもイギリス風なのを心配した母エラが、「エッダ・ファン・へームストラ」と名乗らせていた時もあった。実は母エラはドイツに対するレジスタンス活動を助けていたのだ。ただ、父親の方はファシズムに傾倒して、失踪するなど、波瀾万丈な人生の予兆がみられた。
オードリー・ヘップバーンのレッスン中の写真

オードリー・ヘップバーンのレッスン中の写真

5歳の頃よりクラッシック・バレエを習い初め、物心つくころにはバレエに魅了され、バレリーナになることを夢見て、懸命にレッスンを受ける日々だったという。
1948年にはイギリスバレエの基礎をつけたといわれているロシア出身のマリー・ランバートという女性にバレエを習うため、単身ロンドンに渡りマリー・ランバート・バレエ学校に入学。プロとして舞台デビューを果たす実力を身に付けるようになった。

そしてイギリスのウエスト・エンドの舞台に立つようになった。

プリマドンナの夢よりも、食べるために舞台・映画の道へ!!

オードリーはイギリスで舞台に立っていた頃、数本の映画にも出演している。理由の一つに成長期に患った呼吸器疾患が原因なのだろうか、舞台上では通りにくい声だと自覚をしていたオードリーは、映画の脇役の仕事も増やしていきました。
それからもう一つの理由として、大好きなバレエのプリマドンナとして家計を支えるには、ほんの少し背が高かったのだ。戦争が終わりはしたが、景気はどん底状態で女が一人で生きて行くためには”手段”を選ぶことはできなかったのだ。要は”食べるためには手段を選ばず”だったに違いない。

1951年にはオードリーが映画の撮影中、たまたまコレット女史(フランスの女性作家、コレット (Colette) というペンネームで活動し、代表作のひとつに『ジジ』 (1944年)がある)と出会い、米国のブロードウェイで舞台化される予定だった戯曲『ジジ』の主役に抜擢されたのだった。
ローマの休日 日本語字幕版 オードリー・ヘプバーン グ...

ローマの休日 日本語字幕版 オードリー・ヘプバーン グレゴリー・ペック FRT-096 [DVD]

その『ジジ』 の舞台を見た米国映画監督であるウィリアム・ワイラーにより1953年の「ローマの休日」にて主役の座を獲得した。

監督 ウィリアム・ワイラー
脚本 ダルトン・トランボ
   ジョン・ダイトン
原案 ダルトン・トランボ
製作 ウィリアム・ワイラー
出演者 グレゴリー・ペック
    オードリー・ヘプバーン

ローマを舞台に某小国の王女と新聞記者とのロマンチックで切ない恋の夢物語・・・と書くのもおこがましいほど、あまりにも有名な“世紀の妖精”オードリーのアメリカ映画デビュー作。ローマの観光地巡り的な平凡な作品に成りかねない内容をここまで素晴らしい作品に仕上げたワイラー監督の演出力には文句のつけようもない。
ローマ市内をベスパで走るシーン

ローマ市内をベスパで走るシーン

ヘプバーンの可愛さだけが印象に残る作品と記憶していたが、清楚な可愛さ(幅の広めのウエストベルトのフレアースカート姿がとてもチャーミングなのだが、いったいこの時のウエストサイズはどのくらいだったのか?? 笑) だけではなく、彼女の演技力もなかなかなものと再認識した。それに脚本も細かいところまで神経が行き届いているし、やはり名作といわれる所以だろう。

Roman Holiday(ローマの休日)-Audrey Hepburn

ひたすら乙女チックな映画なのかと思いきや、ラストは「平日」モードに戻らなければいけないお二人の痛切な思いが感じられ、かつ、一切余計な感傷を「あおらない」立派な別れのシーンで、決して振り返ったりしないグレゴリー・ペックとオードリー・ヘップバーンが非常にカッコいいと思った。
ちなみに、当時米国では新人だったオードリー・ヘプバーンは、本作により1953年のアカデミー賞最優秀主演女優賞、英国アカデミー最優秀主演英国女優賞、ゴールデングローブ主演女優賞を受賞している。人気はまさに”うなぎ”登りであった。

オードリー人気は”うなぎ”登り!!

