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日本のガールズバンドで最も成功したバンド
プリンセス プリンセス(PRINCESS PRINCESS)は、日本のガールズロックバンドである。活動期間は1983年 - 1996年および2012年、2016年。ガールズバンドのパイオニアとなり、ヒット曲を連発。女性のみで構成されたバンドの中で、商業的に日本で最も成功したグループである[1][2]。略称は『プリプリ』。
1986年ミニアルバム「Kissで犯罪」でデビュー。
「Diamonds」(1989)「世界でいちばん熱い夏」(1989)「OH!YEAH!」(1990)」「ジュリアン」(1990)「KISS」(1991)など、シングルを発売するたびにオリコン1位を続々獲得、アルバム「LOVERS」「プリンセス・プリンセス」などは、ミリオンセールスを記録するなど快進撃を続け、1989年には女性だけのバンドとしては初の武道館公演を行った。1996年5月31日、武道館公演をもってその活動に終止符を打ったが、13年に渡る活動の中で、ライブでは190万人を動員、解散後の今もなお、ガールズバンドのパイオニアとしてその存在・楽曲たちが多くの人に親しまれ続けている。
失礼を承知で書くが「プリンセスプリンセス」はライブは上手くなかったと思う。スタジオ録音はともかく、ライブではどうしても粗が目立った。本人たちも歯痒い部分はあったのではないかと思う。
ただ、そこには、勢いというか、一生懸命さがあって、特に初期の頃は、奥居のボーカルと富田のドラムスがその音楽を支えていたと思う。
ただ、そこには、勢いというか、一生懸命さがあって、特に初期の頃は、奥居のボーカルと富田のドラムスがその音楽を支えていたと思う。
Vibration~冗談じゃない PRINCESS PRINCESS - YouTube
初期のアルバム「TELEPORTATION」から「Vibration」と「冗談じゃない」のライブバージョン。両方とも大好きな曲で、ライブでも定番だった。メンバー紹介が写っているが、技量の不足だったのか、ソロを披露するという知識がなかったのか。ライブとしては勿体ない場面になっている・
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バンドの来歴、デビューからシンコーミュージック移籍まで
<オーディションからデビュー直後まで>
ガールズバンドのオーディション、「赤坂小町」としてデビュー。当初は、完全なアイドル路線で、バンドというイメージも全然ない。
ガールズバンドのオーディション、「赤坂小町」としてデビュー。当初は、完全なアイドル路線で、バンドというイメージも全然ない。
1983年2月、ガールズバンド結成のための楽器ごとのオーディションがTDKレコード主催で行われ、5人のメンバーが選出されて結成。当初のバンド名は「赤坂小町(あかさかこまち)」。このバンド名の由来については、「当時のTDKレコードの所在地であった『赤坂』から」、「『漢字4文字のバンド名をつけてほしい』と依頼されたある雑誌編集者によって名付けられた」、「雑誌上での公募で付けられた」など多くの説がある。5月29日、銀座の山野ホールで初ライブを行う。
1984年3月21日、TDKレコードより、シングル「放課後授業」でデビュー。この頃、奥居は「ヴォーカル&ベース」から「ヴォーカル&ギター」に、渡辺は「ギター」から「ベース」に、それぞれパート変更する(パート変更の時期は、富田によると「放課後授業」のリリース前[4]、渡辺によると同シングルのリリース後[5]とされており、ライブ年表によると、「放課後授業」発売の約1ヶ月半後の1984年5月8日のシャープ会館イベントがパートチェンジ後の初ライブとされている[6])。
<所属事務所の移籍、バンド名の変更>
所属事務所をTDKレコードから音楽座へ変更し、併せて「赤坂小町」というバンド名を「JULIAN MAMA」へ改名。さらに、シンコーミュージックへ移籍し、移籍前に、バンド名を「PRINCESS PRINCESS」へ変更している。
所属事務所をTDKレコードから音楽座へ変更し、併せて「赤坂小町」というバンド名を「JULIAN MAMA」へ改名。さらに、シンコーミュージックへ移籍し、移籍前に、バンド名を「PRINCESS PRINCESS」へ変更している。
1985年事務所が与えるアイドル的な仕事に違和を覚えたことや、音楽性の違いから、所属事務所をTDKレコードから音楽座(ミュージカル劇団音楽座とは別の事務所)へと移籍する。ここでバンド名を「JULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)」に改名する。JULIAN MAMA時代はシングル、アルバムのリリースは無かった。
