”銀幕の女王”と呼ばれたエリザベス・テイラーのよもやま話
2018年7月24日 更新

”銀幕の女王”と呼ばれたエリザベス・テイラーのよもやま話

1940年代後半から50・60年代はハリウッド映画の黄金期でもあり、この時代の銀幕を飾った映画女優達は、星の数ほどあれど、何人かのレジェンド達が君臨していた。クールビューティからモナコ公妃になったグレース・ケリー、実生活も権力スキャンダルの衝撃があったセックスシンボルのマリリン・モンロー、美人ではあるが個性的な顔立ちでファニーフェイスと呼ばれたオードリー・ヘップバーン、ヨーロッパでも活躍が著しく、一時は女優生命を擲ってまで愛を求めたイングリッド・バーグマン、線の細さがどこか親しみや共感を呼びやすい美意識の象徴となったエリザベス・テイラー等等、他人には真似のできない魅力溢れる才能の持ち主達が群雄割拠していた。

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エリザベス・テイラーを知らない人のための基礎知識!!

若かりし頃のエリザベス

若かりし頃のエリザベス

エリザベス・テイラー(Dame Elizabeth Rosemond Taylor, DBE、1932年2月27日 - 2011年3月23日)は、イギリス出身の女優。少女時代から米国映画配給会社MGMで子役として映画出演しており、成人後には「ハリウッド黄金時代」(en:Hollywood's Golden Age) を代表する大女優の一人となった。世界的にもっとも有名な女優の一人であり、優れた演技力、美貌、豪奢な私生活は今でも度々話題に上がる程だ。

本名 Elizabeth Rosemond Taylor
生年月日 1932年2月27日
没年月日 2011年3月23日(79歳没)
出生地 イギリス、ロンドン
死没地 米国、ロサンゼルス
国籍 米国、イギリス(二重国籍)
職業 女優
ジャンル 映画、テレビドラマ
活動期間 1942年 - 2003年

エリザベスの”まつげ”と”瞳の色”は天が彼女に与えた贈物!!

エリザベスの身体的特徴の一つとしてかなり有名な話だが、彼女の瞳の色がすみれ色で、それを強調するが如く濃い二重まつげの持ち主だったということだ。彼女は、人口の2 %しか存在しないと言う紫色の眼の持ち主でもあったのだ。
まつげについては、下記のような逸話が残っている。
ある映画の撮影時にカメラマンがエリザベスのマスカラがちょっと濃すぎると彼女本人に伝えると、彼女はマスカラは使ってなく地毛(二重まつげ)のせいでは?とあしらわれたそうだ。
エリザベスの瞳の色はなんと青紫色(バイオレット:すみれ色)だったそうです。しかし彼女の瞳の色は、光の当たり方によって青から紫に変わるため、このツイッターに出ている子供のような純粋な紫色ではなかったそうだ。ただ、瞳がこんなに綺麗なすみれ色だったら、さぞかし異性にもてたんでは??と思うのは私だけなのか??

第二次世界大戦の火の粉を避けるため米国に!!

1940年(8歳)ごろに撮影されたテイラー

1940年(8歳)ごろに撮影されたテイラー

テイラーは1932年2月27日に二人兄妹の妹として、ロンドン北西部のハムステッド・ガーデン・サバーブにあるウィルウッド通り8番の両親の家で生まれ、エリザベス・ロズモンド・テイラー (Elizabeth Rosemond Taylor) と名付けられた。父親はフランシス・レン・テイラー (en:Francis Lenn Taylor)(1897年 - 1968年)、母親はサラ・サザーン (en:Sara Sothern) (1895年 - 1994年)で、両親ともにカンザス州アーカンソーシティ出身の米国人だった。テイラーの兄ハワード・テイラーは1929年生まれである。父フランシスは画商で、母サラは舞台女優をしていたが、ニューヨークでフランシスと結婚した1926年に芸能活動から引退している。
第二次世界大戦が勃発する直前に、両親は戦火を避けてイギリスからアメリカへと戻ることを決め、母サラと二人の子供が一足先にニューヨークへ1939年4月に到着した。父は残務処理のためひとり残り、11月になってからやっと帰国した。一家はカリフォルニア州ロサンゼルスに落ち着き、父フランシスはイギリスから持ち込んだ多くの絵画を展示するアート・ギャラリーを建てて、すぐにこのギャラリーは現代ヨーロッパ絵画を好む多くの著名なハリウッド関係者たちの間で評判になったりもした。
移り住んだ所が”微妙”ですな!!こりゃあ策略の”におい”がぷんぷんするんですけど・・・??

母の夢を託された娘エリザベス!!

