「台湾プレーヤーのパイオニア」郭源治
1981年1月に社会人野球の選手を主体にした日本代表との対戦で、完封勝利を収めた投球が目に留まり、中日と契約した郭源治選手。兵役期間の問題があったため、来日したのは兵役終了後の7月までずれ込みました。初登板、初先発となった8月30日の対大洋戦では151km/hの速球を連発。途中足がつるアクシデントに見舞われて7回1失点でマウンドを降りますが、見事に初勝利を飾ります。
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来日一年目は結局この1勝に終わったものの、翌1982年シーズンは開幕当初から先発ローテーション入り。6月までに5勝を挙げる活躍を見せます。このシーズン、最終的に9勝(7敗)を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献した郭選手は、この年の日本シリーズ第1戦でリリーフとして登板を果たしますが、大田卓司にソロ本塁打を打たれています。(2勝4敗でチームは西武に敗退)
1982年 日本シリーズ第1戦
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当時はまだ台湾出身のプレーヤーが珍しかった時代。そんな中で、郭選手は台湾プレーヤーのパイオニア的存在として、また中日ドラゴンズに欠かせない選手として以後、活躍を続けていくのです。
吠える!「郭ダンス」
最速151km/hの速球に加えて、スライダー・シンカー・フォークボールなど多彩な変化球を投げました。闘志を前面に出す気迫溢れる投球フォーム。打者を打ち取ると「吠え」、後に「郭ダンス」と名付けられた派手なガッツポーズをマウンド上でとる姿が、ファンの心をとらえます。
1983年 巨人戦初完封
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何といっても郭選手の凄いところは、チーム事情の為、シーズンごと(シーズン途中でも)抑え、先発の役割を変えられても結果を残し続け「200勝」よりも達成することが困難と言われる「100勝、100セーブ」を成しとげたという事でしょう。(最終的には106勝・116セーブ)この当時はまだ「セットアッパー」の地位が低く、先発→抑えという継投がよく行われており、先発もこなす郭投手は7回あたりから登板することもザラでした。先発で投げて完投したかと思えば、翌年のシーズンは守護神としてロングリリーフも厭わず、相手の反撃を断ち切る…かと思えばその翌年は開幕投手を務める…とまさに鉄腕ぶりを見せつけたのです。
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その他【100勝・100セーブ達成者】
・江夏豊投手:206勝193セーブ
・山本和行投手:116勝130セーブ
・斉藤明夫投手:128勝133セーブ
・郭源治投手:106勝116セーブ
・大野豊投手:148勝138セーブ
・佐々岡真司投手:138勝106セーブ
・斎藤隆投手:112勝139セーブ(日米通算)
・上原浩治投手:131勝126セーブ(日米通算※2016年終了時)
・江夏豊投手:206勝193セーブ
・山本和行投手:116勝130セーブ
・斉藤明夫投手:128勝133セーブ
・郭源治投手:106勝116セーブ
・大野豊投手:148勝138セーブ
・佐々岡真司投手:138勝106セーブ
・斎藤隆投手:112勝139セーブ(日米通算)
・上原浩治投手:131勝126セーブ(日米通算※2016年終了時)
リーグ優勝に貢献(1988年)
オフに結婚式を挙げて迎えた1988年シーズン、郭選手は5月までに4敗するなど不振に苦しみますが、投げ込みなどを重ねてスランプを脱します。郭選手の投球内容がよくなっていくにつれてチームも上昇。4月終了時点で首位広島に8ゲーム差の最下位。7月8日時点でも借金2あったのですが、8日以降、50勝15敗3分という驚異的な成績を挙げて、結局終わってみれば79勝46敗5分の貯金33。2位巨人と12ゲームの大差をつけてリーグ優勝を果たします。
1988年 郭源治 サヨナラ本塁打
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リーグ優勝のかかった10月7日の対ヤクルト戦では最後に秦真司から三振を奪い、胴上げ投手。7勝37セーブの44セーブポイントを挙げ、石本貴昭と山本和行が持っていた従来のシーズン記録、40SPを更新したのです。また、投げてばかりではななく、上記の動画の対巨人戦でサヨナラホームランを放っています。
1988年・優勝決定の瞬間
なだれ込む観客…
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6年ぶり4度目のリーグ優勝、チーム生え抜きの星野仙一監督の優勝に狂喜乱舞した大勢のドラゴンズファンが球場になだれ込み、胴上げは中断するという事態が問題となりました。
日本シリーズの記憶
西武ライオンズとの対戦となった日本シリーズ。郭選手は第2戦で同点の7回表から登板し、走者を出さずに3イニングを抑えて勝利投手となった。第5戦では直前に登板した小松が不調で予定を早めて7回から登板。勝利目前の9回に石毛宏典選手に痛恨の同点ソロ本塁打を打たれます。その後も投げ続けた郭選手ですが、延長11回に決勝点を奪われ敗戦投手となっています。