【日本創新党(2010-2012)→(日本維新の会へ合流)】
【減税日本(2010-)→(国政部分が減税日本・反TPP・脱原発を実現する党へ参加)】
【日本維新の会(2012-2014)→維新の党(2014-)】
日本維新の会(2012-2014)→維新の党(2014-)
2010年4月に設立された地域政党「大阪維新の会」を母体に、自民党・民主党・みんなの党から離党した国会議員らを加えて2012年9月28日に設立された。
設立直後に日本創新党が、同年11月には太陽の党(たちあがれ日本より改名)が、解党して党に合流している。
当初は大阪維新の会代表の橋下徹が党代表に就いていたが、太陽の党が合流した際に同党共同代表の石原慎太郎が代表に就任し、橋下は代表代行に退いた。その後2013年1月になって石原・橋下の共同代表制に移行した。
自民党・民主党の二大政党に対抗する「第三極」の中心として注目を集め、2012年12月16日に執行された第46回総選挙では54議席を獲得して国政第3党に躍進。
他方で主要政策に隔たりがあった太陽の党と合流して以降は、橋下共同代表ら結党以来のメンバーと、国会議員の3割近くを占め国会議員団の主導権を握る石原共同代表ら旧太陽の党メンバーの間で、しばしば意見の対立や主張の食い違いが生じている。
結いの党の合流を巡って石原と橋下が対立し、2014年5月28日に分党で合意。6月22日の臨時党大会で、橋下グループと石原グループに分党するため、党を解党する方針を決定。7月31日に「政治団体解散届」を総務大臣に提出し正式に解党した。
石原グループは次世代の党を結党。一方、橋下グループは党名を引き継いだ暫定的な新党「日本維新の会」を結党、結いの党が解党したうえで合流し維新の党へ改称した。
設立直後に日本創新党が、同年11月には太陽の党(たちあがれ日本より改名)が、解党して党に合流している。
当初は大阪維新の会代表の橋下徹が党代表に就いていたが、太陽の党が合流した際に同党共同代表の石原慎太郎が代表に就任し、橋下は代表代行に退いた。その後2013年1月になって石原・橋下の共同代表制に移行した。
自民党・民主党の二大政党に対抗する「第三極」の中心として注目を集め、2012年12月16日に執行された第46回総選挙では54議席を獲得して国政第3党に躍進。
他方で主要政策に隔たりがあった太陽の党と合流して以降は、橋下共同代表ら結党以来のメンバーと、国会議員の3割近くを占め国会議員団の主導権を握る石原共同代表ら旧太陽の党メンバーの間で、しばしば意見の対立や主張の食い違いが生じている。
結いの党の合流を巡って石原と橋下が対立し、2014年5月28日に分党で合意。6月22日の臨時党大会で、橋下グループと石原グループに分党するため、党を解党する方針を決定。7月31日に「政治団体解散届」を総務大臣に提出し正式に解党した。
石原グループは次世代の党を結党。一方、橋下グループは党名を引き継いだ暫定的な新党「日本維新の会」を結党、結いの党が解党したうえで合流し維新の党へ改称した。
via jp.wsj.com
(日本維新の会より分裂)→次世代の党(2014-2015)→日本のこころを大切にする党 (2015-)
日本維新の会が2014年6月22日に分党を決定し、7月31日に解党したことを受け、当時同党の共同代表を務めていた石原慎太郎支持派のグループ(石原グループ)によって8月1日、次世代の党として結党された。
2015年12月21日、「日本のこころを大切にする党」に党名を変更した。
2015年12月21日、「日本のこころを大切にする党」に党名を変更した。
via jiyusoku.jp
(維新の党より分裂)→おおさか維新の会(2015-)
2015年12月18日の大阪市長任期満了に合わせて政界から一度引退することを表明している橋下徹の後継代表を選出するための党大会が2015年12月12日に開かれた。この党大会で橋下の代表辞任が認められ、後継の代表として大阪府知事の松井一郎が選出された。
党大会後の会見では党執行部役員人事も発表され、共同代表および国会議員団長に片山虎之助参院議員、幹事長に馬場伸幸衆院議員、政務調査会長に浅田均大阪府議、総務会長に東徹参院議員が就任することとなった。
また、政界からの引退表明をした橋下徹は一民間人として党の法律政策顧問に就任する。
2015年12月24日、次世代の党を離党していた江口克彦が入党し、日本維新の会並びに維新の党に在籍した経験のない議員が初めて入党した。翌25日、事後処理のために維新の党に籍を残していた馬場伸幸、遠藤敬、東徹の3人がおおさか維新の会に正式に入党した。
党大会後の会見では党執行部役員人事も発表され、共同代表および国会議員団長に片山虎之助参院議員、幹事長に馬場伸幸衆院議員、政務調査会長に浅田均大阪府議、総務会長に東徹参院議員が就任することとなった。
また、政界からの引退表明をした橋下徹は一民間人として党の法律政策顧問に就任する。
2015年12月24日、次世代の党を離党していた江口克彦が入党し、日本維新の会並びに維新の党に在籍した経験のない議員が初めて入党した。翌25日、事後処理のために維新の党に籍を残していた馬場伸幸、遠藤敬、東徹の3人がおおさか維新の会に正式に入党した。
via www.sankei.com
(維新の党より分裂)→改革結集の会(2015-)
2015年11月22日、維新の党分裂騒動を巡り、松野頼久執行部の対応に反発した小沢鋭仁や村岡敏英ら4名が離党届を維新の党に提出、日本を元気にする会に所属する山田太郎とともに、政治団体「草莽の会」の結成を総務省に届け出た。これを母体として会派「改革結集の会」を結成。
via www.sankei.com
【反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(2012)→減税日本・反TPP・脱原発を実現する党(2012)→(日本未来の党へ合流)】
反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(2012)→減税日本・反TPP・脱原発を実現する党(2012)→(日本未来の党へ合流)
国民新党を離党し無所属として活動していた亀井静香元金融担当相と、民主党を離党した山田正彦元農水相が中心となり、2012年12月16日に投票日となっている第46回衆議院議員総選挙のため、11月19日に「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」(略称 反TPP)として結成を表明した。山田は代表、亀井は幹事長に就任する見込みであった。
その後、11月22日に減税日本と「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」(略称 脱原発)を結成することに同意。河村たかしと山田正彦が共同代表に、幹事長には亀井静香が就くとしていた。
この新党は結果的に、嘉田由紀子滋賀県知事が11月27日に立ち上げた日本未来の党に、小沢一郎率いる国民の生活が第一とともに、同日に合流することが決定した。
その後、11月22日に減税日本と「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」(略称 脱原発)を結成することに同意。河村たかしと山田正彦が共同代表に、幹事長には亀井静香が就くとしていた。
この新党は結果的に、嘉田由紀子滋賀県知事が11月27日に立ち上げた日本未来の党に、小沢一郎率いる国民の生活が第一とともに、同日に合流することが決定した。
via blogs.c.yimg.jp
【日本未来の党(2012)→(分裂)】
via pds.exblog.jp
生活の党(2012-2014)→生活の党と山本太郎となかまたち(2014-)
2012年12月に日本未来の党の党名を生活の党に改称する形で発足。
民主党の小沢グループと鳩山グループ、新党きづな、国民の生活が第一の出身者を中心に結成され、党シンボルマークも国民の生活が第一のものを引き継いでいる。
2014年12月に施行された第47回衆議院議員総選挙の結果、政党要件を失い、「その他の政治団体」となった。しかし、12月26日に無所属の参議院議員山本太郎が入党し、政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めた。
民主党の小沢グループと鳩山グループ、新党きづな、国民の生活が第一の出身者を中心に結成され、党シンボルマークも国民の生活が第一のものを引き継いでいる。
2014年12月に施行された第47回衆議院議員総選挙の結果、政党要件を失い、「その他の政治団体」となった。しかし、12月26日に無所属の参議院議員山本太郎が入党し、政党要件を回復させるとともに、党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改めた。
【みどりの風(2012-2013)→(政党要件喪失、解党)】
みどりの風(2012-2013)→(政党要件喪失、解党)
社会保障と税の一体改革関連法案の可決をうけて、民主党を離党した議員3名と、先に国民新党を離党した亀井亜紀子の4名の参議院議員によって参議院の院内会派として2012年7月17日に結成された。
【日本を元気にする会(2015-)】
日本を元気にする会(2015-)
2014年11月28日に解党したみんなの党に所属していた6名の無所属議員で、12月18日に参議院院内会派として結成され、参議院事務局に届け出された。
その後、2015年1月1日に政党を組織し、1月8日に田中茂と行田邦子を除く4人と、次世代の党に離党届を提出していたアントニオ猪木の計5名で、東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣に政党として設立を届け出た。いずれも代表者は松田公太。
その後、2015年1月1日に政党を組織し、1月8日に田中茂と行田邦子を除く4人と、次世代の党に離党届を提出していたアントニオ猪木の計5名で、東京都選挙管理委員会を通じて総務大臣に政党として設立を届け出た。いずれも代表者は松田公太。
via i.ytimg.com
その他、国会に議席を有したことのある政党
【日本人民党(1946-1984)】
【緑風会(1947-1960)→参議院同志会(1960-1962)→(第二院クラブに参加、1962-1964)→緑風会(1964-1965)】
【新自由党(1948-1952)】
【革新自由連合(1977-1986)】
【サラリーマン新党(1983-2016)】
【福祉党(1983-1989?)】
【スポーツ平和党(1989-2007?)】
【自由連合(1990-2010)】
【無所属の会(1998-2004)】
【緑風会(1947-1960)→参議院同志会(1960-1962)→(第二院クラブに参加、1962-1964)→緑風会(1964-1965)】
【新自由党(1948-1952)】
【革新自由連合(1977-1986)】
【サラリーマン新党(1983-2016)】
【福祉党(1983-1989?)】
【スポーツ平和党(1989-2007?)】
【自由連合(1990-2010)】
【無所属の会(1998-2004)】
党名の「日本創新党」は、「大化改新」「明治維新」に倣った「根こそぎの改革」としての「平成創新」を目指すべく命名された。
首長時代に新しい歴史教科書をつくる会の教科書採択を主導した山田宏元杉並区長と中田宏元横浜市長がそれぞれ党首・代表幹事を務めるなど、保守色の強い松下政経塾出身者が党の中枢を占めていた。