成田賢さん追悼記事:奥様が語られた賢にぃのこと。
2018年11月26日 更新

成田賢さん追悼記事:奥様が語られた賢にぃのこと。

2018年1月、ミド編は成田賢さんにインタビューする機会をいただきました。波乱万丈の人生、御年72歳で「一生青春」「最後まで歌い続ける」と笑って話してくれた賢さん。2018年11月13日の訃報を受け、ミド編は賢さんの奥様にご挨拶差し上げ、生前の賢さんについて奥様からお聞きすることが出来ました。

3,859 view

2018年11月13日、成田賢さん永眠

2018年11月13日午前7時過ぎ、肺炎の為に亡くなった成田賢さん。

本年、英気溌溂とした賢さんを取材する機会をいただいたミドルエッジ編集部(ミド編)は、まだ身辺整理も慌ただしいなかで賢さんの奥様に一言哀悼のご挨拶を差し上げたく、お時間をいただきました。

そこで奥様が語られた成田賢さんについて、憚りながら追悼記事として記させていただきます。

※本記事内で、成田賢さんをリスペクトの気持ちを込めて「賢さん」と呼ばせていただきます

36歳でバイク事故、人知れず後遺症と闘い続けた賢さん

サイボーグ009、デンジマンの主題歌。
私たちが賢さんを偲ぶとき、必ずこの曲が流れることでしょう。

しかしこれらの曲が生まれた直後に賢さんはバイク事故で負傷、81年に歌手を引退した後は長く厳しい後遺症との闘いの人生となりました。

首と骨の間に神経が挟まった胸郭出口症候群は西洋医学ではなかなか完治出来ないとされ、賢さんは長らく針治療を続けていたそうです。

「1万回痛いといっても痛みが取れるわけではない」

奥様によれば、賢さんは日ごろ首を動かす度に「ボキボキ」とリンパ腺が音を立てるような状態。
相当な痛みや苦しみと日々向き合い続けていたんだろうと話します。

しかし「1万回痛いといっても痛みが取れるわけではない」として、賢さんは普段からその辛さを口に出すことをしなかったそうです。

2008年10月22日に出会い、音楽活動復帰後の賢さんを支え続けた奥様

奥様は現在45歳。
賢さんとは実に、親子以上に年の離れた夫婦でした。

賢さんと奥様はともに自身の家庭環境で苦労を経験した者同士、連れ添った10年は実に穏やかな夫婦生活だったといいます。

ちなみに賢さんの死後、ファンの方との交流を大切にされた賢さんの意を継いでツイッターなどの発信を続けておられるのが奥様です。

徹底していたプロ意識、仕事には厳しかった賢さん

賢さんはとにかく仕事への拘り、プロ意識の固まりのようだったと奥様は話します。

また、自分に無理してストレスを抱えてまで売れるための仕事をすることはしなかったそうです。
賢さんの言葉にこのような言葉があります。
大きな花束の中の一輪ではなく、小さくとも心の中に咲く一輪の花になりたい。
その為に俺は歌っているんだ。

と。

その波乱万丈な人生を本人は「999転び1000起き」なんだと笑って話されていたそうです。

身だしなみには人一倍気を使った

オシャレには人一倍気を使った賢さん。

予算の限られた中でも「品質」「ファッション性」「自分に合っているか」にこだわりを持っていたといいます。なかでも特に意外性やミスマッチを楽しんで服選びをしていたそうです。

また、余談ながら賢さんは「忘れ物の名人」でもあったそうです。
高価なモノであろうがお構いなく失くしてしまい、時にはロレックスの時計を失くしたことも。

そんな賢さんが、常に肌身離さずにつけていたのは奥様がプレゼントしたオーダーメイドのペンダント。いまは奥様が賢さんの形見として大事に身に着けています。

生涯を通して現役の気持ちが強かった

「他人と比べない、過去の自分とも比べない」

賢さんは自身が闘っていた後遺症のことを他人に見せず、いつも前向きで新しいことにトライしていました。

そのことは生前のインタビューでも語っておられます。
プロとして、人に弱音を吐かずにカッコいい姿を貫き続けた賢さん。
もしかしたら、長年闘い続けてきた肉体の痛みや苦しみから解放されたという言い方が出来るのかもしれません。

