ナインティナイン 岡村隆史   後先考えない突破者だった時代
2023年5月8日 更新

ナインティナイン 岡村隆史 後先考えない突破者だった時代

小学校ではオリンピックメダリストと同じ器械体操クラブに所属。中学ではブレイクダンス関西最強チームの切り込み隊長。高校サッカー、強豪校フォワード。そしてNSCの9期生へ。

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西川大輔 88ソウル五輪

岡村隆史は、1970年7月3日、大阪市の北端、淀川沿いに広がる東淀川区出身。
相方の矢部浩之は、1歳下で、1971年10月23日、東淀川区から西へ数kmの吹田市生まれ。
岡村は、幼稚園から大阪市淀川区の体操教室「スペック体操クラブ」に通い、小学校ではバク転ができるなどクラスでは人気者だった、心には闇も抱えていた。
原因は同じ体操クラブに通う、学校は違うが同級生の「西川くん」
岡村は西川くんをみて当初から
「自分と動きがまったく違う」
と思っていた。
スペック体操クラブは、初級のスズメクラスから最上級のフェニックスクラスまで、レベルごとに鳥の名前をつけてクラス分けされていた。
岡村は最後(小5)まで上から2番目のタカクラスにいたが、西川くんは小2でフェニックスクラスに上がったのである。
大人3、4人が西川くん1人につきっきりで指導したり、テレビ取材がきてライトを浴びてキラキラしている西川くんを暗い部屋の隅からみつめながら、子供ながらに
「世の中には頑張ってもどうにもできないことがある」
と悟った。
案の定、「西川くん」こと、西川大輔は、高校生のときにオリンピックで銅メダリストになった。
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小6のとき、大阪梅田のナビオ前の歩行者天国でブレイクダンスをする人をみて衝撃を受け、以後、毎週日曜、ナビオ前に通うようになった。
ブレイクダンスは、ラップ音楽に合わせて路上で踊るストリートダンス。
ブレイクダンスは「ブレイキング」ともいわれ、ブレイクダンスを踊る人間は「ブレイカー」と呼ばれるが、いずれも「突破する者」という意味。
その起源は1970年代後半、移民が多く住むニューヨークのブロンクス地区でヒップホップ音楽(ラップ音楽)が生まれると、そのリズムに合わせ、通常、立って行うダンスに地面に手をつく動きを追加。
特徴的なのは、その動きだけでなくダンスバトルがあること。
不良グループ同士の抗争が多発し多くの血が流れていたブロンクス地区で、ミュージャンのアフリカ・バンバータがブレイクダンスのバトルでケリをつけることを提案したのが始まりとされ、これによってやり場のない感情を暴力で発散していた若者たちが、そのパワーをブレイクダンスで表現するようになった。
バトルは、1対1や2対2、チーム対チームで交互に踊り合って、難易度の高いパフォーマンスやアクロバティックを競い、暗黙のルールとして踊っている人間に触れてはいけない。
イベントとして行われる場合、音楽担当のDJ、司会進行のMC、審査員もついて、さらに盛り上がっていく。
こうしてヒップホップとブレイクダンスはニューヨークからアメリカ、そして世界へと拡散していった。
2018年には、14~18歳を対象にしたユースオリンピックで採用。
2024年のパリオリンピックでも新競技として追加される決定。
現在、競技スポーツとしても国際的に認知されているブレイクダンスだが、岡村が出会った1980年代初めは、日本のブレイカー人口は少なく、超マイナーな存在。
つまり第1世代だった。
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岡村は、中学生になるとにバスケットボール部に入ったが、すぐに退部。
関西最強のブレイクダンスチーム「エンジェル・ダスト・ブレイカーズ」に入り梅田阪急ナビオ前にてストリートで

