鮎川いずみさんの経歴
♬ '女は海' - 鮎川いずみ ♪ #nowplaying
— ただし (@Tadashi_22) November 15, 2016
これは京本政樹さん作詞作曲の曲。必殺シリーズの歌を作るにあたって、歴代の主題歌を集めて研究したらしい。雰囲気がいい。 pic.twitter.com/tCROCvQ2ko
マルチな活躍ぶりをみせた鮎川いずみさん
デビュー当初は”鮎川いづみ”の芸名で活動されていた鮎川いずみさん。1967年、16歳の彼女は映画『また会う日まで 恋人の泉』に出演して芸能界デビューを果たします。
その後、テレビドラマを中心に映画・舞台にも出演。なかなかレギュラー出演の機会には恵まれなかったものの、ゲスト出演を重ねて女優としてのキャリアを積んでいきました。
1980年、芸名を”鮎川いずみ”に改名。この時期、人気時代劇シリーズ『必殺仕事人』に何でも屋の加代役として出演すると、女優としての知名度を一気に高めます。
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それまでは時代劇の印象が強かったですが、『京都殺人案内シリーズ』『ザ・ハングマン』などの現代劇にも出演されるようになり、その美貌から人気女優として注目される存在になっていきました。
1982年には『必殺仕事人Ⅲ』のテーマソング『冬の花』を歌い、レコードは約20万枚にも上る売上枚数を記録。さらには日本有線大賞・新人賞も獲得されています。
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1992年、プライベートで事故にあって足を骨折。その当時は、人気時代劇『大岡越前』の準レギュラーとして活躍されていましたが、3カ月の入院を余儀なくされ、その後、突如として芸能界の引退を表明されました。
引退後のインタビューで、彼女は引退を決意した理由を述べており、どこか芝居に苦手意識をもっていて、努力はしていたものの、自分は芸能界に向かないと判断されたとのこと。
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これ以降、現在に至るまで芸能界に復帰されるといった話はありません。よほど固い決意だったことが伺えます。
芸能界を引退された鮎川いずみさんは、その後、1995年に野村総合研究所の元専務だった一般男性と結婚されています。この結婚が二度目で再婚だったというウワサもありますが、その話が事実なのか、相手は誰でいつ結婚されたのかも分かりません。
公開されていない事実を考えると、彼女にとって、触れられたくもない過去なのかもしれませんね。
公開されていない事実を考えると、彼女にとって、触れられたくもない過去なのかもしれませんね。
鮎川いずみさんを彩る緊縛シーンの数々
時代背景や当時の嗜好もあったのだと思われますが、なぜか緊縛シーンが豊富な鮎川いずみさん。その手のプレイを好む男性ファンは、緊縛されている彼女にかなりの興奮を覚えたようで、そんな彼女のあられもない姿をまとめたサイトがあります。
ヌードや濡れ場といった性的描写はありませんので、リンク先の画像をご覧になって、彼女を縛っている縄の食い込み具合、苦痛・苦悩の歪む表情を存分に楽しんでいただければと思います。
AV女優・鮎川いずみさん
鮎川いずみさんのヌード・濡れ場情報を検索してみると”AV女優”なる素敵な言葉が!
うひょーーー!!
(旧姓:加藤)
生年月日:1951年3月8日
血液型 :O型
身長 :158㎝
出生地 :東京都港区榎坂町
職業 :実業家
(元女優・元歌手)
活動期間:1967年~1992年