【サッカー列伝】西ドイツの至宝・カール・ハインツ ルンメニゲ
2016年11月25日 更新

【サッカー列伝】西ドイツの至宝・カール・ハインツ ルンメニゲ

元西ドイツ代表 カール・ハインツ ルンメニゲ。ゲルト・ミュラーと並び称されるストライカー。「ミスターヨーロッパ」と呼ばれた彼に迫ります。

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カール・ハインツ ルンメニゲ

カール・ハインツ ルンメニゲ

カール・ハインツ ルンメニゲ

出身地 ドイツ(代表)
生年月日 1955年9月25日
身長、体重 182cm、74kg
利き足 右
ポジション FW(センターフォワード)

選手概要

 (1563863)

ミスターヨーロッパ
リップシュタットを経て、1974年バイエルン・ミュンヘンに入団。

類まれなスピード、テクニック、決定力でファンを魅了し、3度の得点王に輝く。

’74〜75年ヨーロッパ・チャンピオンズカップを制覇。その後、イタリア・セリエAのインテル、スイスのセルヴェッテでプレー。’81〜86年西ドイツ代表の主将を務め、’80年、’81年ヨーロッパ最優秀選手に選ばれた。

W杯は’78年、’82年、’86年と3大会連続で出場し、準優勝2回。国際Aマッチ通算95試合出場、45得点。

’80年代を代表するストライカーで、“ミスター・ヨーロッパ”といわれた。

引退後、バイエルン・ミュンヘン副会長を経て、会長に就任。

所属クラブ

 (1563869)

バイエルン・ミュンヘン  
1974~1984年 バイエルン・ミュンヘン
1984~1987年 インテル
1987~1989年 セルヴェット(スイス2部)

「ミスター・ヨーロッパ」

「皇帝」ベッケンバウアーや、「爆撃機」ゲルト・ミュラーの系譜に連なるドイツのスターで、「ミスター・ヨーロッパ」の異名をとります。
数字の上では表れない強靭な肉体でのダイナミズム、持久力、決断力はピッチ上で際立っています。
 (1563870)

セリエA・インテルにも所属した

日本とのトリビア

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浦和レッズ
・1993年から1995年に浦和レッドダイヤモンズに所属していたミヒャエル・ルンメニゲは実弟にあたる。

・自身が代表取締役をつとめるバイエルン・ミュンヘンは、2006年に浦和レッズとパートナーシップを締結。
同年7月31日には埼玉スタジアムで両チームの親善試合が行われた際に来日し、OBオールスターマッチにも参加して往年の技を披露、ハットトリックの活躍を見せた。

・まだ無名だった頃、1975年1月にバイエルンミュンヘンの一員として来日、1月7日の日本代表との試合では開始1分でゴールを決めている。
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ミヒャエル・ルンメニゲ(弟)
ちなみに弟のミヒャエル・ルンメニゲも、バイエルン・ミュンヘンでのレギュラーや西ドイツ代表でのプレー経験があります。
FWではなく、MFでの出場が多かったです。

W杯

 (1563884)

'86W杯決勝 マラドーナ(左)と ルンメニゲ(右)両主将。
西ドイツ代表では、1976年10月6日ウェールズ戦でデビュー。ワールドカップには3大会(1978年アルゼンチン大会、1982年スペイン大会、1986年メキシコ大会)に出場。ワールドカップの舞台では、1982年と1986年は怪我のためフル出場試合は少ないが、合計10得点を挙げている。

特に1982年大会の準決勝・フランス戦の延長戦、および1986年大会決勝・アルゼンチン戦で、ともに2点ビハインドの場面で記録した追撃のゴールで知られる。前者はアクロバチックな体勢から決め、後者はまさに「魂で押し込んだ」とも言うべき泥臭いゴールであった。
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  • ジャングルぶぎー 2019/7/18 23:19

    1980年代前半、当時小学生高学年~中学生頃だった私はサッカーにほとんど興味が無く、マラドーナやジーコ、プラティニも知らなかったが、ルンメニゲの名前だけは知っていた。

    当時家で購読していた新聞(一般紙)はテレビ欄、4コママンガ、スポーツ欄ぐらいしか読んでいなかったが、海外のサッカー試合の結果もよく載っていて、そこでいつもルンメニゲという名前を見かけたのだ。ドイツ代表の試合だったのか、バイエルンの結果だったのか詳細は全く覚えていないが、とにかくいつも名前を見かけたので、俺はこの選手が一番すごいサッカー選手なのだろうと思っていた。

    後年、浦和レッズに弟が入団した時、「えっ!?あのルンメニゲってまだ現役で頑張ってたんだ!?」と驚いた。なにせ顔も全然知らなかったし、何か珍しい名前っぽかったから・・・(笑)

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