青春のあの場所が今はもうない!?閉鎖したライブハウス・コンサートホール
2022年7月18日 更新

青春のあの場所が今はもうない!?閉鎖したライブハウス・コンサートホール

音楽が好きな方は若い頃ライブハウスやコンサートホールによく足を運んだという思い出もあると思います。ですが建物の老朽化などが原因で、閉鎖してしまった場所も多いです。今回は東京のライブハウスやホールをご紹介していきます。

3,337 view

日清パワーステーション

日清パワーステーションは新宿三丁目に1988年に作られました。通称は「パワステ」です。

名前の通り日清食品の運営するライブハウスでRockin' Restaurantがキャッチフレーズ。お酒の楽しめる席、食事ができる席もあるというちょっと変わったライブハウスでした。数々のアーティストが出演したのですが、日清食品の経営悪化が原因で1998年に閉鎖されました。ラストの3日間は「NISSIN POWER STATION LAST DAYS」として、山崎まさよしさん、忌野清志郎さん、ウルフルズ、及川光博さん、東京スカパラダイスオーケストラ、THE BOOMなどが出演する豪華イベントで幕を下ろしました。

その後は本社のイベントスペースとして使われていて、内装は当時のまま残されていました。

そして、2020年11月に音楽特化・配信特化・無観客をコンセプトにして日清食品 POWER STATION [REBOOT]として復活。日本初の配信型ライブハウスです。

パワーステーションがあった場所を22年ぶりに回想しています。

ルイード

ルイードは老舗のライブハウスチェーンです。

1972年に新宿ルイードがオープンしたのですが、ビルの契約の関係で1987年に閉鎖しました。新宿ルイードにはシャネルズ、ユーミン、オフコース、井上陽水さん、佐野元春さんなど数々のアーティストが出演していました。

その後1989年に原宿ルイードをオープン。バンドブームの時期だったので大変盛り上がり、JITTERIN’JINN、シャ乱Q、ゴスペラーズなども出演していましたが2007年に閉店しています。ですが原宿ルイードも2007年に閉店しました。

その後、2003年に渋谷ルイード、2009年に池袋ルイード、2005年に新宿ルイード K4がオープンしますが、いずれも新型コロナウイルスの影響を受け閉店しました。

同じ会社で別名のライブハウスはあるのですがルイードという名前が消滅してしまうのは寂しいですよね。

ですが2022年7月に原宿ルイードが跡地ビルに入っていたライブハウスを改築し、原宿ルイードが復活したのです。

赤坂BLITZ

1996年4月にオープンした、当時は都内最大客数のライブハウスでした(1,500人から2,000人)。
国内外のアーティストが出演していてこけらおとし公演はMR. BIG。日本人で最初に講演したのは電気グルーヴでした。

2003年に「TBS赤坂五丁目再開発計画」(現・赤坂サカスプロジェクト)の一環として閉鎖しました。移転施設として2004年に横浜BLITZがオープンしています。

その後2008年に赤坂サカス内の旧BLITZ跡地とほぼ同じ位置に再オープンしています。この時のこけらおとし公演はKREVAさんでした。

2017年にはネーミングライツの影響でマイナビBLITZ赤坂に変更しましたが、2020年9月に閉館。新型コロナウイルスの影響ではないのですが、ライブが開催できなかったため、最終公演は行われていません。

また、横浜BLITZはしばらく併存していましたが2013年に閉館したので、BLITZ自体が消滅しています。

音楽だけでなくお笑いライブなども開催されていました。

大型ライブハウスといえば1999年にオープンしたZeppTokyoも2022年1月に閉鎖されています。

渋谷公会堂

1964年に開業しました。渋谷区役所に併設されていて運営は渋谷区です。通称「渋公」ですね。音楽堂としての評価が高く、数々のライブが行われていたので「〇〇公会堂」の中で一番有名だったのではないでしょうか。渋谷公会堂でのライブを目標にしていたアーティストも多いの絵ではないかと思います。有名ミュージシャンへの登竜門てきなホールでしたよね。

2005年に改修工事が行われ、渋谷区が収入源確保のためにネーミングライツを電通に売却。サントリーが購入し「渋谷C.C.Lemonホール」となりました。はじめこの名前だけを先に聞いたので、まさか渋公がCCレモンになったなんて思わずびっくりしました。

2011年には契約が終了し、渋谷公会堂に戻りましたが、施設の老朽化のため、2015年に閉館しました。最終公演は沢田研二さんです。

その後、建て替えを行い2019年に再オープンしましたが、ネーミングライツはLINEが取得したため、LINE CUBE SHIBUYAとなっています。名前も違うし見た目も違うので渋公はなくなった、という印象になりますね。

2010年代には数々のホールの名称が変わったり、改修工事が行われたりして今までとの印象が大きく変わったことも多かったです。

ですが、老朽化は仕方がないことなので、その場にホールやライブハウスが残るというだけでも喜ばしいことなのかもしれません。これからも数々のライブを生み出してほしいですね。
12 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト