初めて会った成人式の出来事
なんとか、高校受験も二人ともクリアをして、文通も5年がたち、私は就職の道へ、相手は大学生に。私は、またまた親の都合で引っ越しをすることに。たまたま相手と同じ県だったのですが、住んでいる市が違ったので私は友達が誰もいない成人式を迎えることとなり、そんな話しを手紙に書いたら、成人式が終わったら、二人で成人式をしようと言ってくれて、なんと!初めて逢うことになりました。初めて逢ったのに、誰よりも濃い話しを文通でしていましたので、話がつきませんでした。忘れられない成人式でした。
今もあったペンフレンド募集
今もペンフレンド募集ってあるのかなあと探してみましたら、ありましたよ。
日本郵便株式会社が、「青少年ペンフレンドクラブ」というのをやっていました。
終戦間もないころからずっと行っていたようです。
日本郵便株式会社が、「青少年ペンフレンドクラブ」というのをやっていました。
終戦間もないころからずっと行っていたようです。
終戦間もない 、世の中が混沌としていた昭和24年(1949年)6月5日、名古屋市内の中・高校生約600人が名古屋市内の東山動物園に集まり、「国内はもちろん外国にも友だちを求めて、友愛の世界を築こう!」と呼び掛けて、青少年ペンフレンドクラブの前身「郵便友の会」として発会式を行いました。
海外のお友達とペンフレンドになりたい方には、「国際ペン・フレンド協会」というのがありました。こちらも歴史が古いです。知りませんでした。
国際ペン・フレンド協会は、1946年太平洋戦争終結の翌年、「世界平和は市民同志のふれあいから」の理念のもとに設立されました。
懐かしいペンフレンドとの想い出。最後に・・
お互いに逢ってからは、電話のやりとりに移り、あまり手紙を書くこともなくなりましたね。私も仕事が忙しくなり、相手も大学生を謳歌していましたし。そして、文通から10年くらいしたときに、相手が結婚したので、自然に終わってしまいました。良き想い出でした。今は、ほとんどいっていいほど、手紙は書かなくなりましたが、同時に漢字も忘れていきますね。
今は、メールでのやりとりがほとんどですが、今の時代だからこそ、たまにはお手紙でのやりとりも良いものかもなあと、ふと思いました。
私たちの時代は、文通や交換日記が流行っていましたので、ペンフレンドがいた方も多いのではないでしょうか。みなさんのペンフレンドとの想い出を聴かせてくださいね。
今は、メールでのやりとりがほとんどですが、今の時代だからこそ、たまにはお手紙でのやりとりも良いものかもなあと、ふと思いました。
私たちの時代は、文通や交換日記が流行っていましたので、ペンフレンドがいた方も多いのではないでしょうか。みなさんのペンフレンドとの想い出を聴かせてくださいね。