1999年まで都知事を務めた青島幸男
1999年、任期満了で都知事の職を退任した。在任期間は1期であった。
この時、2期目への立候補に対して、判断は直前まで保留となっていた。
態度表明の記者会見の直前でも都政担当記者はおろか、ナンバー2である副知事でさえも退任するかどうかを知らなかった。
「ポスト青島」をめぐる1999年東京都知事選挙では、石原慎太郎が当選した。
都知事在任中は知事公舎に入居しており、退任後は江東区に転居した。
この時、2期目への立候補に対して、判断は直前まで保留となっていた。
態度表明の記者会見の直前でも都政担当記者はおろか、ナンバー2である副知事でさえも退任するかどうかを知らなかった。
「ポスト青島」をめぐる1999年東京都知事選挙では、石原慎太郎が当選した。
都知事在任中は知事公舎に入居しており、退任後は江東区に転居した。
via mainichi.jp
2004年参議院選挙に出馬!その後、政界を引退
2001年、二院クラブ代表に復帰。第19回参議院議員通常選挙に比例区から出馬するも落選。
2004年の第20回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(定数4)から無所属で出馬する。
ポスターには「選挙にも行かないでがたがた抜かすんじゃねぇこの野郎!! 青島だぁ文句あるか!?」の極めて挑発的なフレーズを掲げ、自らがかつて作詞した『どんと節』の選挙版替え歌(セルフパロディ)を陽気に3回も熱唱し、歌の合間に政見を少し話すという極めて異色な政見放送を行う。
596,272票を獲得したが、次点で落選した。
青島はこの年の参議院選挙での落選を最後に、事実上政界を引退することとなった。
via i.ytimg.com
政治活動以外にも、1998年には絵画「循環」で二科展入選を果たすなど、本当にマルチな才能を発揮していた青島幸男。
また、90年代の青島はアメ横で購入したモッズコートを頻繁に着用していた。
テレビ局関係者が青島のモッズコートをドラマ「踊る大捜査線」の主人公の衣装とし、主人公の名前の由来ともなった。
ちなみに「踊る大捜査線」は「世界都市博覧会」と同じお台場が舞台であった。
また、90年代の青島はアメ横で購入したモッズコートを頻繁に着用していた。
テレビ局関係者が青島のモッズコートをドラマ「踊る大捜査線」の主人公の衣装とし、主人公の名前の由来ともなった。
ちなみに「踊る大捜査線」は「世界都市博覧会」と同じお台場が舞台であった。