「まんが道」
ファンレターなどで交流のあった手塚先生の厚意で、トキワ荘に住むことになった二人。そこでは同じように、熱い情熱を持った若き漫画家たちがいました。
藤子不二雄A先生の自伝的漫画で、先生は「実話7割、フィクション3割」とおっしゃっていますが、トキワ荘メンバーは実名で登場。雑誌が変わるにつれ、実話色が強くなったようです。
登場人物とモデルになった先生方
満賀道雄と才野茂、二人で満才茂道
藤子不二雄A先生
代表作は「忍者ハットリくん」「笑ゥせぇるすまん」「プロゴルファー猿」など多数。トキワ荘メンバーは遊び人組と真面目組でわかれており、A先生は遊び人派です。
藤子・F・不二雄先生
漫画の神様
手塚治虫
手塚治虫先生
トキワ荘はテラさんなしでは語れない
寺田ヒロオ先生
ほのぼのとした児童漫画を描かれていましたが、劇画タッチのストーリーがもてはやされるという、時代の流れに乗ることを拒み、1973年に絶筆。その後はトキワ荘メンバーとはほとんど交流をもたなかったそうです。
他界する約2年前の1990年6月23日、突然トキワ荘の仲間(藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、鈴木伸一)を自宅に呼んで宴会を催し、終了後、三々五々去ってゆく仲間たちにいつまでも手を振り続け「もう思い残すことは無い」と家族に話したという。翌日、藤子Ⓐは礼を伝えるため寺田宅に電話をかけたが、寺田はもはや電話口に出ず、妻を通じて「今後一切世俗とは関わらない」との旨を伝えた[5][3]。なお、この宴会の模様は鈴木がホームビデオで撮影しており、後年ヒストリーチャンネル制作の番組『20世紀のファイルから-証言・あの時、あの人-』(第29話:マンガがすべてだった・「トキワ荘」の頃)[6]で一部が公開されている。鈴木はこの時に撮影したビデオのコピーを寺田に進呈しており、遺族の話では寺田は晩年、そのビデオを繰り返し観ていたという。
1970年~1972年に週刊少年チャンピオン、1977年~1982年週刊少年キングで連載。キングの廃刊により未完でしたが、1995年からビッグコミックオリジナル増刊で「愛・・・しりそめし頃に・・・満賀道雄の青春」とタイトルを改め、連載。2013年に43年の時を経て完結。
文庫版は全14巻、藤子不二雄Aランド「まんが道」は全23巻。