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名前のまんま、透き通るような心を持ち主である水野透は、東大阪市生まれ生野区育ち。
小学生のときに横山やすし・西川きよし、中田カウス・ボタン、坂田利夫、レッツゴー三匹の漫才や吉本新喜劇に遭遇し、
「お笑いはいいなあ」
と思ったが、中学生になると、吉田拓郎、泉谷しげる、南こうせつらによるフォークソングブームが到来すると
「その瞬間、お笑いになりたいというのは消えました」
ビートルズなど洋楽も聴き始め、吉田拓郎に憧れた水野透は、中3でギターを始め、高校になるとプロレスも好きになって、
「プロレスと誰も聴いてないような洋楽。
こうなってくると仲間が限られてきて、少数精鋭を集めて教室の端っこの方で話ししてました」
大阪の桃山学院大学に入学すると、
「ミュージシャンにはなれない」
と思い「桃山学院大学プロレス研究会」を創った。
小学生のときに横山やすし・西川きよし、中田カウス・ボタン、坂田利夫、レッツゴー三匹の漫才や吉本新喜劇に遭遇し、
「お笑いはいいなあ」
と思ったが、中学生になると、吉田拓郎、泉谷しげる、南こうせつらによるフォークソングブームが到来すると
「その瞬間、お笑いになりたいというのは消えました」
ビートルズなど洋楽も聴き始め、吉田拓郎に憧れた水野透は、中3でギターを始め、高校になるとプロレスも好きになって、
「プロレスと誰も聴いてないような洋楽。
こうなってくると仲間が限られてきて、少数精鋭を集めて教室の端っこの方で話ししてました」
大阪の桃山学院大学に入学すると、
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2年後、同大学に西成で数十年続く和菓子屋の長男で、
「プロレスとアイドルが好きなオタクやった」
という藤原光博が入学。
プロレス研究会の部員勧誘ポスターが、アントニオ猪木でもジャイアント馬場でもなくWWFヘビー級チャンピオンのボブ・バックランドであることに興味を持って食入るように眺めていると
「ちょっとチミチミ、プロレス好きなの?」
といわれ、
(天才バカボンのセリフみたいだな)
と思いつつ、振り返ると丸顔の男がいて
(油すまし(熊本県の妖怪)みたいな顔したオッサンやな)
と思いつつ、
「好きなのだ~」
と答えた。
それがポスターの作成者、水野透だった。
水野透は、新日本プロレスのアントニオ猪木派。
藤原光博は、全日本プロレスのジャイアント馬場派。
そんな2人は、すぐに意気投合。
藤原光博は、「バイブ藤原」がリングネームでリングに上がり、水野透は実況者として大学プロレスを盛り上げ、人気者の先輩後輩となった。
「プロレスとアイドルが好きなオタクやった」
という藤原光博が入学。
プロレス研究会の部員勧誘ポスターが、アントニオ猪木でもジャイアント馬場でもなくWWFヘビー級チャンピオンのボブ・バックランドであることに興味を持って食入るように眺めていると
「ちょっとチミチミ、プロレス好きなの?」
といわれ、
(天才バカボンのセリフみたいだな)
と思いつつ、振り返ると丸顔の男がいて
(油すまし(熊本県の妖怪)みたいな顔したオッサンやな)
と思いつつ、
「好きなのだ~」
と答えた。
それがポスターの作成者、水野透だった。
水野透は、新日本プロレスのアントニオ猪木派。
藤原光博は、全日本プロレスのジャイアント馬場派。
そんな2人は、すぐに意気投合。
藤原光博は、「バイブ藤原」がリングネームでリングに上がり、水野透は実況者として大学プロレスを盛り上げ、人気者の先輩後輩となった。
ラブアタック!