麗しのサブリナ [Blu-ray]

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『麗しのサブリナ』(うるわしのサブリナ、原題: Sabrina)は、1954年に公開された米国のロマンティック・コメディ。サミュエル・テイラーの戯曲『サブリナ・フェア』をビリー・ワイルダー監督が映画化した。『ローマの休日』に続くオードリー・ヘプバーンのヒット作。

監督 ビリー・ワイルダー
脚本 ビリー・ワイルダー
   サミュエル・テイラー
   アーネスト・レーマン
原作 サミュエル・テイラー
製作 ビリー・ワイルダー
出演者 ハンフリー・ボガート
    ウィリアム・ホールデン
    オードリー・ヘプバーン

サブリナ・パンツという言葉を生んだスポーティなオードリーのスタイルが、前作「ローマの休日」とはまた違って魅力的な作品だ。
ウィリアム・ホールデンとオードリー・ヘプバーン

ウィリアム・ホールデンとオードリー・ヘプバーン

この映画は女性が永遠の理想とする”玉の輿”のストーリーであり、それは少女マンガにも相通じるというもの。大富豪ララビー家のお抱え運転手の娘サブリナは、一家の次男デヴィッド(W・ホールデン)に失恋し、二年をパリの花嫁学校で送る。しかし、帰ってきた時には見違えるようなシックな令嬢となっており、デヴィッドをドギマギさせる。彼女に夢中な弟を心配した長男のライナス(H・ボガート)は仕事一筋のマジメ男だが、彼までサブリナの虜となっていく・・・というお話である。

オードリー・ヘプバーン - 麗しのサブリナ / Audrey Hepburn - Sabrina 1954

確かに、色んな意味で無理な話が多い。あのアホ丸出しのウィリアム・ホールデンなんかに惚れる女がいるんかい~?とか、最初からキレイだったオードリーの扱いが、パリ帰りで変わるのはオカシイのでは?とか。むしろ、最初のイケてない時のオードリーの方が魅力的だったと思ったり?!。それと、ボガートの年齢や老け具合が若い女とのロマンスには無理があると思うのだが・・・??(ただ、ボガートの演技には感服!!)
ちなみに、オードリー・ヘップバーンはこの作品で1954年度のアカデミー主演女優賞にノミネートされている。

オードリー人気は揺るぎないものに!!

戦争と平和 [DVD]

戦争と平和 [DVD]

『戦争と平和』(せんそうとへいわ、原題:War and Peace)は、レフ・トルストイの小説「戦争と平和」の映画化で1956年に製作・公開されたイタリアと米国の合作映画。

監督 キング・ヴィダー
脚本 ブリジェット・ボーランド
   ロバート・ウェスタビーなど
原作 レフ・トルストイ
製作 ディノ・デ・ラウレンティス
製作総指揮 カルロ・ポンティ
主な出演者 オードリー・ヘプバーン
      ヘンリー・フォンダ
      メル・ファーラー

19世紀の帝政ロシアの末期、ロシアを巻き込んだ戦争を背景に、貴族の私生児ピエール(H・フォンダ)と伯爵令嬢ナターシャ(A・ヘプバーン)の恋愛劇を描く。
『戦争と平和』の一場面。1956年。

『戦争と平和』の一場面。1956年。

19世紀、帝政ロシア末期のモスクワ。フランス軍の侵攻がささやかれる中、貴族の私生児ピエールはロストフ伯爵の令嬢ナターシャに想いを寄せていた。そんなある日、親友アンドレイ公爵から知らせを受け、危篤の父を看取るピエール。やがて彼は、亡くなった父の莫大な財産を相続し、それを目当てに接近してきた貴族令嬢ヘレーネと結婚することに。一方、アンドレイは妊娠した妻を残して戦地へ赴くも敗戦の憂き目に遭い、負傷帰還兵となってしまう。そんな彼は、いつしかナターシャと愛し合うようになるのだが・・・。

戦争と平和 - Trailer

ホントに話が駆け足で進んで行った感じだ。三時間半の長時間映画ですが、やはりトルストイ原作の「戦争と平和」総てを描ききることは出来なかったようだ。
それにしてもオードリーは可愛さに溢れている!!。舞踏会のシーンなど特におすすめだろう。オードリーのシーンだけ編集して90分ぐらいで売り出せば売れるかもしれない!!。勿論、私は買います!!(笑)。言うまでもないが、この作品でも英国アカデミー賞とゴールデングローブ賞にノミネートされている。
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