1980年代になると、映像・採点といった現在に続くカラオケの娯楽要素が実装され、ビデオカセットやCD、LDといったソフトの進化を伴ってカラオケが普及。
とくにLD(CD)チェンジャーが登場したことで選曲の際に店員が必要なくなり、カラオケボックスの可能性に道が開けることとなりました。
とくにLD(CD)チェンジャーが登場したことで選曲の際に店員が必要なくなり、カラオケボックスの可能性に道が開けることとなりました。
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【レーザーディスク】VHSとDVDの狭間で一瞬だけ輝いたといってもよいLD、その歴史をご紹介。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
レーザーディスク、ご存知ですか。「大きなCD」にも見えるこのLDもまた、時代の1ページとして埋もれてしまったのです。今となってはVHSとDVDの狭間で少しだけ輝いた程度の認識ですが、当時羨望の機器だったことは間違いありません。そんなLDについて書き記します。
「カラオケボックス」の登場
当時、国鉄が民営化(国鉄分割民営化:1987年)を目指す中で貨物輸送手法の改革を行うなど、海上輸送・荷役に関わるコンテナの形状の国際共通化などの流通の変革があった時期で、中古貨車の車体(倉庫に用いる様に上周りを解体せず有姿で流通していた)や規格外形状のコンテナなどが市場に多く流通していた。第一号店はこのような貨物用のコンテナボックスを改造したものを設置したものであった。
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やがてボウリング場などに「カラオケボックス」が併設されるようになりました。
放課後のボウリング場へ遊びに行って「カラオケやろうぜ!」なんてノリだったのもこの頃ですね。
下図は東南アジアでのカラオケボックスですが、80年代当時のボウリング場に併設されたカラオケボックスはこのイメージに近かったと思います。
放課後のボウリング場へ遊びに行って「カラオケやろうぜ!」なんてノリだったのもこの頃ですね。
下図は東南アジアでのカラオケボックスですが、80年代当時のボウリング場に併設されたカラオケボックスはこのイメージに近かったと思います。
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90年代以降になると通信カラオケの台頭、そして現代に続くルームタイプのカラオケボックスが次々に誕生、カラオケは国民的娯楽の一つにまで成長していくこととなります。
コチラにカラオケの歴史について詳細な年表がございます
みんな大好きだった【ブラックライト】様々な場所で見たエロい光 - Middle Edge(ミドルエッジ)
90年代、光ものと言えばブラックライト!車のドレスアップ、クラブやディスコ、カラオケ、ボーリング場、そしてラブホテルと何かとエロい雰囲気を出す光を振り返ってみましょう。