今はピン芸人だけど、昔はコンビ、トリオだった芸人たち
今の時代、30代、40代でも若手なんて言われるほど競争の激しい芸人の社会。そんな社会で、第一線で活躍しているピン芸人のなかには、昔はコンビ、トリオで下積み時代を過ごしていた人も少なくないのです。そこで、ここでは「今はピン芸人だけど、昔はコンビ、トリオだった芸人たち」を題して、若かりし時代を振り返ってみましょう。
劇団ひとり
1994年に、秋永和彦とお笑いコンビ「スープレックス」を結成。NHKオンエアバトルでも高ポイントを獲得するなど、お笑い好きでは知られてきた存在だったが、劇団ひとりの遅刻癖などの影響もあり、ブレイクせず。2000年に解散。
スープレックスとはかつて太田プロダクションに所属していたお笑いコンビである、1994年4月結成。
主にコント、漫才を得意とし、数々のテレビ番組に出演して活躍し期待されたが、2000年4月にコンビ解散。
ダンディ坂野 TV初出演 スープレックス 他若い頃の映像 - YouTube
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ビビる大木
「ビビる大木」と言う芸名どおり、1995年に大内登と「ビビる」を結成。コント師として人気を博していたが、2002年に大内が芸能界引退に伴い解散。
ちなみに、現在大内は、制作会社のプロデューサーとして業界内で活躍中。
ちなみに、現在大内は、制作会社のプロデューサーとして業界内で活躍中。
ビビるは、大木淳と大内登からなる日本のお笑いコンビ。1995年から2002年4月まで活動した。所属事務所はワタナベエンターテインメント(デビュー当時は太田プロダクション)。
結成のきっかけは、大内がNHKの番組に出演していた大木の姿を見て興味を持ち、「相方になりたい」と投書したことに始まる。そのはがきが大木の目に留まり結成に至ったものの、結成当時の大内はお笑いに関して何も知らない全くの素人であり、大木は大変苦労したという。当初の大木と大内の関係は「相方」というよりも、「芸人と、そのファン」といった感じだった。
1995年の結成以後、『笑う犬の冒険』(フジテレビ系)など、様々なバラエティ番組に出演し人気を博したが、2002年4月に『ビビるの@llnightnippon.com』(ニッポン放送)にて大内が芸能界引退を発表した。
有吉弘行
via topicks.jp
今や多くのMC番組を持つほど不動の人気を得た有吉弘行。ご存知のとおり、電波少年でユーラシア大陸ヒッチハイクの旅をした「猿岩石」のコンビ芸人だった。
「猿岩石」時代は、実力と言うよりミーハー的な人気だったが、実力があるのでピンでも上がってきた感じですね。
「猿岩石」時代は、実力と言うよりミーハー的な人気だったが、実力があるのでピンでも上がってきた感じですね。
猿岩石(さるがんせき)はかつて太田プロダクションに所属していたお笑いコンビ。
2人とも小学生時代からの幼馴染である。オール巨人に半年間弟子入りしていた有吉が巨人から謹慎を命じられ、広島の自宅に戻った後、1994年4月に結成。グループ名の由来は、中学校時代の有吉と森脇それぞれの片思いの女の子のあだ名、「猿女房」「ほくろ岩石」の「猿」と「岩石」をくっつけて出来た。「猿女房」は「猿に似た男の子とつきあっていた」から、「ほくろ岩石」は「岩石みたいなほくろが顔にあった」からついたあだ名とされる。なお、有吉は、ブレイク後、オール巨人からは正式に「破門」となっている。巨人は有吉に対して「有吉も辛かったんだろ。」と、ねぎらいの言葉をかけた。
猿岩石 ゴーーール! - YouTube
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土田晃之
1992年に対馬盛浩と二人で「U-turn」を結成。
ボキャブラ天国で、ネプチューン、爆笑問題らと出演して、知名度を上げるが、1999年に1度だけ「爆笑オンエアバトル」に出演したが、342KBで7位オフエアになるなど実力はイマイチだった!?
ボキャブラ天国で、ネプチューン、爆笑問題らと出演して、知名度を上げるが、1999年に1度だけ「爆笑オンエアバトル」に出演したが、342KBで7位オフエアになるなど実力はイマイチだった!?
八 2021/2/20 13:39
古坂大魔王もいるんだが(かつては「底ぬけAIR-LINE」というトリオ【後にコンビ】だった)。
g 2018/11/17 19:33
B21スペシャルは解散していませんよ。