1983年(昭和58年)6月28日。大阪での舞台公演が控える中、仕事を終えチェックインしていた東京都新宿区西新宿の京王プラザホテルにて、「おやじ 涅槃で 待ってる」という遺書を残し、本館最上階(47階バルコニー・高さ170メートル)より警備員の制止を振り切って飛び降り、ビル7階の屋上(プール脇)に落ちて全身を強く打ち即死した(31歳没)。
「おやじ、涅槃で待つ」と書いた養父・日景忠男宛ての遺書
ホテルに残された遺書の全文
今……
プラザホテル様へ
大変申し分けなくおゆるし下さいませ。
つかこうへい様 あなたの名、つかを使いし僕をゆるせるものならおゆるし下さい。
人は病む。いつかは老いる。
死を免れることはできない。若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。
人間が生きていることは、結局何かを求めていることにほかならない。
老いと病と死とを超えた、人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることが、正しいものを求めることと思うが、今の私は誤ったものの方を求めている者。
(便箋裏)
"おやじ 涅槃で まってる"
沖 雅也
自宅に残された遺書の全文その1
私は生きる気力を失い苦しさに負け、死を選びます。
私の死は、私自身の人間としての問題で有り、沖雅也としてでなく日景城児として、死んでいきます。
一、日景家一同様、名を汚して申しわけ有りません。許してください。
一、日景忠男殿、あなたにうけたあたたかい思いやり、身にしみて感じておりました。一五年、大変お世話になりました。楽しい日々でした。お元気で、ありがとう
自宅に残された遺書の全文その2
私 沖雅也は生きていく 気力を失い自殺します。
この自殺は私個人の問題で有り人をきづつけた私のせめてものおわびです、
死という弱いひきょうなことでしかおわびの方法を知らない私をおゆるし下さい
他人にめいわくのかからぬ様死にたかった
日景忠男殿
あなた様のこの一五年の心苦いかばかりか さっするにあまりあります
あなた様から受けた人生道、人間道、身にしみて、心より感謝いたします
一心同体で歩いてきた道ですが途中で投げ出す私をおゆるし下さい。
あなた様に何もしないで何も言わないで死んでいく私を、おしかり下さい。
私のごとき男がそばにいてはあなたの人生がダメになります
有りがとうございました
太陽にほえろ!予告編2 沖雅也
沖雅也『太陽にほえろ!』スコッチ刑事の真相とエピソード - Middle Edge(ミドルエッジ)
尾崎豊(1965年11月29日 - 1992年4月25日)/ ロックの教祖、26歳での突然死
1992年(平成4年)4月25日早朝、当時の尾崎の自宅であるマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見された。
5時45分ごろ、通報で墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれる。診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に診てもらった方がいい」と診断したが、尾崎は妻と兄とともに自宅マンションに戻る。
しかし、10時ごろになって容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が約1時間後の11時9分に119番通報。搬送先白髭橋病院で初期治療を受けるが家族により退院をする。その後急変して日本医科大学付属病院で手当てを受けるも、午後0時6分に死亡した。
死因は覚醒剤中毒 (メタンフェタミン中毒)による肺水腫。
尾崎豊 - シェリー
夢のために生きてきた俺だけど
シェリー おまえの言うとおり
金か夢かわからない暮しさ
転がり続ける俺の生きざまを
時には無様なかっこうでささえてる…
尾崎豊 - 卒業 (有明コロシアム)
追悼!!『尾崎豊』の逮捕・嫁・不倫・死因・子供!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
可愛かずみ / グラビア時代の人気は絶大で、毎週、特集を組んでいた雑誌も。
1995年、当時交際相手で、ヤクルトに在籍していた川崎憲次郎と結婚間近と噂されるが、その後川崎が「怪我の治療に専念したい」という理由から破局する。
1996年3月、志村けんとのツーショット写真を週刊誌に撮られる。この時期から過度の精神的ストレスにより、1996年12月・1997年1月とリストカットの自殺未遂を繰り返す。
1997年5月9日午前中に手首を切り3度目の自殺を図る。この時のためらい傷は3箇所に及んでいたという。縫合後、食事で出されたドリアを完食しており、周囲の者には落ち着きを取り戻したように見えたという。
しかし午後6時30分頃、留守番の女性に「咳がでるから病院に行く」と言って出かけ、午後7時10分頃、川崎が住んでいた目黒区駒場のマンション7階から飛び降り、帰らぬ人となる。
遺体が安置された東京医科大学病院には、川上麻衣子、岡本かおり、など、多くの友人が駆けつけ付き添っていた。
通夜でも渡辺美奈代や渡辺めぐみなど、多くの友人が駆けつけ「もっと相談に乗っていれば良かった」「もっと頻繁に気持ちを確かめ合えば、こんなことには…」と口々に漏らし、涙に濡れた。
また通夜には生き別れになっていた母親も参列し、可愛が亡くなった後、再会を果たしている。
【可愛かずみ】好きだぜ!80年代・90年代のグラビア - Middle Edge(ミドルエッジ)
菊容子(1950年9月26日 - 1975年4月29日)/ 交際相手に首を絞められて殺害された
#菊容子 #好きすき魔女先生
— 大田黒所長 (@Tokusou1977) April 29, 2018
14話「アンドロ仮面登場!!」
今日は菊容子さんが亡くなった日か…何とも言えぬ。
という訳で、魔女先生のアンドロ仮面初登場回を視聴。
この回での格闘シーンは少ないけど、菊容子さんは殺陣が上手い印象があるな。
変身するヒロインは、これが元祖になるのかな? pic.twitter.com/0lNl0WMSCC
アルバム『十七歳の地図』、シングル「15の夜」でデビューを果たした、尾崎豊のデビュー30周年(2013年時)を記念してオールタイム・ベスト・アルバムをリリース。