平成の元号は平成31年4月30日まで
1989年1月8日から始まった平成の歴史。2019年(平成31年)4月30日に天皇陛下が譲位され、終了する予定となり、30年113日間(=11,070日間)が経過した時点で一時代に区切りがつけられる。
《天皇陛下の譲位の日程に関する記事》
天皇陛下の譲位の日程等を決める皇室会議が1日午前、宮内庁で開かれ、平成31年4月30日に譲位して5月1日に改元することが決まった。
政府は5日の閣議で結果を報告し、8日の閣議で譲位日を定める政令を決定する方針。天皇の譲位は、江戸後期の119代光格天皇(1771~1840)以来、約200年ぶりとなる。
新たな元号「平成」を世間に発表したシーン
激動の昭和から平成へ。外国を含めても歴史上で最も長く続いた元号である昭和。
メディアは昭和天皇の崩御、昭和の歴史を連日伝えていた。
その時代の移ろいにおいて象徴的なシーンと言えば、当時官房長官だった故・小渕恵三さんが掲げた「平成」の色紙だろう。「新しい元号は『平成』であります」とのコメントを発した小渕さんは”平成おじさん”と呼ばれた。
メディアは昭和天皇の崩御、昭和の歴史を連日伝えていた。
その時代の移ろいにおいて象徴的なシーンと言えば、当時官房長官だった故・小渕恵三さんが掲げた「平成」の色紙だろう。「新しい元号は『平成』であります」とのコメントを発した小渕さんは”平成おじさん”と呼ばれた。
平成元年(1989) 1月8日、 昭和天皇の崩御、皇太子明仁親王の皇位継承に伴い、元号が昭和から平成に改元されました。
— 国立公文書館 (@JPNatArchives) January 7, 2016
画像は、小渕官房長官が持っていた「平成」の書です。 pic.twitter.com/iWIxwb4hrj
色紙を掲げるアイデアは、小渕さん自身によるものとのこと。
また、この日本中が注目した二文字を書いたのは、総理府人事課(当時)の職員で書道家でもあった河東純一さん。発表の20分前にメモを見せられ、そこから筆を執ったという。
河東さんによれば、平成の文字は画数が少なくて書きにくいそう。
平成10年(1998年)に小渕さんが第84代内閣総理大臣に就任した際、「あ!平成おじさん」と思った方も多いのではないだろうか。
また、この日本中が注目した二文字を書いたのは、総理府人事課(当時)の職員で書道家でもあった河東純一さん。発表の20分前にメモを見せられ、そこから筆を執ったという。
河東さんによれば、平成の文字は画数が少なくて書きにくいそう。
平成10年(1998年)に小渕さんが第84代内閣総理大臣に就任した際、「あ!平成おじさん」と思った方も多いのではないだろうか。
昭和から平成 小渕恵三
via www.youtube.com
80年代、90年代の歴代総理大臣から時代を探る - Middle Edge(ミドルエッジ)
今も海外で「有名な日本人」と言えば、天皇陛下や野球のイチローなどとともに、時の総理大臣が名を連ねるように、総理大臣は良くも悪くもその時代を象徴する存在です。そこで、80年代から90年代にかけての総理大臣を振り返りながら、当時の時代をプレイバックしていきましょう。
嵐の”年賀はがきのCM”が懐かしい
「そうか、平成30年か!」と嵐の台詞で始まる日本郵便の年賀はがきCM。30秒のCMの中で、29年間の出来事がスライドショーのように流れ、何かと振り返る事の多い年末らしい内容となっている。
年賀はがき 【そうか、平成30年か!篇(30秒)】
via www.youtube.com
このウェブサイト・ミドルエッジで主に扱っている1970年~2000年内で、1989年から始まる平成は12年間ある。
同CMでいえば、平成元年の「ベルリンの壁崩壊」、平成3年の「初のケータイ発表(デジタル方式)」、平成5年の「ルーズソックス流行」、平成9年の「きんさん ぎんさん」、平成10年の「ガングロブーム」、平成11年「嵐、結成」、平成12年の「2000年ミレニアムイヤー」など、懐かしい出来事が並び、当時を知る方なら「あれが平成〇〇か」と時間の経過に感慨を覚えたのではないだろうか。
”平成生まれ”も来年で「そうか、三十路か!」。若さの象徴だった彼らも立派なアラサーという事実に改めて驚かされる。
同CMでいえば、平成元年の「ベルリンの壁崩壊」、平成3年の「初のケータイ発表(デジタル方式)」、平成5年の「ルーズソックス流行」、平成9年の「きんさん ぎんさん」、平成10年の「ガングロブーム」、平成11年「嵐、結成」、平成12年の「2000年ミレニアムイヤー」など、懐かしい出来事が並び、当時を知る方なら「あれが平成〇〇か」と時間の経過に感慨を覚えたのではないだろうか。
”平成生まれ”も来年で「そうか、三十路か!」。若さの象徴だった彼らも立派なアラサーという事実に改めて驚かされる。
平成以外の候補は「修文」と「正化」だった
政府は昭和天皇崩御の当日の午後には「平成」「修文」「正化」という3つの候補を提示している。
その際、「元号に関する懇談会」や衆参両院正副議長委員から、ローマ字表記の頭文字が昭和と同じく「S」となる「修文(しゅうぶん)」(Shubun)・「正化(せいか)」(Seika)の2候補は不都合ではないかという意見が出たため、ローマ字の頭文字が「H」である「平成(へいせい)」(Heisei)に全員一致で決まった経緯がある。
その際、「元号に関する懇談会」や衆参両院正副議長委員から、ローマ字表記の頭文字が昭和と同じく「S」となる「修文(しゅうぶん)」(Shubun)・「正化(せいか)」(Seika)の2候補は不都合ではないかという意見が出たため、ローマ字の頭文字が「H」である「平成(へいせい)」(Heisei)に全員一致で決まった経緯がある。
平成は「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味であり、真偽は定かではないが幕末の「慶応」改元の際も候補に上がっていたともされている。
「修文」は古典中国文学者の目加田 誠(めかだ まこと)が、「正化」は儒学者、国語学者の宇野精一が提案した。
「正化」については「先代の天子も明らかな徳を持っており、今の天子も明らかな徳を持っておられる。重なる明るさが正しいことについてこそ、天下の万物を成育させ成長させることができる」という意味があるという。
前述の河東さんによれば、事前に候補は3つあるのではと聞いていたので、発表当日は紙を4枚用意していたそう。しかし、伝えられたのは「平成」のみ。結局4枚目が丁重に運び出されたそう(ちなみに最初から4枚目を提出しようとしていたらしい)。
「修文」は古典中国文学者の目加田 誠(めかだ まこと)が、「正化」は儒学者、国語学者の宇野精一が提案した。
「正化」については「先代の天子も明らかな徳を持っており、今の天子も明らかな徳を持っておられる。重なる明るさが正しいことについてこそ、天下の万物を成育させ成長させることができる」という意味があるという。
前述の河東さんによれば、事前に候補は3つあるのではと聞いていたので、発表当日は紙を4枚用意していたそう。しかし、伝えられたのは「平成」のみ。結局4枚目が丁重に運び出されたそう(ちなみに最初から4枚目を提出しようとしていたらしい)。
show-wa hei-say (^^♪ 2022/4/12 07:00
昭和の元号替え歌「笑点」と「君が代」1990年代初頭頃からやりはじめたような・・・
きわめて歌わないけど令和は「セーラー服を脱がさないで」
平成はすべて「甲子園の野球」がお題