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さらに藤原光博は、「浪花のモーツァルト」ことキダ・タローがテーマ曲を担当し、和田アキ子、横山ノック、上岡龍太郎司会の視聴者参加型の恋愛バラエティ番組「ラブアタック」に出演した。
当初は関西ローカル番組で、男性参加者の大半が関西の大学生や専門学校生。
彼らは「アタッカー」となって、5人一組で様々なゲームに挑戦。
優勝すると少し高いところに座っている女性参加者「かぐや姫」に愛の告白。
上岡龍太郎が
「○○君の運命はいかに!
まいります!
スイッチオン!」
というと、観客と敗れたアタッカーたちは
「落ちろ!落ちろ!」
とコール。
かぐや姫が「YES」のスイッチを押せば、カップル成立し、ファンファーレが流れ、天井に吊るされていたクス玉が割れ、大量の紙吹雪と紙テープ。
「NO」のスイッチを押せば、しおれた音楽と共にアタッカーはステージ下の「奈落の底」へ強制降下。
当初は関西ローカル番組で、男性参加者の大半が関西の大学生や専門学校生。
彼らは「アタッカー」となって、5人一組で様々なゲームに挑戦。
優勝すると少し高いところに座っている女性参加者「かぐや姫」に愛の告白。
上岡龍太郎が
「○○君の運命はいかに!
まいります!
スイッチオン!」
というと、観客と敗れたアタッカーたちは
「落ちろ!落ちろ!」
とコール。
かぐや姫が「YES」のスイッチを押せば、カップル成立し、ファンファーレが流れ、天井に吊るされていたクス玉が割れ、大量の紙吹雪と紙テープ。
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Amazon.co.jp: 「今日の清水君」365 days Kei Freedamn!」 : 清水圭: 本
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「ラブアタック」は、特別企画として女性が告白する「女性アタッカー大会」や夏休みに行われる「小学生大会」などもあったが、特に人気があったのは数ヵ月に1度行わエる、かつて告白に失敗したアタッカーが再挑戦する「みじめアタッカー大会」
「みじめアタッカー」の中には、清水圭、松本竜助、トミーズ雅、大川興業総裁の大川豊、放送作家の百田尚樹、ジャーナリストの菅沼栄一郎などもいて、「みじめアタッカー大会」に繰り返し出場することは一種のステータスだった。
「テレビに出てみたい」
という動機で、半ば常連のように番組に出たものの、女性経験がまったくなかった藤原光博は、体を硬直させながらかぐや姫に3回告白し、3回フラれ、「みじめアタッカー」となった。
大学在学中の1981年の元旦に偶然、深夜ラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」の第1回放送を聴き、
「初めて寝ながら腹抱えて笑った」
という水野徹は、ビートたけしに憧れ続け、大学卒業後、食品会社に就職したが、
「やっぱりたけしさんみたいになりたい」
と3ヵ月で辞めて、弟子になるために上京。
「オールナイトニッポン」の収録が行われているニッポン放送で出待ち。
そして弟子入りを志願し、履歴書を渡した。
ビーとたけしが、
「今、弟子がいっぱいで新規はとってないんだよ」
といってタクシーに乗ると、水野透は、タクシーを拾って追跡。
信号待ちで2台のタクシーが横に並んだとき、ビートたけしが窓を開け、体を大きく乗り出し、手渡した履歴書をみせながら
「ちゃんと読んどくから」
といって手を振ってくれた。
あまりにうれしかった水野徹は、それで満足してしまい、以降、弟子入り志願しには行かず、返事をもらう前にホームシックになって、大阪に帰った。
そして藤本義一が主宰してた「笑の会」のオーディションを受けて合格。
「お前たちは止まることを許されない」
といわれ、4人組ユニット「ザ・駐車禁止」を組んだが、半年で解散。
