伝説のアイドル番組「夕やけニャンニャン」
1985年4月1日から1987年8月31日の夕方5時から6時の間に放送された伝説的番組が「夕やけニャンニャン」です。
それまでの偶像化され高嶺の花だったアイドルとは一線を画し、現役の女子高生がそのまま放課後アイドルになる、どこか手に届きそうな等身大のアイドル「おニャン子クラブ」を生み出すととともに、とんねるずなどのスターを輩出していきました。
それまでの偶像化され高嶺の花だったアイドルとは一線を画し、現役の女子高生がそのまま放課後アイドルになる、どこか手に届きそうな等身大のアイドル「おニャン子クラブ」を生み出すととともに、とんねるずなどのスターを輩出していきました。
今や国民的なプロデューサー秋元康
いまや日本で一番有名なプロデューサーといっても過言ではない秋元康が番組の企画を担当していました。夕やけニャンニャンでのヒットが、20年後にAKBの大隆盛を生み出す源流となっています。
via 48pedia.org
若き日のとんねるず
番組開始当時すでに大ブレイクの兆しのあったとんねるずを起用したことが、夕やけニャンニャンとおニャン子クラブの大ヒットにつながったことは間違いありません。当時最高に勢いがあり、そしてなにより面白かった。
via matome.naver.jp
おニャン子クラブ初期
最前列の一番左が会員番号8番の国生さゆり。メンバーの大多数が都会出身で、なかには子役上がりの子も多いなか、地方出身で完全に素人だった国生さんは当初メンバーの中で孤立することも多かったようですが、陸上部時代に培った持ち前のキャプテンシーで徐々に頭角を現し、次第にリーダー格にのし上がっていったそうです。
via ameblo.jp
ソロデビューで大ヒット「バレンタイン・キッス」
1986年2月1日、国生さゆりwithおニャン子クラブ名義で『バレンタイン・キッス』で念願のソロデビューを果たします。同曲は約30万枚のヒットとなり、国生さゆりの代表曲でもあるとともに、現在でもバレンタインシーズンの定番ソングとなっています。
【夕やけ】 バレンタイン・キッス
国生さんのサブボーカルとして、白石麻子、渡辺美奈代がついていました。
via www.youtube.com
やっぱ〜〜好きやねん💕あいどる 🐈【オリコンチャート週間2位】バレンタインキッス 1986年2月1日に発売国生さゆりの代表曲withおニャン子クラブ【夕やけニャンニャン】 https://t.co/H0SiuBK1vJ @YouTubeさんから
— いけちゃん (@tokuyoukiss) July 9, 2016
オリコン初登場は2位。当時ライバル関係にあり、先にソロとして活躍していた新田恵利や河合その子が1位を獲得していたことから、2人には負けたくなかった、と当時の心境を語っています。
ベストアルバムも
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天狗時代!?おニャン子解散後
おニャン子クラブ解散後も、女優としての活動を中心として新人賞を受賞するなど芸能人として順風満々に飛躍していきましたが、当時交際関係にあった長渕剛に関連して一部のメディアなどからバッシングを受けるようになります。
しゃぼん玉で共演した長渕剛と不倫
1991年の共演以降、長渕剛との不倫関係が噂されましたが、1995年に長渕の大麻取締法違反で逮捕された際に記者会見を開き、長渕との不倫を認め、長渕の妻であった志保美悦子と協議のうえ関係を精算したこと、自分自身は薬物とは無関係であることを発表し物議を醸しました。
国生さん自身ものちに当時を振り返り「あの頃は天狗でした」と発言するなど、芸能界での成功体験が自分自身をおかしくしていたことなどを語っています。
魔性の女?二度の結婚と離婚
恋多き女なのか、プライベートにおいては二度の結婚と離婚を経験、さらに新たな芸能人との噂も取りざたされています。
1度目は2000年、中学時代の同級生だった一般人の男性と結婚しています。当初は鹿児島に住み、仕事の度に東京へ向かう生活を送っていましたが2003年に離婚。その後しばらくのブランクの後、同じ男性と同棲生活を送っていたようですが2008年には同棲生活も解消したようです。