歌手・女優としてご活躍の夏木マリさん
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夏木マリさんの経歴
1952年、東京都豊島区の池袋に生まれた夏木マリさん。小学3年生のときに現在の埼玉県さいたま市に移り、県内の小・中学校を卒業。高校は、私立の豊島岡女子学園高校に進学されたようです。
1971年、19歳のときに本名である中島淳子の名義で歌手デビュー。ご本人としては、アメリカで活躍されていた個性派ロックシンガーのジャニス・ジョプリンのような楽曲を歌いたかったのだとか。
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この辺りの詳細については、すでにミドルエッジ内に夏木マリさんの歌手活動をまとめた記事がありますので、こちらにリンクを掲載させていただきます。
絶対的な美人といえる70年代の夏木マリ。その色気はハンパなしっ!です。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
1973年の「絹の靴下」でブレイクした夏木マリは、お色気全開!ハンパないほどエロチックだったのですが、なんと、当時まだ21歳!今振り返ってみると、そのエロさ、美しさは驚異的だなぁと改めて思う次第です。
圧倒的な存在感の原点。歌手・夏木マリを聴いてみないか? - Middle Edge(ミドルエッジ)
迫力と存在感のある演技で映画・ドラマ・舞台で大活躍を続けている夏木マリ。だが、彼女が芸能界にデビューしたのも、最初に知名度を高めたのも歌手としてだった。清純派アイドルとしてデビューした頃、セクシー歌手としてブレイクした頃、そして近年の歌手活動。波乱万丈でエネルギッシュな歌手・夏木マリの活動について紹介します。
1973年に”夏木マリ”名義で再デビュー。Wikipediaによると芸名の由来は…
6月のデビューで「夏に決めよう」から
とのことみたいです。
”夏決まり”→”ナツキマリ”→”夏木マリ”
デビュー時期にかけた語呂合わせだったそうですよ。
”夏決まり”→”ナツキマリ”→”夏木マリ”
デビュー時期にかけた語呂合わせだったそうですよ。
妖艶な振付けを取り入れたシングル曲『絹の靴下』は爆発的にヒットし、彼女は歌手として多忙な日々を過ごすようになっていきました。
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しかし、あまりの忙しさに夏木マリさんは体調を崩してしまい、低色素性貧血で3カ月の入院生活を送ることに。その後は復帰するも仕事は激減しており、彼女の生活ははキャバレー回りの営業がメインになっていきます。
このころから舞台に出演するようになり、女優としての下積み時代を過ごします。
そのきっかけは、たまたまヌードダンサーが踊るようなショーでの営業をしていたとき、演劇の仕事をしている観客から舞台出演に誘われたことなのだそうですよ。
そのきっかけは、たまたまヌードダンサーが踊るようなショーでの営業をしていたとき、演劇の仕事をしている観客から舞台出演に誘われたことなのだそうですよ。
女優としての活動は舞台に留まらず、映画・テレビドラマでも活躍するようになります。
1990年には単身でニューヨークに渡り、自分自身も表現者として何かを発信してみたいと思うようになったのだとか。
1990年には単身でニューヨークに渡り、自分自身も表現者として何かを発信してみたいと思うようになったのだとか。
1993年には夏木マリさん自身が企画から構成・演出・出演などて手掛ける舞台表現『印象派』を発表すると、高い評価を獲得。
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『印象派』はイギリス・フランス・ドイツ・ポーランドなどの海外でも公演が行なわれ、彼女は女優として確固たる地位を確立していきました。
2007年にはパーカッショニストとして有名な斎藤ノヴさんと交際中だと明かし、その4年後の2011年には入籍していたことを発表しました。
(旧芸名・旧姓の本名)
生年月日:1952年5月2日
血液型 :O型
身長 :163㎝
出生地 :東京都豊島区
職業 :歌手・女優
活動期間:1971年