パワームーブ
エントリー
フットワーク
フリーズ

という4つの要素で構成されるブレイクダンスの練習に明け暮れた。
難易度の高いヘッドスピン(3点倒立から頭を軸に回転)、ウインドミル(肩、・背中を地面につけて足を開いて回転)、そして最も難易度が高く日本でできる人間が少なかった「Aトラックス」もマスター。
チーム最年少ながら
「KID(キッド)」
という名で切り込み隊長的存在となった。
その実力について、エンジェル・ダスト・ブレイカーズのリーダー、岡村より6歳上のマシーン原田(原田充啓)は、
「岡村は大阪の天才ブレイカーやった」
関東でダンスをしていたEXILEのHIROも
「岡村さんはダンサーとして本当に有名だった」
「東のHIRO、西のKIDっていわれていた」
といっている。
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1986年4月、中学時代のすべてをブレイクダンスに捧げた結果、高校進学が危ぶるほど学業は崩壊。
なんとか大阪府立茨木西高校でに進学し、強豪のサッカー部で入ると1つ上に、「矢部、兄」こと矢部美幸がいた。
そして教育係で1番よく走らされ1番苦手だった「マンモー先輩」
足が速く技術もあるが、気の弱さでレギュラーになれなかった「テラーリ先輩」
彼は遠足委員になって下見に行ったとき、たまたま山で死体を見つけ、警察や先生にいわなければいけないとわかっていながら、いう勇気がなく、黙ったまま遠足の日を迎え、そこですべてを打ち明け、全員を現場に連れていって悲鳴を上げさせた。
ちなみに監督は、サッカー未経験、電車のシートのような色のジャージを着ていたので「JR」と呼ばれていた。
高2になると弟、矢部浩之もサッカー部に入ってきた。
それまでに矢部美幸に家に招かれたとき、中3の浩之をみたことはあったが、サッカー部の練習中に
「岡村さん、「夕やけニャンニャン」ってみてはります?
僕あれみてるとドキドキするんですよ」
と話しかけられて意気投合。
多くの時間を一緒に過ごすようになった。
矢部の父親は、知人の保証人に「なりまくった」せいで借金を背負い、岡村いわく矢部は、
「弁当のおかずが毎日同じで卵焼きと赤いソーセージだった」
「水に砂糖と生姜を溶かした特製ジンジャーエールを喜んで飲んでいた」
という。
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世はディエゴ・マラドーナ全盛期。
岡村と一緒にサッカー部に入った同級生は50人もいたが、高3になると

フォワード(前線)
・ムードメーカーのオカチン(岡村隆史)
・とにかくよく走るトタニッチョ
・切り返しドリブルのワシオ

ミッドフィルダー(中盤)
・キャプテンでゲームメーカーのリッサ(非常に威厳のあるキャプテンだったが卒業後、ハゲてイジられキャラ)
・ディフェンダーのヒデと女性関係でトラブった副キャプテンのカズ
・マレーシア生まれ大阪府育ち、ケンカ番長のケンスケ (現舞台俳優の鈴木健介)
・守備意識低め、もみ上げにニキビの穴があったモミアナ

