ゴッドファーザー製作に反対しとるやんっ!
1971年6月28日、コロンボは同公民権同盟のフェスティバルを開催する。イタリア系マフィアのボスの一人、カルロ・ガンビーノ(後に、カンビーノ一家を全米最強のマフィアにしたとされる人物)がフェスティバルの中止を求めたが、目立ちたがりのコロンボはまったく耳をかさなかった。
このやり取りのさなか、新聞記者に扮した25歳のストリートハスラー、ジェローム・ジョンソンがコロンボに3発の銃弾を撃ち込む。その直後、ジョンソンは別の男に銃殺された。現場には1,000人以上の人がいたにも関わらず、ジョンソンを殺害した男が捕まることはなかった。コロンボは一命を取り留めたものの四肢麻痺の状態となり、その6年後の1977年に死亡する。
これらの話になんとなく聞き覚えのある方もいるだろう。なぜなら、『ゴッドファーザー』PartⅢの登場人物、ジョーイ・ザザのモデルとなったのは、他ならぬこのコロンボだったからである
映画なら良かったのにねって映画でも殺されてるわ・・・
ゴッドファーザーも実在したんです。
via blog.livedoor.jp
チャールズ・「ラッキー」ルチアーノ(1897年11月24日 - 1962年1月26日)
アメリカ合衆国のイタリア系犯罪組織マフィア(コーサ・ノストラ)の最高幹部で組織改革者。犯罪シンジケートの立案者。本名はサルヴァトーレ・ルカーニア。
マフィアの古いしきたりをやめてビジネスとして組織し、人種にこだわらずにアメリカ的な合理性を追求して勢力を拡大した。
イタリアへ追放されてからは麻薬コネクションを形成し、暗黒街を大いに富ませた。
ドン・マイケル・コルレオーネのモデルと言われています。
全作を通じて、マフィア業界でも、交渉時はあくまでポーカーフェイスが大事だなと感じるワンシーン
ソロッツォが話をまとめようとコルレオーネを訪ねてくる。彼は「ドン・コルレオーネ、わたしにはニューヨークで麻薬を売りさばくために、政界のコネと一〇〇万ドルの資金が必要だ」と切り出した。「コルレオーネの取り分は利益の三〇%」とソロッツォ。ドンは「ずいぶん気前のいい申し出だな」と応じる。ソロッツォは「この一〇〇万ドルは有利な投資になるでしょう」と乾杯を申し出るが、ドンは気乗りのしない顔で「だがわたしの返事はノーだ。確かにわたしは政界に友人は多い。しかし麻薬に手を出せばそうした有力者の信頼を失ってしまう。彼らは、とばくは無害だが麻薬は害毒だと思っている。あなたの商売は少々危険だ」と応える。
「ドンはリスクを感じているから気乗り薄なんだ」と考えたソロッツォは、「あなたの出資金についてはタッタリアファミリーが保証する」とたたみかける。その言葉にもかぶりを振ろうとしたドンを遮って、息子のソニーが横から「タッタリアが保証してくれるのなら安心だ」と身を乗り出す。ドンはそれを「待て」と制する。「困ったヤツだ、本心を敵に見せるとは」という表情のドン。
ソロッツォに向かって、「子供を甘やかすとこれだ、すぐ口をはさみたがる。それでもわたしの返事は変わらない。あなたの健闘と成功を祈っている」。一同は席を立ち握手をしてソロッツォを見送った。
この会談でソロッツォは、「ドンがいる限り麻薬取引に協力は得られないが、息子がこのファミリーの跡を継げば自分のビジネスはうまくいく」という感触をつかんだ。それがこの後大きな悲劇を生むことになる。
via i2.gensun.org
こんな悲しい表情していたらすぐに舐められますね
via i1.gensun.org
やっぱりドンとしてなくちゃっ!