宮沢賢治童話の代表作のひとつ「銀河鉄道の夜」
1985年のアニメ映画「銀河鉄道の夜」をご覧になった方も多いのではないでしょうか。
Night on the Galactic Railroad - 銀河鉄道の夜 - YouTube
Night on the Galactic Railroad (銀河鉄道の夜 Ginga Tetsudō no Yoru), sometimes translated as Milky Way Railroad, Night Train to the Stars, or Fantasy Railroad In T...
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「銀河鉄道の夜」について
童話「銀河鉄道の夜」
1924年ごろ初稿が執筆され、晩年の1931年頃まで推敲がくりかえされて、1933年の賢治の死後、草稿の形で遺された。
初出は1934年刊行の文圃堂版全集。未定稿のため本文の校訂が研究者を悩ませてきたが、筑摩書房版全集(『校本宮澤賢治全集』、1974年)の編集過程で綿密な検討が行われ、第1次稿から4次稿まで3回にわたって大きな改稿が行われたことが明らかに。
第1-3次稿(初期形)と4次稿(最終形)の間には大きな差異がある。学校の授業や活版所のシーン、友人カムパネルラが川で行方不明になる挿話などは4次稿で追加されたものである。また、3次稿までは銀河鉄道の旅はブルカニロ博士の実験により主人公が見た夢だったとされていたが、最終形に博士は登場しない。
文圃堂版全集以来、長く読まれてきた刊本では、ブルカニロ博士の存在が大きな位置を占めていたが、博士の登場シーンは破棄された3次稿の混入である。博士の登場しない展開が最終形とされたことで物語世界の設定が大きく変わることになった。
初出は1934年刊行の文圃堂版全集。未定稿のため本文の校訂が研究者を悩ませてきたが、筑摩書房版全集(『校本宮澤賢治全集』、1974年)の編集過程で綿密な検討が行われ、第1次稿から4次稿まで3回にわたって大きな改稿が行われたことが明らかに。
第1-3次稿(初期形)と4次稿(最終形)の間には大きな差異がある。学校の授業や活版所のシーン、友人カムパネルラが川で行方不明になる挿話などは4次稿で追加されたものである。また、3次稿までは銀河鉄道の旅はブルカニロ博士の実験により主人公が見た夢だったとされていたが、最終形に博士は登場しない。
文圃堂版全集以来、長く読まれてきた刊本では、ブルカニロ博士の存在が大きな位置を占めていたが、博士の登場シーンは破棄された3次稿の混入である。博士の登場しない展開が最終形とされたことで物語世界の設定が大きく変わることになった。
ジョバンニとカムパネルラ
ジョバンニ
孤独で空想好きな少年。歳は授業内容や仕事から思春期前とわかる。
家は貧しく、母親が病気で寝込んでいるので、早朝には新聞配達、学校が終わってからは活版所でアルバイトをしている。父親は長らく家に帰っていない。
漁に出ているとジョバンニは信じているが、らっこを密猟して投獄されていると噂され、近所の子供たちはそのことでジョバンニをからかう。別に住む姉がいて、料理を作ってくれたりする。
家は貧しく、母親が病気で寝込んでいるので、早朝には新聞配達、学校が終わってからは活版所でアルバイトをしている。父親は長らく家に帰っていない。
漁に出ているとジョバンニは信じているが、らっこを密猟して投獄されていると噂され、近所の子供たちはそのことでジョバンニをからかう。別に住む姉がいて、料理を作ってくれたりする。
カムパネルラ
ジョバンニの同級生で友達、父親同士も親友だった。裕福で人気者の優等生として描かれている。
彼の母親は石炭袋にいたことから亡くなっていると推察される。
しかしジョバンニの「何もひどいことない」という言葉から健在な母親もいるのではないかという見方もあり、一見幸福そうなカムパネルラの複雑な生い立ちが覗われる。
他の同級生がジョバンニをからかうときは気の毒そうにしている。ジョバンニとともに銀河鉄道に乗り込み、共に旅する。
彼の母親は石炭袋にいたことから亡くなっていると推察される。
しかしジョバンニの「何もひどいことない」という言葉から健在な母親もいるのではないかという見方もあり、一見幸福そうなカムパネルラの複雑な生い立ちが覗われる。
他の同級生がジョバンニをからかうときは気の毒そうにしている。ジョバンニとともに銀河鉄道に乗り込み、共に旅する。
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「銀河鉄道の夜」あらすじ
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三、家
家に帰ると牛乳が未だ配達されていない。病気の母親と、漁に出たきり帰ってこない父のことやカムパネルラのことなどを話す。