いまとなってはその胸の内を隣で感じていた自分が、賢さんの想いや考えをファンの方に届け続けることが使命なのでは、と奥様は語ります。

賢さんの遺した作品は永遠に生き続けます。
それとともに賢さんの生き様もまた、奥様を通してファンの皆様の心に生き続けることを願います。

追悼リサイタルのお知らせ

20 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • 小室 2020/7/23 13:16

    今更ながらではありますが、改めて成田さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

    しまむら 2018/12/18 02:57

    まさかそんな身体の痛みをお持ちで、ブログなどでもそんな素振りも見せず、、生き様に感銘します。特に復帰後は、作品の素晴らしさを再認識して、ここ一番の時や、落ち込んだ時も、賢にぃのうたを聞いて勇気をもらって乗り越えてきました。正に仰る通り私の心の中では決して枯れることなく、一輪の花として今でも咲いています。今回、とてもとても悲しく思いますが、心からありがとうと伝えたいです。
    素晴らしい歌をありがとう。勇気をありがとうございました。

    もじら 2018/11/21 10:16

    痛みや苦しみからようやく解放されたね、賢にぃ。
    ご冥福を申しあげます。
    天国でも歌い続けて下さい。

    すべてのコメントを見る (3)

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

「誰がために」歌い続ける!伝説のアニソンシンガー成田賢が、55年の歌手人生とこれからを語ります!!

「誰がために」歌い続ける!伝説のアニソンシンガー成田賢が、55年の歌手人生とこれからを語ります!!

1967年にグループサウンズでデビュー。シンガーソングライターの顔にアニメソングシンガーの顔、また数多くのCMソングシンガーでもある伝説の歌手、成田賢。今でも現役で歌うその姿は、全国で数多くのファンを魅了している。そんな伝説のシンガー成田賢に、歌手を志した青春時代からデビュー50年を超えてこれからについて大いに語って頂きました。
『ヒデ夕樹没後20周年&成田賢追悼リサイタル』が4月21日開催!剣持 光がプロデュース!!

『ヒデ夕樹没後20周年&成田賢追悼リサイタル』が4月21日開催!剣持 光がプロデュース!!

2019年4月21日に、東京・神田神保町のブックカフェ二十世紀で『ヒデ夕樹没後20周年&成田賢追悼リサイタル』が開催されることが決定しました。昭和文化を愛し、昭和文化を発信し続けている剣持 光さんが、お二人の功績を振り返ります。
【勝手にBEST10】主題歌が文句なしにカッコイイ☆TVアニメ(1970年代編)

【勝手にBEST10】主題歌が文句なしにカッコイイ☆TVアニメ(1970年代編)

いつの間にかオタクっぽいイメージになってしまった“アニソン”ですが、かつて“アニソン”が本当にカッコ良い時代がありました♪1970年代の“アニソン”を勝手にランキング!!
ヤマダゴロー | 8,496 view
カリオストロの城、サイボーグ009、装甲騎兵ボトムズ…「昭和の名作アニメ版画展」が名古屋・東京にて開催決定!!

カリオストロの城、サイボーグ009、装甲騎兵ボトムズ…「昭和の名作アニメ版画展」が名古屋・東京にて開催決定!!

アートコレクションハウスが、アニメファン必見の展示販売会「昭和の名作アニメ版画展」を名古屋(10月25日~27日)および東京(11月22日~24日)で開催します。
隣人速報 | 98 view
アニソン歌手としても活躍した元アイドル宮里久美って覚えてる?

アニソン歌手としても活躍した元アイドル宮里久美って覚えてる?

16歳の時に歌手デビューし、80年代後半にアイドル歌手として活動していた宮里久美さん。OVA作品「メガゾーン23」の主題歌を歌い注目されましたが現在は完全に引退されています。この記事では、そんな宮里久美さんについてまとめてみました。
ハナハナ | 246 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト