数々の伝説を持つ男、吉川晃司とは
via ticketcamp.net
最年少日本代表、水球選手として海外遠征に参加伝説
府中町立府中小学校を卒業後、修道中学校に入学し、水球を始め、修道高校に在学中に世界ジュニア水球選手権大会の日本代表、2年連続で全日本高校最優秀選手にも選ばれています。最年少日本代表として、イタリア・エジプト遠征にも参加しています。
水球の訓練で鍛え上げた身体が数々の武勇伝を生んでいます。
ジュニア世代日本代表に選抜され、2年連続で全日本高校最優秀選手に選ばれた
バンド「EIGHT CITYS FISH BAND/通称、はまちバンド」を結成して活動していました。 ある時、佐野元春のコンサートを見て、芸能事務所にスカウトされ芸能界デビュー考えるが、田舎でスカウトされることも無く、渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」などと自ら手紙を書き送りました。
水球の訓練で鍛え上げた身体が数々の武勇伝を生んでいます。
ジュニア世代日本代表に選抜され、2年連続で全日本高校最優秀選手に選ばれた
バンド「EIGHT CITYS FISH BAND/通称、はまちバンド」を結成して活動していました。 ある時、佐野元春のコンサートを見て、芸能事務所にスカウトされ芸能界デビュー考えるが、田舎でスカウトされることも無く、渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」などと自ら手紙を書き送りました。
渡辺プロの関係者を自ら呼びつけ、芸能界入りした武勇伝
吉川晃司は、親や教師の反対を押し切り、高校を2年で中退し、上京します。1984年、吉川晃司が19才の時に、主演映画『すかんぴんウォーク』とその主題歌『モニカ』でデビュー。1984年の日本歌謡大賞最優秀新人賞、また主演映画『すかんぴんウォーク』で日本アカデミー賞新人賞、ブルーリボン賞、ゴールデンアロー賞など、合計で8つの新人賞を獲得しました。
渡辺プロは吉川晃司を「10年に1度の逸材」とみなし、事務所の再生をかけ、総力3億円を挙げ売りだしました。このセールスにより吉川晃司の映画と歌の同時デビューが実現しました。この時、同じ事務所に所属していた大澤誉志幸は「吉川晃司を売り出すから、お前にかける金はない。」と言われたという。(画像は渡辺プロダクションの全盛期、1978年の新年の写真)
via blog.zaq.ne.jp
1984年2月1日シングル「モニカ」でデビュー この曲は、主演映画『すかんぴんウォーク』の主題歌でもあった 以降「サヨナラは八月のララバイ」、「LA VIE EN ROSE」、「ユー・ガッタ・チャンス」(オリコン3週連続1位)、「にくまれそうなNEWフェイス」(オリコン1位)、「RAIN-DANCEがきこえる」(オリコン4位)、「キャンドルの瞳」(オリコン2位)と立て続けにヒットシングルをリリースし、1984年の日本歌謡大賞最優秀新人賞、日本アカデミー賞新人賞など歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を独占。翌1985年暮れにはNHK紅白歌合戦に出場した。
またこの年の始めに、デビュー1年目では史上2人目の日本武道館公演を行った。1人目は原田真二(1978年7月24日)。
初期の学園祭コンサートで体育館の緞帳を破き、1000万の被害額を作る
体育館にある緞帳(どんちょう)にぶら下がり、緞帳をビリビリに破いてしまったことがあります。
体育館にある緞帳(どんちょう)にぶら下がり、緞帳をビリビリに破いてしまったことがあります。
NHK出入り禁止伝説
吉川晃司は、1985年に初出場したNHK紅白歌合戦でパファーマンスが問題になり、NHKに十数年出入り禁止になったことがあります。
白組から赤い衣装で登場し、シャンパンをまき散らし、観客に向けてふき出します。さらに、ステージから観客席に降りていきカメラと衝突しました、予定出演時間を過ぎても、ギターをステージ上で叩き壊し燃やしてました。次に歌う河合奈保子の曲のイントロが流れても、吉川晃司のパファーマンスは続き、河合奈保子は曲の途中から歌うことになりました。
白組から赤い衣装で登場し、シャンパンをまき散らし、観客に向けてふき出します。さらに、ステージから観客席に降りていきカメラと衝突しました、予定出演時間を過ぎても、ギターをステージ上で叩き壊し燃やしてました。次に歌う河合奈保子の曲のイントロが流れても、吉川晃司のパファーマンスは続き、河合奈保子は曲の途中から歌うことになりました。
吉川晃司 にくまれそうなNEWフェイス - YouTube
1985年12月31日第36回NHK紅白歌合戦吉川晃司 にくまれそうなNEWフェイス
via www.youtube.com
吉川晃司のパファーマンス後、流れたシャンパンで床が滑り、シブがき隊のフッくん(布川敏和)が転倒しています。
伝説のアン・ルイスとの過激なパフォーマンス“六本木心中”
『夜ヒットスタジオ』では、アン・ルイスとのセクシーすぎる過激なパフォーマンス“六本木心中”が話題になりました。
デビュー当時の吉川晃司はアン・ルイスに影響を受け、ふたりは姉弟のようでした。 アン・ルイスが歌う「六本木心中」と「あゝ無情」のモデルは吉川であると作詞者の湯川れい子は話しています。マイケル・ジャクソンとダイアナ・ロスのホットな子弟関係を思い出します。
デビュー当時の吉川晃司はアン・ルイスに影響を受け、ふたりは姉弟のようでした。 アン・ルイスが歌う「六本木心中」と「あゝ無情」のモデルは吉川であると作詞者の湯川れい子は話しています。マイケル・ジャクソンとダイアナ・ロスのホットな子弟関係を思い出します。
『六本木心中』 吉川晃司が乱入! - YouTube
いや~、リアルタイムで観てた人結構いるのですね~♪僕と同じ世代の方々かな?(^_^)
via www.youtube.com
1984年2月1日『モニカ』でシングルデビューしています。