ディフェンダー(後衛)
・副キャプテンのカズと性関係でトラブったヒデ
・同期で1番最初に試合に出たクリノ
・自殺点のサブゲ
・優しくて強いムークン

の11人に減少。
岡村の代にはキーパーがおらず、2年生のカワモリが入ったが、彼に初めてオナニーを教えたのは岡村。
高3、最後の試合は、ワシオは実力的な問題で、キャプテンのリッサはケガのためにベンチスタート。
リッサの代わりにチームの司令塔となったのは、「矢部Jr(ヤベジュニ)」こと矢部浩之だった。
岡村の代、「西高サッカー部11期生」の交流は現在も続き、東京に住む岡村が大阪に帰りたい理由の1つとなっている。
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周りは明石家さんまやダウンタウン、ウッチャンナンチャンのファンが多かったが、岡村は中学生のときに「ザ・ベストテン」で大暴れする姿をみて以来、とんねるずファンだった。
とんねるずのラジオ番組「二酸化マンガンくらぶ」に
「1度も読まれなかった」
がハガキを送り続けた。
「とんねるずのオールナイトニッポン」、「とんねるずのみなさんのおかげです」、「夕焼けニャンニャン」などを夢中で観て、聴いた。
初めて生でお笑いをみたのは茨木市民会館で行われたトミーズの公演。
そして2度目は、矢部美幸だった。
高校卒業後、吉本総合芸能学院、通称:NSCの7期生となり、「ちゃんねるず」というコンビを結成していた矢部美幸を劇場に観にいった。
このとき同じくNSC7期生の雨上がり決死隊やベイブルースも出演していた。
「知ってる先輩が漫才してるのをみて、客席は暗いけどステージはパーンっと光が当たっててすごいなあって」
しかし自分がお笑いをやろうなどとは、まったく思っていなかった。
将来の夢は
「国家公務員」
そのためにも、そして高校を出てすぐに働かなくてもいい立場になるためにも、当面の目標と課題は
「大学に入ること」
だった。
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しかし中学時代、ブレイクダンスに熱中しすぎて進学が危ぶまれたのと同様、高校でもサッカーに打ち込んだ結果、成績は崩壊。
とにかく大学に行こうと。いろいろな学校、いろいろな学部や学科を受験した。
「中学からブレイクダンスやってるし」
と大阪芸術大学の芸術学部舞台芸術学科舞踏コースを受けたとき、実技試験はバレエだった。
周囲はレオタード&トゥシューズ、1人だけ体操服&上履きという
「完全アウェー」
の中、見よう見まねで周りに合わせて踊って。
「すごくツラかった」
さらに面接試験で、ダンス経験を聞かれ
「ブレイクダンスで頭や背中でグルグル回れます」
と答え
「それはダンスではありません。
ダンス経験を聞いているんです」
と高圧的にいわれ
(地獄だ)
と思った。
中には名前さえかければ受かるといわれていた大学もあったが、結局、全部落ちた。
「根こそぎ落ちたわ。
全部落ちた。
何コ受けたかわからない。
親父が「どこでもええから受けろ」「ナンボでも受けてもええから」「1コ受かったらええから」っていって、受験料2万円パーッと払って、片っぱしから受けた。
遠くの大学は、親父やタクシーの運転手やってた同級生のお父さんに送ってもらって・・・・
見事、全部落ちたから。
本当に。
親父いうたもん、「みな落ちるか~い」って」
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それなりの予備校に通うには、費用だけでなく予備校に入るための試験に受からなければならない。
岡村は自宅で浪人することを決め、1年間、
「1日最低8時間。
調子がいいときは14時間」
眠くなったら歯磨き粉を目の周りに塗りながら
「入る時間もったいないし、眠くなるから」
と何日も風呂に入らず、足からコケを生やしながら勉強。
疎遠になった彼女には、二股をされた挙句、フラれた。
数々の肉体的、精神的犠牲を払った挙句、関西外国語大学、大阪芸術大学、立命館大学に合格。
自身は大阪芸術大学に行きたかったが、父親の勧めで立命館大学第2経営学部に入った。
第2部=夜間部ということだが、関西では「関関同立」といわれ、立命館は、その一角をなす人気大学。
同時期、矢部浩之が茨木西高を卒業した。
小4でサッカーを始め、夢はヤンマーディーゼルサッカー部(現:セレッソ大阪)、あるいは動物園のオオカミの飼育員になること。
高2のときに茨木西高で背番号10番をつけたが、大阪府選抜の選考で落選し、サッカーのプロは諦めた。
高3でサッカー部最後の試合を終えたとき、観に来ていた岡村が敗戦を悔しがって号泣するのを目撃。
その後、大学進学を目指したが、甲子園大学、花園大学、佛教大学、大阪経済法科大学、いずれも不合格となり、兄同様、芸人を目指すべくNSCへ行くことを決意した。
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岡村は一浪して入った立命館大学にマジメに通うつもりだったが、入学してすぐに
「岡村さん、NSC入りませんか?」
と矢部に誘われ、
「必ずトップに立ってダウンタウンのようになってみせる」
と書いた願書を預けた。
しかし矢部は、それをスッカリ出し忘れてしまう。
「お笑い芸人になるからには聖地を見学しにいこう」
と2人でグランド花月にいくと、ちょうどNSC9期生の2次面接試験が行われていて、初めて矢部のミスが発覚。
「なんとかお願いします」
「どうしてもNSCの9期生に入りたいんです」
受付で事情を説明し、なんとか面接を受けさせてもらおうとしたが
「もう間に合わないから10期生で頑張って」
といわれてしまう。
それでもあきらめ切れず
「面接が終わるまで待っとこう」
と出口で粘っていると、それに気づいた大崎洋(現:吉本興業会長)に
「まだおったんか」
と声をかけられた。
すでに試験は終了していたが、大崎洋は、特別に面接を行い
「君ら、面白いんか?」
と聞いた。
岡村は
「はい、面白いッス」
と答え、なんとかNSCに入ることができた。
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「とにかく同期の中で1番面白いやつにならなアカンやろ」
「最初に1発かまさなアカン」
と意気込んで臨んだNSC最初の授業。
「自己紹介したい人は手を挙げて」
冒頭、講師がいうと、周囲は次々と手を挙げ、モノマネなどをして自己アピールしていった。
そんな中で岡村は
「1番面白い自己紹介をしたる」
と虎視眈々、そのときを待った。
そして講師が矢部を当てた途端、立ち上がって
「えー、岡村隆史です」
打ち合わせなどしていなかったが、矢部もすぐに立ち上がり
「お前ちゃうやろ!」
誰も2人が知り合いであることを知らないこともあって大ウケ。
講師に
「コンビか?」
と聞かれ、岡村は
「はい」
と答えつつ、心の中では
(かましたった)
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