花島優子のプロフィール
本名:赤木優江(あかぎまさえ)旧姓花島
生年月日:1972年9月17日
出身地:茨城県牛久市
デビューのきっかけ:1989年(平成元年)4月にフジテレビのバラエティー番組『パラダイスGoGo!!』(通称:パラGO)がスタートしました。
その番組の中で誕生したアイドル養成講座「乙女塾」の3期生です。
CoCoやribbonなどの人気ユニットが誕生しました。
数年前に流行ったおニャン子クラブをコンパクトにしたみたいな感じですかね。
同じ3期生の同期には中嶋ミチヨや、佐藤愛子(ribbon)などがいました。
1990年に歌手デビュー(悲しみに一番近い場所)と同時に「美少女仮面ポワトリン」に主演します。
乙女塾『乙女塾大特集~フジテレビの箱入り娘たち~』⑥
最近はその座を日本テレビに譲った感じでしょうか。
NiziUやBE:FIRSTなど。
美少女仮面ポワトリンとは?
花島優子「あなただけ Change me」
1989年から東映不思議コメディーシリーズは女性アイドルを起用した美少女路線に方向を転換し、その第3作となった。
“ポワトリン”とは、フランス語で“胸(Poitrine)”を意味する語。またポワトリンのコスチュームは、『好き!すき!!魔女先生』のアンドロ仮面をプロトデザインとし[1]、フランスの俳優アラン・ドロンの名作『怪傑ゾロ』を意識して作られた。
ロボット8ちゃんや、バッテンロボ丸などのロボットシリーズに始まり、1989年に美少女シリーズに転換しています。
第一弾は1989年小沢なつき主演の「魔法少女ちゅうかなぱいぱい!」でしたが、小沢なつきが失踪したため、島崎和歌子の「魔法少女ちゅうかないぱねま!」に変わり第二弾となりました。
そして花島優子主演の「美少女仮面ポワトリン」は第三弾として、1990年1月から放送されて、平均視聴率15%の大人気番組となっています。
決め台詞「愛ある限り戦いましょう」も、今だったら流行語大賞となったくらい流行りましたね。
花島優子は「あっぱれさんま大先生」などにも、ポワトリンとして登場し、本番組以外でも人気となりました。
花島優子のその後
花島優子 あなただけchange me
その後大岡越前やバラエティー番組で活躍しましたが、1995年に結婚を機に芸能界を引退します。
花島優子(元ポワトリン)
当時給料8万
家に遊びに来てた弟の友人と結婚した
今は花粉付けの仕事をしている
家に遊び来ていた弟の友人と結婚したとのことです。
弟の友人は一説には大工という噂がありますが、ソースは見つかりませんでした。
弟の友人がご主人なら、弟とも今も家族ぐるみで付き合っているのかもしれませんね。
花粉付けの仕事ってちょっと気になります。
バイキングでポワトリンの花島優子 pic.twitter.com/xA45CjNPif
— れぎおん (@Legion_1996) March 3, 2015
まさかのポワトリン(*^^*)懐かしい!! pic.twitter.com/N4LUL4y6GT
— ももとら (@momotora210) March 3, 2015
―3月3日放送の『バイキング』(フジテレビ系列で放送中の昼のバラエティ番組。
1コーナー「元芸能人1日限りの復活リサイタル」)にポワトリンとしてご出演されていましたね。
花島 そうなんです。凄く緊張しながら『悲しみに一番近い場所』
(花島さんのデビュー曲/『ポワトリン』前半のエンディング曲)を……歌詞が上に出るので、
それを見ながらなんとか歌いました。ここ何十年も歌ったことがないので、
近所のカラオケに入っていたから練習しましたよ(笑)。
現役アイドル時代、4歳年下の中学生と付き合ってたって凄いな〜。
— ズンド子 (@zundocozundoco) March 3, 2015
ポワトリン好きだったな。 pic.twitter.com/af3bui4vFv