加藤香子のプロフィール
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本名 :加藤香子(かとう きょうこ)
生年月日 :1964年12月11日
出身地 :東京都大田区
血液型 :B型
スリーサイズ:33、23、35
職業 :アイドル、歌手、
活動期間 :1984年〜1986年
事務所 :ワン・ステップ・ミュージック
生年月日 :1964年12月11日
出身地 :東京都大田区
血液型 :B型
スリーサイズ:33、23、35
職業 :アイドル、歌手、
活動期間 :1984年〜1986年
事務所 :ワン・ステップ・ミュージック
ソフトプログラマーからアイドル歌手へ
デビュー前の加藤香子さんは芸能界への関心が薄く、高校卒業後は就職先のコンピューター関連企業で、ソフトプログラマーとして活躍していました。ソフトプログラマーといえば数学や物理といった理系の知識も必要なので、頭脳明晰な女性だったのでしょう。
当初はOL生活を続けるつもりだったものの、友人が応募した83年の『ミスマガジン』で優勝し、芸能界入りすることになります。ミスマガジンには4,350名もの応募があったそうです。オーディション合格を機に会社を退職した加藤香子さんは、翌84年にシングル『偽名』でアイドル歌手デビュー。83年には『DELUXEマガジン』の表紙グラビアを務めました。
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童顔でスタイル抜群のビジュアルで多くを魅了し、注目を集めていましたね。程よく日焼けした小麦色の肌も魅力的です。
中森明菜のセカンドホープとしてデビュー
加藤香子さんが『偽名』でデビューした当時、彼女は昭和の歌姫・"中森明菜風"のアイドルとして売り出されていました。中森明菜さんは同じレコード会社の先輩で、加藤香子さんには彼女に似た雰囲気があったようです。
ただ中森明菜さんはツッパリ路線、加藤香子さんのルックス・声とはミスマッチしているようにも思えました。加藤香子という一人のアイドル歌手として見ると、童顔で可愛いくて妖艶な雰囲気まで漂っています。"加藤香子らしさ"を出して独自路線でいけば、もっと人気が出た可能性があるのではないでしょうか?
注目の存在だったが売れなかった
1984 加藤香子さん 偽名 JAPAN
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「大胆したい」のキャッチフレーズで売り出したデビュー曲『偽名』。リゾートでのある夏の思い出が描かれたシングルで、冒頭から大胆加減がエスカレートしていくような歌詞でした。最終的に『偽名』はオリコン最高88位入りし、1.0万枚を売り上げることになります。そして84年10月25日にリリースされたのが、2rdシングル『勝手にさせて』です。
加藤香子(Kyoko Kato) - 勝手にさせて ① 1984
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明るく爽やかな美女な雰囲気が前面に出ていますね。これも本来の"加藤香子らしさ"と言えそうです。さて『勝手にさせて』の翌85年1月25日には、『本牧レイニー・ブルース』というシングルがリリースされました。