5番 山崎隆造
1990年以降は外野に加えて三塁手としての出場が増え、1993年シーズン終了後に現役引退した。その後はコーチ、二軍監督を経て2001年から一軍守備走塁コーチ(一塁・三塁ベースコーチ)を務めた。2003年に「隆造」から「立翔」に改名。2006年から再び二軍監督に就任し、2011年まで務め同年限りで辞任した。
この人も、選手時代も監督・コーチ時代ともに、ずっと広島でした。広島の選手はカープを愛している人が多いですよね。
6番 小早川毅彦
コーチ時代の小早川毅彦
1996年オフに戦力外通告受け球団から解説者としての再就職や指導者転向打診されたが現役続行希望し自由契約となりヤクルトに移籍、その後2006年より広島打撃コーチに就任、2010年からは再びNHK野球解説者およびサンケイスポーツ野球評論家を務めている。
7番 江藤智
江藤智
江藤智と言えば巨人や西武時代の印象もありますが、この人もカープでした!1991年は彼にとって2年目。肩を故障したのと打撃を生かすためにこの年から捕手から内野手(主に三塁手)に転向。初の2桁本塁打を記録、打率は開幕当初は好調に推移したが、後半は不調に陥り2割前半と振るわず、レギュラー定着はならなかった。
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8番 達川光男
達川光男
カープの捕手と言えば今でもこの人の印象はありますよね。達川といえば「ささやき戦術」「デッドボール」(ともに後述)などのトリックプレーで知られるが、捕手としての高い技術も持ち合わせていました。達川光男とっての1991年は引退する前の年でした。成績は120試合出場して、.237でしたが、四球は41回あり、彼の現役時代の中では最も多かった年でした。
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珍プレーキング捕手〈達川光男〉 - Middle Edge(ミドルエッジ)
2試合に1回のペースで珍プレーを出していたといわれる伝説の名捕手「達川光男」さんの生い立ちや、面白珍エピソードをご紹介していきます。
野球解説者としては、地元の広島を中心に活動。プロ野球中継・関連番組では、広島弁を交えて解説する。また、天才的な選手に対しては、「モノが違いますね」という表現で称賛することが多い。このようなキャラクターに加えて、関西や東京での活動も経験しているため、全国規模の知名度を得ている。
引退後は、主に解説で活躍されているようですが、様々な球団のバッテリーコーチとしても活躍しているようです。
1991年は投手が最強だった!
この年は、失点が少なかったから優勝できたと言われています。失点はセリーグ1位の466点。逆に、得点は516点ですが、リーグ5位の成績でした。防御率も3.23とリーグ1位の成績でした。そんな、すばらしい主な投手を振り返ってみましょう。
(先)佐々岡真司
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現在は二軍投手コーチとして活躍
この人も、現役引退まで2007年までずっとカープでした。引退後解説者などをしていた次期もありましたが、2014年からカープの二軍投手コーチとして活躍中。2016年のカープの優勝は彼にとっても嬉しい事だったでしょうね。
(先)川口和久
川口和久
広島には1981年〜1994年まで1995年〜1998年は巨人にで活躍した、川口和久選手にとって1991年は、29試合に登板して、12勝8敗という成績。さらにリーグトップの230奪三振を記録も残しました。