半年限定の放送!ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!を覚えている?
2022年4月16日 更新

半年限定の放送!ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!を覚えている?

ウッチャンナンチャンの冠番組「誰かがやらねば!」こちらは最初から半年間限定の放送だったのをご存じですか?番組発足の経緯とコーナーや後番組についても見ていきましょう。

3,330 view

ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!が放送開始した理由

「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」は1990年の4月19日から9月20日までフジテレビ系列の木曜21時に放送されていました。

バラエティーで半年、となると打ち切り??と思ってしまうかもしれませんが、この番組ははじめから半年限定だったのです。

元々、木曜21時に放送されていたのは「とんねるずのみなさんのおかげです」です。ですが、とんねるずの2人がドラマ「火の用心」に出演することになり、半年間の間バラエティーを休んでドラマの撮影に集中することになったのです。

その間誰が番組をやる?ということで白羽の矢が立ったのがウッチャンナンチャンだったんですね。タイトルの「誰かがやらねば!」は本当に文字通りの意味だったんですね。

この番組でウッチャンナンチャンの人気は急上昇しました。

秋のFNS番組対抗の特番で共演し、とんねるずが「ウッチャンナンチャンの2人には迷惑かけましたぁ!」開口一番に言ったことでも話題になりました。憮然とした口調だったのが印象的だったんですよね。今だったらネットで叩かれそうですが・・・。

その後「とんねるずのみなさんのおかげです」の再開予告CMの後には「ウッチャンナンチャンさん、ありがとうございました」ときちんと感謝を述べられていました。

人気コーナーもたくさん誕生!

「誰かがやらねば!」は毎回生放送のコント番組でした。菅井きんさんが経営しているアパート・メゾンド・キンを舞台に、放送作家の内村さん、アシスタントディレクターの南原さんの部屋に毎回十人やゲストがやってきて、番組の面白ビデオを見てトークするという構成でした。

人気コーナーも数々登場しています。

ナンチャンをさがせ!

当時大流行していた「ウォーリーをさがせ!」が元になったコーナーです。ビデオに映る風景の中からモノなどに変装している南原さんを見つけるというミニコーナーでした。当時画期的なコーナーでしたよね。そしてだんだん難易度が高くなり、誰も探せないほどのクオリティになっていました。私は当時小学生だったのですが、毎週話題になっていました。

いまだに「ナンチャンをさがせ!」のあのイントネーションが頭に残っていてつい使ってしまいます。

今でも「世界の果てまでイッテQ!」の「珍獣ハンターイモト」のオープニングで「イモトを探せ」として引き継がれていますね。ウッチャンナンチャンつながりですが、局を超えて同じ企画をやっていますね。

トラブルコップ

こちらは刑事を題材にしたコントドラマ。内村さん、南原さんのほかに原田知世さん、名古屋章さんがレギュラー出演していました。南原さんが原田知世さんのファンということでキャスティングされたそうです。こちらは番組内でビデオではなく、リアルタイムで放送されているドラマという設定。

毎回内村さん、南原さんが色々なキャラに扮して登場します。南原さんの原始ギャルなど、記憶に残っています。原始ギャルは「原始ギャル対テルース・リー」というスピンオフドラマまで生まれていました。

内村さんは毎回殉職する週替わりキャラを演じていました。ここから後番組の人気キャラクターの元となるキャラも生まれています。「食いしん坊・満腹・食べ過ぎ」3兄弟は満腹太(まんぷくふとる)の元ネタ。阿蘇山燃太郎、桜島怒漢などは九州男児の元になっています。さらに、最終回にはあの「マモー」も登場しています。

このドラマは毎回最後に放送されていて、そのあとCMに入っています。

映画のパロディ

番組のメインとなっていたビデオのコーナーです。内村さんがジャッキーチェン(ウッチー・チェン)やブルースリー(テルース・リー)に扮するなど映画のパロディを行っていました。内村さんはアクションが得意で、危険な演技のスタントも自ら行っていました。

南原さんは「エルム街の13日の金曜日」でフレディ・クルーガーを演じたり、前田美波里さんによる「ビバリーヒルズ・コップ」、雨男の苦悩を描いた「レインマン」などもありましたね。

放送終了後は、曜日を変えて新番組に!

半年間の放送で一度は終了しましたが、番組が好評だったので土曜日の20時に時間を移して「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」としてリニューアルしました。「やるやら」の愛称で親しまれていましたね。

「誰かがやらねば!」からの人気コーナーを引き継いで放送されていました。

人気番組だったのですが、1993年6月に、人気コーナー「やるやらクエストII」を撮影中、ゲストのた香港のロックバンドBEYONDの黄家駒(ウォン・カークイ)が足を滑らせて転落。その後6月30日に亡くなってしまいました。

6月26日には通常通りの放送があったのですが、この事故を受け番組は打ち切りに。26日の放送が事実上最終回となってしまったのです。人気番組でしたが最後はこんな終わり方になってしまったんですね。残念です。
16 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

祝還暦!「内村プロデュース復活SP」が放送決定!「名作イッキ見&最新作チョイ見せ ふかわもどこかにくるよ上映会」も開催!

祝還暦!「内村プロデュース復活SP」が放送決定!「名作イッキ見&最新作チョイ見せ ふかわもどこかにくるよ上映会」も開催!

テレビ朝日系列で放送された伝説的お笑いバラエティー番組「内村プロデュース(通称:内P)」が、同局の開局65周年を記念し、一夜限りで復活することが明らかとなりました。
隣人速報 | 146 view
芸能人社交ダンス部でブレイクした藤崎奈々子の活躍と現在

芸能人社交ダンス部でブレイクした藤崎奈々子の活躍と現在

1990年代に社交ダンスブームを巻き起こしたテレビ番組「 ウッチャンナンチャンのウリナリ!! 」のイチコーナー「芸能人社交ダンス部」。その華やかな社交ダンスに憧れたものです。その中にあってダンスに一生懸命に取り組む姿が好感を呼んでブレイクした藤崎奈々子さん。清楚で可愛かったですよね。今回はそんな藤崎奈々子さんの活躍と現在についてご紹介します。
そうすけ | 511 view
昭和の子供たちにトラウマを与えた映画「ルパンVS複製人間」のマモーとは?

昭和の子供たちにトラウマを与えた映画「ルパンVS複製人間」のマモーとは?

1990年代に「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」という番組で緑色の髪と肌でウッチャンが演じたキャラクターのマモー。そのキャラクターは「私はマモー」というセリフからルパン3世の映画に登場した悪役マモーがモデルだと、ミドルエッジ世代は瞬時に気付いたことでしょう。いつものルパンとは絵柄も違い、なんとも不気味な印象が残っています。今回はそんな「ルパンVS複製人間」についてご紹介します。
そうすけ | 557 view
ナインティナイン 岡村隆史   後先考えない突破者だった時代

ナインティナイン 岡村隆史 後先考えない突破者だった時代

小学校ではオリンピックメダリストと同じ器械体操クラブに所属。中学ではブレイクダンス関西最強チームの切り込み隊長。高校サッカー、強豪校フォワード。そしてNSCの9期生へ。
RAOH | 2,082 view
90年代にバラドルとして活躍していた『 ちはる』って覚えてる?!現在は?

90年代にバラドルとして活躍していた『 ちはる』って覚えてる?!現在は?

1990年代前半に「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」で「マモーとミモー」のミモー 役で一躍人気タレントとなったバラドルちはるさんを覚えているであろうか?懐かしく思いまとめてみました。
ギャング | 11,091 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト