若くして亡くなった事が悔やまれる昭和の芸能人/有名人(16名)
2020年4月6日 更新

若くして亡くなった事が悔やまれる昭和の芸能人/有名人(16名)

若くして亡くなった事が本当に悔やまれてならない昭和の芸能人、スポーツ選手などの有名人を振り返ってみましょう。50音順で16名。いずれも当時は、あまりにも衝撃的な出来事で多くの人が嘆き悲しみました。ご冥福をお祈りします。

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アイルトン・セナ(1960年3月21日 - 1994年5月1日)/ 世界が悲鳴!「音速の貴公子」と呼ばれた天才の死

アイルトン・セナ(1960年3月21日 - 1994年...

アイルトン・セナ(1960年3月21日 - 1994年5月1日)

アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ (字幕版)

34歳の若さでこの世を去った天才F1ドライバー、アイルトン・セナの真実に迫ったドキュメンタリー。セナの生涯を、レース映像やプライベート映像を交えながら振り返る。
日本国内では事故死の反動は予想以上に大きかった。バブル崩壊の時期とも重なったことで隆盛を極めたF1ブームが一気に終焉(しゅうえん)へと向かうことになる。
多くのファンはF1ファン=セナファンという人間が多く、サンマリノGPで事故死するとF1を見なくなるようになり、F1ブームは一気に消沈した。

アイルトン・セナ事故死 - 当時のNNNニュース映像

空前のF1ブームの立役者であったアイルトン・セナは、1994年5月1日、第3戦サンマリノGP、イモラサーキットのタンブレロでクラッシュ、病院に搬送されるが、死亡する。
F1ジャーナリストの今宮純さん(69)が当時を振り返る。

「僕は決勝中に放送席をいったん外し、表の空気を吸いに出た。すると隣の隣のフランスのテレビ局でゲスト解説していたアラン・プロストがいて・・・。見ると柵に寄り掛かって泣いていた」。プロストは前年王者でセナとは常にライバル関係にあった。タンブレロは時速310キロ近くで駆け抜ける高速コーナー。あのクラッシュでは助からないと察知していたようだ。

1994年サンマリノGP アイルトン・セナ クラッシュ 1

トップを走行していたセナ車がタンブレロにて突如コースアウト。時速310km以上でコンクリート・ウォールに突入してしまった。

赤旗が振られ、レースは即時中断。医療班がセナのもとに向かう。ヘリコプターにてセナは病院へと搬送されるが、その後には上空からも明らかな程の夥しい血だまりが残されていた。

そしてレースが終了してから約2時間後。アイルトン・セナの死が発表された。公式な死亡時刻は14時17分、即ちクラッシュの瞬間であり、即死であったという。

1994年サンマリノGP アイルトン・セナ クラッシュ 3

日本においては、フジテレビによる中継放送の最中にニュース速報の形でセナの訃報が伝えられることになった。その後中継は中断、三宅アナ、解説の今宮氏、ピットリポートの川合氏らによる即席の"追悼特番"に切り替わっている。涙を堪え、嗚咽しながら訃報を伝える三宅アナ達の痛々しい姿は視聴者の涙を誘った。

赤木 圭一郎(1939年5月8日 - 1961年2月21日)/ “和製ジェームズ・ディーン”と称された日活のアクションスター

赤木 圭一郎 / ファンの心の中で生き続ける和製ジェー...

赤木 圭一郎 / ファンの心の中で生き続ける和製ジェームズ・ディーン

ポスター集 赤木圭一郎は生きている

赤木圭一郎の軌跡を辿る……。

赤木圭一郎とクレジットされている全作品ポスター。ロビーカード/スチール/スナップ/完全版フィルモグラフィー。
1961年(昭和36年)2月14日12時20分頃、石原裕次郎のケガにより代役となって撮影に臨んだ映画『激流に生きる男』のセット撮影中の昼休憩時に、セールスマンが持ってきたゴーカートを日活撮影所内で運転中、咄嗟にブレーキとアクセルを踏み違え、60km/h以上のスピードで大道具倉庫の鉄扉に激突し、東京都北多摩郡狛江町(現:狛江市)にある慈恵医大病院に緊急搬送された。

一時は意識が戻ったものの、2月20日になって再び昏睡状態に陥り、2月21日午前7時50分、前頭骨亀裂骨折に伴う硬膜下出血のため、21歳の若さで死去した。
『霧笛が俺を呼んでいる』(むてきがおれをよんでいる)は、監督・山崎徳次郎。主演・赤木圭一郎により日活が制作し、1960年7月9日に公開された日本の映画。

公開から半年あまり後の翌1961年2月に事故死した赤木圭一郎の代表作のひとつとしてしばしば言及される作品であり、赤木の歌った主題歌「霧笛が俺を呼んでいる」もヒット曲となった。

池田 貴族(1963年5月8日 - 1999年12月25日)

PRE★STAGE  レコードの中に入った霊の声

池田貴族 イクラちゃん

「こだわりTV PRE★STAGE」は、1988年10月11日から1992年10月16日まで放送されたテレビ朝日の深夜帯番組。梶原しげる、飯星景子、蓮舫、ラサール石井、竹中労、矢吹藍子、高市早苗、田中綾子らが出演した。
ロックバンド・remoteのボーカリストとしてシングル「NO!」でデビュー。その後、音楽活動以外にも霊感タレントとしてテレビ番組などへの出演で知られる。

バンド活動を続けながらも、テレビ朝日の『プレステージ』などにて霊感能力を発揮し、以後霊能タレントとして活躍するようになる。
父親は真言密教の霊能師であり、母も強い霊感を持っているという。

遠藤康子(1968年10月21日 - 1986年3月30日)/ デビュー直前に命を絶った伝説のアイドル候補

遠藤 康子は、雑誌『花とゆめ』、『Olive』、『mcシスター』等のモデル活動や、ケンタッキー、サッポロ一番、永谷園等多くのCMに出演。

遠藤康子が表紙と巻頭グラビアを飾った唯一の雑誌『DELUXE JUNP』(考友社出版)1986 年2 月号。
1986年5月21日に「セピア色のひみつ」というキャッチフレーズのもと、リバスター音産より『IN THE DISTANCE』(作詞:有川正沙子、作曲:桜井哲夫、編曲:鳥山雄司)という曲でアイドル歌手デビューする予定であったが、同年3月30日、台東区浅草橋のビルの7階屋上から飛び降り自殺した。
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  • I.O 2020/4/10 18:45

    私が若くして亡くなった芸能陣でリアルタイムで知ってるのは、沖雅也さん・坂本九さん・夏目雅子さん・岡田有希子さん・堀江しのぶさん・尾崎豊さん・アイルトン・セナさん・池田貴族さん・桂三木助さんなど多数います。特に夏目雅子さんは27歳で白血病を患い、入院から7ヵ月後に亡くなり、坂本九さんが飛行機事故で亡くなって1ヵ月後の事でした。

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