桑田靖子のプロフィール 子どもの頃から歌が上手かった!
生年月日:1967年10月30日
出身地:福岡県直方市
職業:歌手・タレント
活動期間:1982年~
所属事務所:サンミュージックプロダクション(1988年退社)→フリーランス
血液型:A型
身長:156㎝
学歴:堀越高等学校卒業
1980年 「福岡音楽祭」にてグランプリを獲得 (当時、中学1年生)
1981年 「全日本ヤング選抜スターは君だ」で優勝 (文化放送主催のオーディション)
1982年 「東芝・タレントスカウトキャラバン」で優勝
サンミュージックプロダクション所属となり芸能界へ
同郷であり憧れの「松田聖子」さんと同じ事務所に入れ、幸運を手にした桑田靖子さんのアイドルとしての人生がスタートです。
桑田靖子「脱・プラトニック」でデビュー!キャッチフレーズは「これは、16歳の戒厳令だ。」
桑田靖子 「脱・プラトニック」②1983年
1983年3月21日、シングル「脱・プラトニック」で東芝EMIからレコードデビュー
その年の「日本レコード大賞・歌謡大賞」などで「新人賞」を総なめにしたのも当然と言えますね!
キャッチフレーズは「これは、16歳の戒厳令だ。」が公式ですが、「クラスで5番目に可愛い女の子」というフレーズの方が世間的にキャッチ―だったようで、こちらが浸透していました。
《クラスで5番目に可愛い女の子》
これは全く公式ではないもの
どこかの誰かさんが
たまたま言った言葉が桑田靖子のイメージに
きっとぴったりだったのでしょうね
デビューのキャッチフレーズ?
キャッチコピー?
いまや
それさえ どう言っていたか
忘れてしまったわ 笑
では ないのです
それこそ世の中の人達が
桑田靖子に抱いていたイメージだったから
認められてウキペディアに載るほどになったのでしょうね
ひどい話しですが、松田聖子さんを筆頭に華やかなアイドルの時代でしたね。
83年デビュー組は他に・・・
大沢逸美さん、森尾由美さん、松本明子さん、小林千絵さん、岩井小百合さん、いとうまい子さん、原真祐美さん、小出広美さん等がおられます。
桑田靖子 不作の83年組と言われたアイドル時代!歌は上手かったが売れず活躍の場はバラエティへ
#桑田靖子
— Daisuke Inagaki ☆彡 (@JP1WJA) May 18, 2020
CD Best Now
CDの現物は残っていなくて、買った記憶もないので、借りてきたCDからカセットテープに録音したと思います。
1988年8月20日録音#TDK AD60 pic.twitter.com/SbF01qgVtD
大切な想い出ですね。
「天才・たけしの元気が出るテレビ」の初代メンバーに抜擢されバラエティ番組からドラマ、舞台などでも活躍。
元気が出るテレビ オープニング
桑田靖子 シングル曲 ランキング
ランキング | タイトル | 発売日 | ORICON順位 |
---|---|---|---|
1 | 脱・プラトニック | 1983年3月21日 | 50位 |
2 | あいにく片想い | 1984年4月28日 | 63位 |
3 | ひそやかな反乱 | 1984年11月21日 | 66位 |
4 | もしかして・ドリーム | 1983年10月1日 | 71位 |
5 | 愛・モラル | 1983年6月21日 | 73位 |
桑田靖子 サンミュージックプロダクション退社後 "もう歌うつもりはなかった"
🎵今日の3曲
— ふぇにっくすぅ (@phoenix_hyper2) May 22, 2020
JUST#桑田靖子
1986/05/22 TOよりリリース
10th single
オリコン圏外
詞/FUMIKO 曲/伊藤銀次 編/丸山恵市
当初C/Wのコンクリートを抱きしめてがA面の予定でしたが友人でもあり同事務所だった岡田有希子の死を彷彿する為タイトルをララバイを抱きしめてに変えC/Wを逆にしたのだとか… pic.twitter.com/cwXqMm1feq
自分の容姿にコンプレックスを持っていたという桑田さん、歌は大好きで歌いたい気持ちはあるけれど、「アイドルとしては売れない」「自分のやりたい事はバラエティじゃない」という葛藤があったのでしょうか。
退社後は、アメリカへ渡り暫くボイストレーニングに励まれていたそうですが、何年も「もう歌うつもりはなかった」そうです。
また歌うことへ気持ちが向いたキッカケは、昔の仲間からの「セッションするからやらない?」
そこから1年に1回か2回のペースでライブ活動をしたり、アニソンやCM中心の活動を10年間。
30代は又、歌から離れフツーの生活を送っていたそうです。