カール・ハインツ ルンメニゲ
生年月日 1955年9月25日
身長、体重 182cm、74kg
利き足 右
ポジション FW(センターフォワード)
選手概要
リップシュタットを経て、1974年バイエルン・ミュンヘンに入団。
類まれなスピード、テクニック、決定力でファンを魅了し、3度の得点王に輝く。
’74〜75年ヨーロッパ・チャンピオンズカップを制覇。その後、イタリア・セリエAのインテル、スイスのセルヴェッテでプレー。’81〜86年西ドイツ代表の主将を務め、’80年、’81年ヨーロッパ最優秀選手に選ばれた。
W杯は’78年、’82年、’86年と3大会連続で出場し、準優勝2回。国際Aマッチ通算95試合出場、45得点。
’80年代を代表するストライカーで、“ミスター・ヨーロッパ”といわれた。
引退後、バイエルン・ミュンヘン副会長を経て、会長に就任。
所属クラブ
1984~1987年 インテル
1987~1989年 セルヴェット(スイス2部)
「ミスター・ヨーロッパ」
「皇帝」ベッケンバウアーや、「爆撃機」ゲルト・ミュラーの系譜に連なるドイツのスターで、「ミスター・ヨーロッパ」の異名をとります。
数字の上では表れない強靭な肉体でのダイナミズム、持久力、決断力はピッチ上で際立っています。
日本とのトリビア
・1993年から1995年に浦和レッドダイヤモンズに所属していたミヒャエル・ルンメニゲは実弟にあたる。
・自身が代表取締役をつとめるバイエルン・ミュンヘンは、2006年に浦和レッズとパートナーシップを締結。
同年7月31日には埼玉スタジアムで両チームの親善試合が行われた際に来日し、OBオールスターマッチにも参加して往年の技を披露、ハットトリックの活躍を見せた。
・まだ無名だった頃、1975年1月にバイエルンミュンヘンの一員として来日、1月7日の日本代表との試合では開始1分でゴールを決めている。
FWではなく、MFでの出場が多かったです。
W杯
西ドイツ代表では、1976年10月6日ウェールズ戦でデビュー。ワールドカップには3大会(1978年アルゼンチン大会、1982年スペイン大会、1986年メキシコ大会)に出場。ワールドカップの舞台では、1982年と1986年は怪我のためフル出場試合は少ないが、合計10得点を挙げている。
特に1982年大会の準決勝・フランス戦の延長戦、および1986年大会決勝・アルゼンチン戦で、ともに2点ビハインドの場面で記録した追撃のゴールで知られる。前者はアクロバチックな体勢から決め、後者はまさに「魂で押し込んだ」とも言うべき泥臭いゴールであった。