水野徹は、その後、1年間はお笑いの活動ができず、「ザ・駐車禁止」を観に行っていた藤原光博は
「レッカー移動されよったな」
と思った。
「初めて寝ながら腹抱えて笑った」
という水野徹は、ビートたけしに憧れ続け、大学卒業後、食品会社に就職したが、
「やっぱりたけしさんみたいになりたい」
と3ヵ月で辞めて、弟子になるために上京。
「オールナイトニッポン」の収録が行われているニッポン放送で出待ち。
そして弟子入りを志願し、履歴書を渡した。
ビーとたけしが、
「今、弟子がいっぱいで新規はとってないんだよ」
といってタクシーに乗ると、水野透は、タクシーを拾って追跡。
信号待ちで2台のタクシーが横に並んだとき、ビートたけしが窓を開け、体を大きく乗り出し、手渡した履歴書をみせながら
「ちゃんと読んどくから」
といって手を振ってくれた。
あまりにうれしかった水野徹は、それで満足してしまい、以降、弟子入り志願しには行かず、返事をもらう前にホームシックになって、大阪に帰った。
そして藤本義一が主宰してた「笑の会」のオーディションを受けて合格。
「お前たちは止まることを許されない」
といわれ、4人組ユニット「ザ・駐車禁止」を組んだが、半年で解散。
水野徹は、その後、1年間はお笑いの活動ができず、「ザ・駐車禁止」を観に行っていた藤原光博は
「レッカー移動されよったな」
と思った。

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1986年1月、25歳の水野透は、雑誌で吉本興業の新人オーディション出場者募集の記事を発見。
「1人ででけへんな」
と思い、1年留年して大学5年生になっていた23歳の藤原光博を
「一緒に出えへん?」
と誘った。
学園祭とプロレス以外は何もせず、勉強をまったくやっていなかった藤原光博は、一緒にバカをやっていた仲間が卒業するのをみて、初めて陰で勉強もしていたことを知り、
「嘘つき」
と思いながら留年。
その後は1人ぼっちになって登校してもまったく面白くない上、親に罪悪感を感じて5年生の学費だけは自分で払おうと、あまり学校には行かずにアルバイト。
将来、和菓子屋を継ぐことを考えていたが、水野透に
「俺が黒澤になるから、お前は三船になれ」
といわれ、お笑いの道へ進んだ。
こうして「リットン調査団」というコンビが誕生。
黒澤明監督と三船敏郎のように水野透がネタを書き、藤原光博が演じるという関係性ができた。
「1人ででけへんな」
と思い、1年留年して大学5年生になっていた23歳の藤原光博を
「一緒に出えへん?」
と誘った。
学園祭とプロレス以外は何もせず、勉強をまったくやっていなかった藤原光博は、一緒にバカをやっていた仲間が卒業するのをみて、初めて陰で勉強もしていたことを知り、
「嘘つき」
と思いながら留年。
その後は1人ぼっちになって登校してもまったく面白くない上、親に罪悪感を感じて5年生の学費だけは自分で払おうと、あまり学校には行かずにアルバイト。
将来、和菓子屋を継ぐことを考えていたが、水野透に
「俺が黒澤になるから、お前は三船になれ」
といわれ、お笑いの道へ進んだ。
こうして「リットン調査団」というコンビが誕生。
黒澤明監督と三船敏郎のように水野透がネタを書き、藤原光博が演じるという関係性ができた。
そして南海ホール(後の心斎橋筋2丁目劇場)」で行われていた、芸人として4年先輩に当たるダウンタウンが司会を務める番組「心斎橋お笑い探検隊」の素人コーナーに出演。
このオーディション形式のコーナーに合格し、プロの芸人に。
このときに一緒にオーディションを受けたNSC出身の今田耕司、板尾創路、蔵野孝洋、そして東野幸治と
「ほぼ同期」
となった。
ちなみに年齢では、
1960年生まれ、水野透
1962年生まれ、藤原光博
1963年生まれ、松本人志、浜田雅功、板尾創路、蔵野孝洋
1966年生まれ、今田耕司
1967年生まれ、東野幸治
とリットン調査団が1番上だった。
このオーディション形式のコーナーに合格し、プロの芸人に。
このときに一緒にオーディションを受けたNSC出身の今田耕司、板尾創路、蔵野孝洋、そして東野幸治と
