アポロキャップってなに?
奇跡の生還を果たしたアポロ13号のクルー。映画にもなりましたね。
坊主頭の恥ずかしさ故に、アポロ飛行士がかぶっていたことで知られていた「アポロキャップ」
そもそも・・・
via pixabay.com
アメリカの NASAが人を月面に送るというアポロ計画の頃からスタッフの作業帽として特別なデザインをつかっていたことで「アポロキャップ」(Apollo Cap)といわれていました。アメリカ軍の軍帽だったそうです。
僕は子供の頃、リアルタイムでこのシーンを白黒テレビで見ていた記憶があります。
後に「月の石」と言われるものが日本でも公開されることがありましたよね。
僕は子供の頃、リアルタイムでこのシーンを白黒テレビで見ていた記憶があります。
後に「月の石」と言われるものが日本でも公開されることがありましたよね。
via ja.wikipedia.org
フォン・ブラウン博士に率いられる技術者たちのチームがアポロ計画を立ち上げた当初、ロケットはどのようなものを使用すべきかという点については不透明であった。このうち直接降下方式を採用するためには、計画中のノヴァのような巨大なペイロードを持つロケットが必要だった。やがてNASAが月周回ランデブー方式の採用を決定したことにより、マーシャル宇宙飛行センターはサターンIBおよびサターンVの開発へと向かうこととなった。これらのロケットはノヴァと比較すれば小型であったが同時期の他のロケットより遥かに大型であり、特にサターンVは初打ち上げから40年以上が経過した2013年現在においても、実用化に至った最大のロケットの座を保持し続けている。
サターンV(サターン5型ロケット
サターンVは、3段のロケットおよびその3段目最上部(ペイロードを含まない、サターンV単体としての最頂部)に搭載された自動飛行制御装置によって構成されている。
第1段S-ICは十字型に配置された5基のF-1ロケットエンジンを搭載し、全体で約3,400トンの推力を発生する。燃焼はわずか2分30秒で終了し、機体を時速約9,600km(秒速2.68km)にまで加速する。開発期間中、F-1はずっと燃焼の不具合に見舞われてきた。エンジンへの燃料の供給がスムーズに行われなければ推力のゆらぎが発生し、やがてそれは大きな振動となってエンジン自体を破壊してしまう。この問題は、燃焼中のエンジンの内部で小規模な爆発を発生させて燃焼のばらつきを相殺するなどの数多くの実験を行い、試行錯誤を積み重ねた結果、最終的には解決された。
第2段S-IIは5基のJ-2ロケットエンジンを搭載し、およそ6分間の燃焼で機体を時速約24,000km(秒速6.84km)、高度185kmにまで到達させる。その後は第3段S-IVBが引き継ぎ、宇宙船を地球周回軌道に乗せる。S-IVBにはJ-2エンジンが1基だけ搭載されていて、軌道上で再点火して月へと向かう軌道に乗る。
サターンIB(サターン1B型ロケット)
サターンIBは、初期のサターンI(サターン1型ロケット)の発展型である。第1段は8基のH-1ロケットエンジンを搭載し、第2段にはサターンVの第3段と同じS-IVBロケットが使用される。第1段の推力は725トンしかないが、アポロ司令・機械船および月着陸船を地球周回軌道に乗せる能力を持っている。サターンIBは各種の試験飛行および宇宙ステーションスカイラブへの人員の搬送、そしてアポロ・ソユーズテスト計画で使用された。1973年にはS-IVBを改造したスカイラブが、サターンVによって打ち上げられた。
via ja.wikipedia.org
1970年大阪万博でも公開されていたような・・・(定かではない)
こんなお話がありました。
如何にもアメリカの映画にでも出てきそうなお話
これはアポロ計画の時の画像ではありません。(悪しからず)
via earthjp.net
アメリカ海軍航空母艦CV-12「USSホーネット」です。エセックス級航空母艦の4番艦。
第二次大戦中、当初「キアサージ」という艦名で起工されましたが、ドーリットル爆撃隊で有名な先代「ホーネット」が1942年南太平洋海戦で沈んだため、その名(八代目)を引き継ぎました。
沖縄戦にも参加、大和撃沈の一端を担っています。
1969年アポロ11号の回収作業に従事、アームストロング船長ら乗員と司令船を回収しました。
現在は国定歴史建造物に指定されここで博物館として余生を過ごしています。
第二次大戦中、当初「キアサージ」という艦名で起工されましたが、ドーリットル爆撃隊で有名な先代「ホーネット」が1942年南太平洋海戦で沈んだため、その名(八代目)を引き継ぎました。
沖縄戦にも参加、大和撃沈の一端を担っています。
1969年アポロ11号の回収作業に従事、アームストロング船長ら乗員と司令船を回収しました。
現在は国定歴史建造物に指定されここで博物館として余生を過ごしています。
アポロ宇宙飛行士が生還後、回収空母の艦長がアポロ11号のクルー達にかぶせたと聞きました。なんかその時のことを想像すると如何にもアメリカ人らしいジョークの一つも交えながら敬礼してるような絵面が浮かんできませんか。