”永遠の妖精”として今でも話題に上るオードリー・ヘプバーンのよもやま話
2018年7月20日 更新

”永遠の妖精”として今でも話題に上るオードリー・ヘプバーンのよもやま話

1993年直腸ガンのため、63歳という若さでこの世を去った米国の女優オードリー・ヘップバーン。既に4半世紀が過ぎているのにも拘わらず、今もなおCMなどに彼女の映像が使われている。このように、彼女は“永遠の妖精”と言われ、いつまでもその清純な美しさで我々を魅了し続けている、私の大好きな女優の一人である。

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10年以上もハリウッド・トップ女優として君臨し続けたオードリー!!

オードリーが出演した映画は、コメディー、サスペンス、ミュージカル、文学作品、等等、ジャンルを問わず殆どの娯楽作品に出演していて、彼女はまさに”オールラウンド・プレーヤー”だろう。(SFには出ていないような・・・??)このような女優の作品をいちいち説明してたら、らちが空かないので、少々割愛することにするが、最後に私が愛して止まない映画『マイ・フェア・レディ』を皆さんに紹介しよう。
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『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady)は、1964年制作の米国のミュージカル映画。同名ミュージカルの映画化。同年のアカデミー作品賞を受賞した。

監督 ジョージ・キューカー
脚本 アラン・ジェイ・ラーナー
原作 ジョージ・バーナード・ショー
製作 ジャック・L・ワーナー
出演者 オードリー・ヘプバーン

ロンドンの下町。花を売り歩いていた女性イライザは、通りすがりの言語学教授ヒギンズに言葉の訛りを指摘され、彼の提案で訛りの矯正と淑女になるための礼儀作法を教わることに。そして、ヒギンズの家に住み込みながら厳しい指導を受けるイライザ。
彼女はやがて、上流階級の貴婦人として競馬場へ赴き、社交界に華々しくデビューする。ところが、淑女らしさにますます磨きをかけていたある日、ヒギンズの研究対象にされていたことを知り、ショックを受けたイライザは彼のもとを去ってしまうのだが・・・
『マイ・フェア・レディ』(1964年)の撮影現場。

『マイ・フェア・レディ』(1964年)の撮影現場。

ミュージカル舞台『マイ・フェア・レディ』が1956年にブロードウェイで公開されてロングランヒットとなっていたが、その映画化権を550万ドルで買い取り制作されたものである。投資した額を回収するため必ず当たる主役をということで舞台版のイライザ役であるジュリー・アンドリュースではなくオードリー・ヘプバーンを抜擢。実に興味深いこととして、映画ではオードリー・ヘプバーンの歌は、一部の歌い出し部分を除いて マーニ・ニクソンによる吹き替えで、オードリー本人は口パクをして演技をしていた。しかし、吹きかえられたため、完全にはリップシンクしていない。ただ、1994年にLDのスペシャルコレクション(日本では1996年3月)が発売された時に、本人によってレコーディングされた音源も収録され話題となった。

My Fair Lady - Audrey Hepburn - I Could Have Danced All Night  踊り明かそう

オードリーヘプバーンは、この年35歳、それでも美しい。歌は、吹き替えだが、演技は素晴らしい。登場した時のボロボロ花売り娘の状態でもレックス・ハリソンの言う"ドブネズミ"とはとても言えない。この映画を見ていると、一生懸命ミュージカルを演じているオードリに私は、なぜか涙してしまうのだ。英国人俳優のハリソンは60歳近かったが、口の悪い学者役を好演している。スタンダード・ナンバーが散りばめられた見ていても飽きない一本だ。
ジュリー・アンドリュース主演のブロードウェイの映画化だが、映画ではオードリーだった。ジュリーなら当然自分で歌っていただろうが、オードリーはマーニ・ニクソン(「王様と私」のデボラカー、「ウェストサイド物語」のナタリーウッド等の吹き替えも行った)により吹き替えられた。しかし、本人がテストで歌った貴重な映像が残っている。この年のアカデミー主演女優賞は"メリー・ポピンズ"のジュリー・アンドリュースが取り、本作で役を取り上げられた同情票も影響しているのと、吹き替えではなく本人が歌っていたことが大きく作用したと言われている。
映画『マイ・フェア・レディー』がアカデミー賞の主要部門を総なめする中、ライバル候補のジュリー・アンドリュースに主演女優賞を奪われる形でオスカーを逃してしまったオードリーの悔しさは相当なものであったらしく、授賞式後に周囲に激しく八つ当たりする映像が残っているという。

「女優は主演男優に好意を抱くもの!!」なのか??