「ほぼ同期」
となった。
ちなみに年齢では、
1960年生まれ、水野透
1962年生まれ、藤原光博
1963年生まれ、松本人志、浜田雅功、板尾創路、蔵野孝洋
1966年生まれ、今田耕司
1967年生まれ、東野幸治
とリットン調査団が1番上だった。
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水野透は、最初、舞台に出られただけで喜んでいたが、NSC出身者の今田耕司、板尾創路、蔵野孝洋や自分たちと同じ素人出身の東野幸治のネタの面白さに
「これはアカン。
このままやと負ける」
と焦り、しかも
「ウケたら来週も出してくれる。
ウケなかったら次の週はお休み。
ただしネタは常に新ネタ。
週に1個つくってこいみたいな」
という雇用形態の中、パン屋でアルバイトしながら必死にネタづくり。
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一方でパン屋で年下の2人の女性従業員から
「芸人やってはるんですか?」
と聞かれ、
「そやねん」
と答えると
「よかったら芸人さん呼んで、コンパしません?」
といわれた。
オーディションで芸人になって、まだ数ヵ月。
今田耕司、板尾創路、蔵野孝洋、東野幸治らと、やっと仲良く話せるようなったばかりだったので
「呼べる芸人、相方だけやけど」
と答えたが、女性たちは、それでもよいといった。
水野透は彼女がいたが、藤原光博にはいなかったので、
「俺が横にいてるし、なにかきっかけになれば・・・」
と思っていた。
そしてコンパ当日、2人の女性は非常に積極的で、緊張しながら真面目に、しかも必死に話す藤原光博を
「ピュアやわ」
と気に入り、コンパは盛り上がった。
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生まれて初めてモテた藤原光博は、コンパの後、2人の女性と連絡を取り続けたが、決して積極的ではなかった。
理由は、子供の頃から、
「男は風俗とか行くけど、女は結婚するまで処女」
「女性は、性欲がない清らかで美しいもの」
「街角のカップルとかもただ映画観に行ったり遊園地行ったりしているだけ」
と信じ続けたこと。
「自分は男やけど本当に好きな人ができて結婚するまでやらんとこう」
と決めていたが、大学で水野透に
「彼女いてるっていうけどセックスはしてないよな」
と聞いたとき、
「なにいうてんねん。
してるよ」
といわれ、
「ヤッてんねや」
と衝撃を受け、
「これはヤラな損やがな」
と思ったが
「風俗とかよりちゃんと付き合う子の方がいい」
と思い、お店に行くことは我慢し、
「せっかくここまで来たら、お金を払うとかじゃなくて、普通に出会って普通につき合って、海が見える白いコテージでやろう
と誓っていた。
そこに自分に好意を持ってくれる女性が2人も現れたから、さあ大変。
それでも
「でも僕は好きじゃないから、そんなんしたらアカン」
と思っていた。
理由は、子供の頃から、
「男は風俗とか行くけど、女は結婚するまで処女」
「女性は、性欲がない清らかで美しいもの」
「街角のカップルとかもただ映画観に行ったり遊園地行ったりしているだけ」
と信じ続けたこと。
「自分は男やけど本当に好きな人ができて結婚するまでやらんとこう」
と決めていたが、大学で水野透に
「彼女いてるっていうけどセックスはしてないよな」
と聞いたとき、
「なにいうてんねん。
してるよ」
といわれ、
「ヤッてんねや」
と衝撃を受け、
「これはヤラな損やがな」
と思ったが
「風俗とかよりちゃんと付き合う子の方がいい」
と思い、お店に行くことは我慢し、
「せっかくここまで来たら、お金を払うとかじゃなくて、普通に出会って普通につき合って、海が見える白いコテージでやろう
と誓っていた。
そこに自分に好意を持ってくれる女性が2人も現れたから、さあ大変。
それでも
「でも僕は好きじゃないから、そんなんしたらアカン」
と思っていた。