1944年(12歳)に撮影されたエリザベス

1944年(12歳)に撮影されたエリザベス

これが12歳とは思えない!!
自分の果たせなかった夢を娘に託していた母親の奔走で、エリザベスは1942年のユニヴァーサル映画“There's One Born Every Minute”の端役で映画デビューを果たした。悪名高きゴシップ・コラムニストにして、ハリウッドのご意見番でもあったヘッダ・ホッパーの口添えもあり、名犬ラッシー・シリーズの代役を探していたMGMと、翌年には7年契約を結んだ。当時のハリウッドで活躍していた少年・少女スターと同じように、スタジオ内にある学校に通いながら、エリザベスはその名犬ラッシー・シリーズの1作である「家路」(1943年)で実質的な銀幕デビューを飾った。以降は、「オーケストラの少女」の大少女スター、シャーリー・テンプルの次世代スターとして、「緑園の天使」「若草物語」「花嫁の父」等に出演し、大々的に売り出される。しかしエリザベス自身の美貌は、幼い頃から大人の女性顔負けの妖しい色香を放っており、シャーリー・テンプルなどの“子供子供”した少女スターたちとは、はっきりと一線を画していた。実際、その大人びた風貌が、子供スターとしてではなく、むしろ心身ともに大人の女優になってからのエリザベスに、大きな成功をもたらしたといっていい。
1945年に撮影されたテイラーの宣材写真

1945年に撮影されたテイラーの宣材写真

しかし、ものには光と影があるように、エリザベスにも影の部分があった。彼女が子役として成功を収めつつあった当時のMGMで、エリザベスは、スターとして扱われない普通の子役たちから疎外されるようになり、この教室に嫌気がさすようになっていったのだ。

子役から女優へ!!

スペンサー・トレイシーと共演した『花嫁の父』の宣材写真。

スペンサー・トレイシーと共演した『花嫁の父』の宣材写真。

16歳の時にエリザベスは、両親に普通の子供に戻りたいから女優をやめると告げたことがあるが、母親のサラに”感謝の心がない”と諭されることもあった。だが、エリザベスは他の子役と違って、成人女性役への転身に苦労することはなかったようだ。1949年に公開され、興行的にそんな芳しくはなかった『Conspirator』という映画で、当時16歳だったエリザベスが演じた21歳の女性の役は、皮肉にもエリザベス初の成人女性役として評論家から高い評価を得た。
エリザベスが成人女性を演じた映画で、最初に興行的にヒットしたのがコメディ映画の『花嫁の父』(1950年)である。テイラーはスペンサー・トレイシーが演じるスタンリー・T・バンクスの娘ケイ・バンクス役で、ほかにはジョーン・ベネットらが共演していた。エリザベスは嫁いでいく娘に扮し、父親との繊細な感情のもつれを好演した。
1950年代は、エリザベスにとって“子役”からの脱却の時期であり、彼女のキャリアの節目、あるいは転換期となる重要な作品群が続いた。『花嫁の父』を筆頭に、セオドア・ドライサーの小説「アメリカの悲劇」の再映画化であり、ジョージ・スティーヴンスが監督、モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラー、シェリー・ウィンタースが主演した、シリアスかつ暗鬱なドラマ『陽のあたる場所』等で順調に子供から大人への脱皮に成功したのだ。
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現在のハリウッド映画では当たり前に見受けられる場面だが、エリザベスは1951年に公開された『陽のあたる場所』で脱衣するシーンを披露した。このシーンはハリウッドの映画女優で初めてスクリーンで洋服を脱ぐ場面を映したもので、当時としては革命的なものだったそうだ!!。

布教活動をする母親と一緒に暮らしていた主人公ジョージ(モンゴメリー・クリフト)は、叔父の経営する会社に雇ってもらいそ の工場で働き始める。やがて彼は工場の女性社員アリス(シェリー・ウィンタース)と恋人同士になるのだが、一方で上流階級 の令嬢アンジェラ(エリザベス・テイラー)にも心惹かれ、裕福な生活への誘惑に魅入られたジョージは彼に結婚を迫るアリス に殺意を抱くようになる。そしてついにジョージとアリスが乗っているボートが転覆してアリスは死亡し、 その殺害容疑がジョージにかけられる・・・。
この映画の魅力の一つは、やはりエリザベス・テイラーの美貌による所が大きいと思う。ただ、彼女はお嬢さん役なので、見所は、この映画で唯一、主演でアカデミー賞にノミネートされたシェリー・ウィンタースの名演にあると思うのだが・・・?。

単なる美人”女優のレッテルをはがすべく!!

1950年頃と言えば、大人の役をこなすようにはなったが、反面、自身に振られる配役に対して徐々に不満を持つようになっていった。テイラーが望んでいたのは、もっと存在感のある役であるが、どちらかというと愚かしく、記憶に残らないような映画への出演しか認められなかった。そして50年代後半からは、今度は“単なる美人”女優のレッテルをはがすべく、充実した出演作が並ぶようになる。
『雨の朝巴里に死す』のエリザベス 1954年

『雨の朝巴里に死す』のエリザベス 1954年

1950年代のエリザベスと言えば、精力的に映画の出演作が多いが、ヴィヴィアン・リーの代役であった『巨象の道』(1954年)では、作品規模の大きさから、いささか主役の荷が重かったようだ。そして役者から最良の演技を引き出す職人監督リチャード・ブルックスと組んだメロドラマ『雨の朝巴里に死す』(1954年)、軽快な活劇『騎士ブランメル』(日本では未公開、1954年)で、完全に“美女”スターの地位を確立している。そして50年代後半からは、今度は“単なる美人”女優のレッテルをはがすべく、充実した出演作が並ぶ。
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