ジョバンニは、銀河のお祭り(烏瓜のあかりを川へ流す)を見に行く、と言って家を出る。
ジョバンニは、銀河のお祭り(烏瓜のあかりを川へ流す)を見に行く、と言って家を出る。
四、ケンタウル祭の夜
牛乳屋(牧場)に行くが、出てきた老婆は要領を得ず、牛乳をもらえない。途中で、同級生のザネリたちに会い、からかわれる。
一緒にいたカムパネルラは気の毒そうに黙って少し笑っている。銀河の祭りに行くザネリたちと反対に、ジョバンニは一人町外れの丘へ向かう。
一緒にいたカムパネルラは気の毒そうに黙って少し笑っている。銀河の祭りに行くザネリたちと反対に、ジョバンニは一人町外れの丘へ向かう。
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八、鳥を捕る人
気のいい鳥捕りが乗車してくる。彼は、鳥を捕まえて売る商売をしている。
ジョバンニとカムパネルラは鳥捕りに雁を分けてもらい食べるが、お菓子としか思えない。
突然鳥捕りが車内から消え、川原でさぎを捕り、また車内に戻ってくる。
ジョバンニとカムパネルラは鳥捕りに雁を分けてもらい食べるが、お菓子としか思えない。
突然鳥捕りが車内から消え、川原でさぎを捕り、また車内に戻ってくる。
九、ジョバンニの切符
(この先、全体のおよそ半分にわたり章立てはない)
アルビレオの観測所の近くで検札があり、ジョバンニは自分の切符だけが天上でもどこまででも行ける特別の切符であると知る。
鷲の停車場のあたりで、鳥捕りが消え、青年と姉弟が現れる。彼らは、乗っていた客船が氷山に衝突して沈み、気がつくとここへ来ていたのだという。かおる子(姉の少女)とは長い会話を交わす。
蠍の火を眺めながら、かおる子は「やけて死んださそりの火」のエピソードを話しはじめ、ジョバンニたちは、黙ってそれを聞く。その後列車はケンタウルの村を通過する。少女たちと別れ際に、「たった一人の本当の神様について」宗教的な議論が交わされる。
天上と言われるサザンクロスで、大半の乗客たちは降りてゆき、ジョバンニとカムパネルラが残される。二人は「ほんとうのみんなのさいわい」のために共に歩もうと誓いを交わす。
その直後、車窓に現れた石炭袋を見たふたりは、非常な恐怖に襲われる。ジョバンニはカムパネルラをはげますが、カムパネルラは気の乗らない返事をしたのち、「あすこにいるの僕のお母さんだよ」といい残し、いつの間にかいなくなってしまう。
一人丘の上で目覚めたジョバンニは町へ向かう。今度は牧場で牛乳をもらい、川の方へ向かうと「こどもが水へ落ちた」と知る。同級生から、カムパネルラは川に落ちたザネリを救った後、溺れて行方不明になったと聞かされる。
カムパネルラの父(博士)は既にあきらめていた。博士は、ジョバンニの父から手紙が来た、もう着く頃だとジョバンニに告げる。ジョバンニは胸がいっぱいになって、牛乳と父の知らせを持って母の元に帰る。
アルビレオの観測所の近くで検札があり、ジョバンニは自分の切符だけが天上でもどこまででも行ける特別の切符であると知る。
鷲の停車場のあたりで、鳥捕りが消え、青年と姉弟が現れる。彼らは、乗っていた客船が氷山に衝突して沈み、気がつくとここへ来ていたのだという。かおる子(姉の少女)とは長い会話を交わす。
蠍の火を眺めながら、かおる子は「やけて死んださそりの火」のエピソードを話しはじめ、ジョバンニたちは、黙ってそれを聞く。その後列車はケンタウルの村を通過する。少女たちと別れ際に、「たった一人の本当の神様について」宗教的な議論が交わされる。
天上と言われるサザンクロスで、大半の乗客たちは降りてゆき、ジョバンニとカムパネルラが残される。二人は「ほんとうのみんなのさいわい」のために共に歩もうと誓いを交わす。
その直後、車窓に現れた石炭袋を見たふたりは、非常な恐怖に襲われる。ジョバンニはカムパネルラをはげますが、カムパネルラは気の乗らない返事をしたのち、「あすこにいるの僕のお母さんだよ」といい残し、いつの間にかいなくなってしまう。
一人丘の上で目覚めたジョバンニは町へ向かう。今度は牧場で牛乳をもらい、川の方へ向かうと「こどもが水へ落ちた」と知る。同級生から、カムパネルラは川に落ちたザネリを救った後、溺れて行方不明になったと聞かされる。
カムパネルラの父(博士)は既にあきらめていた。博士は、ジョバンニの父から手紙が来た、もう着く頃だとジョバンニに告げる。ジョバンニは胸がいっぱいになって、牛乳と父の知らせを持って母の元に帰る。
孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする物語で、宮沢賢治童話の代表作のひとつとされている。
未定稿のまま遺されたこと、多くの造語が使われていることなどもあって、研究家の間でも様々な解釈が行われている。
この作品から生まれた派生作品は数多く、これまで数度にわたり映画化やアニメーション化、演劇化された他、プラネタリウム番組が作られている。