この記事の冒頭部分でちょっとオードリーの幼少期については話したが、要するに金銭的には不自由はなかったようだが、家庭的には父親の失踪や厳格な母親の下での束縛教育、また戦争による疲弊で、内心ではかなり暖かい家庭のある生活を望んでいたに違いない。求めても得られなかったおだやかで安定した愛情と家庭。結婚願望も強かったオードリーは年上で頼れる相手と何度も恋に落ちている。オードリーは1952年に舞台で知り合ったジェイムズ・ハンソン (en:James Hanson, Baron Hanson) に一目惚れし、婚約までいった。しかし2人の仕事があまりにもすれ違ってしまうため、オードリーの判断で破局に至った。他にもミュージカルのプロデューサーのマイケルや、ローマの休日で共演したグレゴリー・ペック、既婚者だったハンフリー・ボガートなどと噂になったが、いずれも結婚に至ってはいない。オードリーの女優業は年齢と共に減っていき、後半生のほとんどを国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げた。
『戦争と平和』撮影中のヘプバーンとメル・ファーラー。1...

『戦争と平和』撮影中のヘプバーンとメル・ファーラー。1955年

その後グレゴリーのパーティで知り合ったアメリカの俳優メル・ファーラーと後に『戦争と平和』で共演し、1945年に2人は結婚するが、1968年に離婚している。
ヘプバーンとアンドレア・ドッティ

ヘプバーンとアンドレア・ドッティ

その後オードリーは船旅で知り合ったイタリアの精神科医アンドレア・マリオ・ドッティと1969年に結婚したが、この時オードリーは40歳、アンドレアは30歳だった。
「多かれ少なかれ女優は主演男優に好意を抱くものですし、その逆の場合もあるでしょう。演じられているキャラクターを好きになった経験がある人には理解できると思います。珍しいことではありません。ただ、撮影が終わるとそのような感情はなくなってしまうものです」とはオードリーが1954年の雑誌インタビューで語ったとされる。この言葉が女優という職業の特性を最も端的に表していると思う。日本場合も然りで、共演した男優・女優がそのままゴールインしているケースが実に多いことが分かる。

少女時代に体験した家庭崩壊と戦争が、後年のユニセフ活動の原点

第二次世界大戦での悲惨な戦争体験をしていたこともあり、オードリー・ヘプバーンは積極的にチャリティ活動を行う意志が固い人物だった。オードリー自身も第二次世界大戦後、ユニセフの支援を受けたことが親善大使になったきっかけの1つだとも言われている。子供たちのためのユニセフの支援を1954年に開始したオードリーは自らの目で発展途上国の現状を知るために様々な国へ足を運ぶようになる。そこで目の当たりにした劣悪な環境や悲惨な状況に大変ショックを受けたそうだ。
晩年様々な健康問題を抱え、段々と表舞台に出る機会が少なくなっていったオードリーだが、1988年には、オードリーはユニセフの親善大使に任命されることになり、亡くなる1993年までその任が解かれることはなかった。

ユニセフ親善大使オードリー・ヘップバーン 「子どもって、本当に素晴らしい存在」 /日本ユニセフ協会

オードリーは、1989年にユニセフ親善大使に就任し、亡くなるまでの4年間、当時最悪の食料危機に陥っていたエチオピアやソマリアをはじめ、世界十数カ国をめぐり、子どもたちの声なき声を代弁し続けた。

オードリー・ヘップバーン 子どもより大切な存在ってあるかしら?/日本ユニセフ協会

ソマリアから帰国すると、その支援を訴えるべくヨーロッパを廻り、救済キャンペーンに参加していた最中の1992年11月、あまりの激痛と体調不良に病院へ足を運ぶと緊急入院、すぐに開腹手術が行われるも、手が付けれない状態で手術はできなかった。末期の結腸ガンでした。死がそこまで近づいていると悟った彼女はスイスに戻りたいと願い、パートナーのウォルターズと長男ショーン、次男ルカに見守れながら、1993年1月20日、志半ばにして永遠の眠りにつきました。合掌!!
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