いまやすっかり清涼飲料水などと同じイメージの「カルピス」
「カラダにピース」のカルピスCM、長澤まさみさんのイメージが強いです。
【人気CMまとめ】 【長澤まさみ@CM】 【カルピス】 長澤まさみの10年をカルピスとともに - YouTube
実は、長澤まさみさんは、約10年間カルピスのCMを担当しています。最初の頃は女子高生として、最近では先生役として出演されています。 長澤さんファンとして、ずっと起用し続けているカルピスさんに感謝の気持ちでいっぱいです。(カルピスCMを見れば、長澤さんの歴史が分かるんです)
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かつては「贈答品」の定番でしたよね
「今日は家に帰ってカルピス飲む」ってのは、ケーキやクッキーを食べるような感覚だったことを憶えています。
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カルピス誕生からの歩み
1902年(明治35年)、当時25歳の三島は内モンゴル(現在の中華人民共和国・内モンゴル自治区)を訪れ、そこで口にしたジョッヘという飲み物を参考にして、1919年(大正8年)にカルピスを開発・発売し、この飲料と同名の企業の創業者となったと伝えられている。
脱脂乳を乳酸菌で発酵(酸乳)しこれに加糖、さらに酵母(馬乳酒中の酵母と近似)による発酵がカルピス独特の風味に不可欠であることは、長く企業秘密とされていたが、1990年代半ばに公開された。
カルピスの創業者は僧侶出身の三島海雲氏です。
戦前は一般家庭の常備品や軍隊の補給品として、戦後は贈答用としても広く普及します
飲料のカルピスは1919年(大正8年)7月7日に販売開始。この時のカルピスは現在の薬用養命酒のような下膨れのビンで、ビーナスが描かれた紙箱の包装でした。
1922年に水玉模様の包装紙を巻いたものになりますが、最初は青色地に白い無地玉。1953年(昭和28年)に色を逆にし、白地に青い水玉となりました。
1922年に水玉模様の包装紙を巻いたものになりますが、最初は青色地に白い無地玉。1953年(昭和28年)に色を逆にし、白地に青い水玉となりました。
長く使われていたこのマーク
第一次世界大戦終戦後のドイツで苦しむ画家を救うため、当時の社長の三島氏が開催した「国際懸賞ポスター展」で、3位を受賞したドイツ人デザイナーのオットー・デュンケルスビューラーによる作品を使用していました。
後年「黒人マーク」と呼ばれるようになり、1989年(平成元年)に一部から“差別思想につながる”との指摘を受けて現行マークに変更されたそうです。
後年「黒人マーク」と呼ばれるようになり、1989年(平成元年)に一部から“差別思想につながる”との指摘を受けて現行マークに変更されたそうです。
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1973年にはカルピスソーダが発売に
幼少期、なんでカルピスソーダはそのまま飲めるのかな?なんて思ったものです。
炭酸水で薄めるソーダ飲料としたのは、当時の技術では普通の水で薄めた場合に長期の品質維持に問題があったためなんだそうです。
炭酸水で薄めるソーダ飲料としたのは、当時の技術では普通の水で薄めた場合に長期の品質維持に問題があったためなんだそうです。
その後、1980年代終盤に差し掛かると生活様式の変化によって、わざわざ薄めて飲む原液カルピスは、徐々に人気が下火となったとあります。
しかし!
しかし!