1986年2月、ミニアルバム『Kissで犯罪(クライム)』でCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)よりデビュー。この時、バンド名を「PRINCESS PRINCESS」へと再び改名する(名づけ親はムーンライダーズの岡田徹)。この『Kissで犯罪』のプロモーションビデオを事務所関係者が見たことがきっかけで、シンコーミュージックが彼女らへの接触、移籍交渉を開始することになる。
11月、所属事務所であった音楽座との意見の相違等もあり、音楽座との話し合いをへて音楽座からシンコーミュージックに移籍する[7]。
バンドの転機になった「キスで犯罪(キスでクライム)」。音楽座からシンコーミュージックへの移籍の切欠になった。
Princess Princess Debut Live 1986.5.24 - Kiss De Crime&やさしい殺意.mp4 - YouTube
プリンセス・プリンセス デビューライブ Kiss De Crime&やさしい殺意 "Princess Princess (band)" Debut Concert
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飛躍の年、1988年
1988年、3枚目のシングル「MY WILL」が、スポーツ用品店「ヴィクトリア」のCMソングに起用されたことをきっかけとして注目を集め、フジテレビの夜のヒットスタジオDELUXEに初出演を果たす。
2月、後にバンドの代表曲の1つとなる4枚目のシングル「19 GROWING UP -ode to my buddy-」をリリースする。この時期からたびたびテレビドラマやCMのタイアップに起用されるようになり、バンドの知名度、CD売上も上昇していく。
4月、結成当初から目標の一つとしていた渋谷公会堂ライブを行う。チケットは発売開始からわずか2時間で完売。この頃からライブ会場をライブハウスからホールへと移行させていく。
5月、5枚目のシングル「GO AWAY BOY」リリース。資生堂夏のキャンペーンソングに起用される。続く6枚目のシングル「GET CRAZY!」も月9テレビドラマ『君が嘘をついた』の主題歌に起用された。
11月、4枚目のアルバム『LET'S GET CRAZY』リリース。収録曲の「M」は後にリリースされるシングル「Diamonds」のカップリング曲にもなり、バンドを代表する曲の一つとなる。
princess princess M 1990年 - YouTube
横浜アリーナ 1990年
「プリンセスプリンセス」のバラードの代表曲。
「プリンセスプリンセス」のバラードの代表曲。
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バンドの絶頂期<1989年~1993年> ガールズバンドのブームを呼んだ
1989年から「プリンセスプリンセス」は、バンドの絶頂期へ入る。
シングルカットされた曲が5枚連続でチャート1位を獲得。同時期に発売されたオリジナル・アルバムもチャート1位を獲得。
「ZELDA」「SHOW-YA」と並んで「ガールズバンド」の牽引役になった。
シングルカットされた曲が5枚連続でチャート1位を獲得。同時期に発売されたオリジナル・アルバムもチャート1位を獲得。
「ZELDA」「SHOW-YA」と並んで「ガールズバンド」の牽引役になった。
日本における初期のガールズバンドとしては、1979年に結成されたZELDAが挙げられる。
1985年にはSHOW-YA、1986年にはプリンセス プリンセスがメジャーデビューし、ガールズバンドブームを起こす[2]。1988年にはGO-BANG'Sがメジャーデビュー。1989年からTBSテレビで放送された三宅裕司のいかすバンド天国にも、PINK SAPPHIRE、NORMA JEAN、THE NEWS等のガールズバンドが出場した。
<チャート1位となったシングル>
7th 1989年4月21日 Diamonds 1位
8th 1989年7月1日 世界でいちばん熱い夏<ORIGINAL VERSION> 1位
9th 1990年4月21日 OH YEAH! 1位
10th 1990年11月21日 ジュリアン 1位
11th 1991年5月10日 KISS 1位
<チャート1位を獲得したアルバム>
5th 1989年11月17日 LOVERS 1位
6th 1990年12月21日 PRINCESS PRINCESS 1位
7th 1991年12月7日 DOLLS IN ACTION 1位
シングル集 1992年7月15日 SINGLES 1987-1992 1位
8th 1993年1月21日 BEE-BEEP 1位