ザ・スカウトアイドルを探せ!とは
「ザ・スカウトアイドルを探せ!」は、おニャン子クラブの新メンバーを決めるオーディションで、『夕やけニャンニャン』の番組内で毎週放送されていました。月曜日から金曜日までの毎日、歌、水着、特技、プロモーションビデオなどが披露され、金曜日に審査結果が発表されます。100点以上獲得すると合格。晴れておニャン子クラブの一員となれます。
メンバーのうち、会員No.1〜11は『オールナイトフジ女子高生スペシャル』から選抜された初期メンバーで、会員No.12以降がオーディションで選ばれた追加メンバーです。この中から今回は、オーディションでの評価がずば抜けて高く、特に高い得点を挙げた「トップ5」をご紹介します。
第4位(同点で2名)から順に、カウントダウンでご紹介します。カッコ内の数字は会員番号です。
メンバーのうち、会員No.1〜11は『オールナイトフジ女子高生スペシャル』から選抜された初期メンバーで、会員No.12以降がオーディションで選ばれた追加メンバーです。この中から今回は、オーディションでの評価がずば抜けて高く、特に高い得点を挙げた「トップ5」をご紹介します。
第4位(同点で2名)から順に、カウントダウンでご紹介します。カッコ内の数字は会員番号です。
第4位 渡辺満里奈 120点
合格者 | 渡辺満里奈(No.36) |
---|---|
得点 | 120点 |
加入日 | 1986年3月27日 |
加入時の年齢 | 15歳 |
高校生になる直前、1986年3月のオーディションに登場。
初日から注目され、とんねるずからは、まだオーディションの途中なのに「ウチの事務所でおさえたから」と、合格の太鼓判を押されます。自身の特技では、タップダンスを披露。
合格発表時には、審査員の一人だった秋元康から「これでまた1位が取れる」と早くもソロデビューを匂わせる発言がありました。実際に、その年の10月に『深呼吸して』(作詞:秋元康)でソロデビューを果たし、オリコン初登場1位を獲得しています。
元おニャン子としては希少な、現在も活躍するマルチタレントの一人です。
初日から注目され、とんねるずからは、まだオーディションの途中なのに「ウチの事務所でおさえたから」と、合格の太鼓判を押されます。自身の特技では、タップダンスを披露。
合格発表時には、審査員の一人だった秋元康から「これでまた1位が取れる」と早くもソロデビューを匂わせる発言がありました。実際に、その年の10月に『深呼吸して』(作詞:秋元康)でソロデビューを果たし、オリコン初登場1位を獲得しています。
元おニャン子としては希少な、現在も活躍するマルチタレントの一人です。
via www.amazon.co.jp
第4位 五味岡たまき 120点
合格者 | 五味岡たまき(No.21) |
---|---|
得点 | 120点 |
加入日 | 1985年7月26日 |
加入時の年齢 | 15歳 |
在籍期間は短かったものの、初期のおニャン子ファンなら誰もが知る伝説のメンバーです。
白石麻子(No.22)と同じ週のオーディションに出場し、共に合格。白石は解散まで在籍しましたが、五味岡は1985年9月で脱退します。寺本容子(No.20)も同時期に脱退したことから、とんねるずや片岡鶴太郎らがよく、二人をセットでネタにしていました。
その後、五味岡は、おニャン子とは別ルートで芸能活動を続けます。ドラマ出演、グラビアなど多方面で活躍。バラエティ番組『パオパオチャンネル』の金曜日に、若きウッチャンナンチャンとともにレギュラー出演していました。
白石麻子(No.22)と同じ週のオーディションに出場し、共に合格。白石は解散まで在籍しましたが、五味岡は1985年9月で脱退します。寺本容子(No.20)も同時期に脱退したことから、とんねるずや片岡鶴太郎らがよく、二人をセットでネタにしていました。
その後、五味岡は、おニャン子とは別ルートで芸能活動を続けます。ドラマ出演、グラビアなど多方面で活躍。バラエティ番組『パオパオチャンネル』の金曜日に、若きウッチャンナンチャンとともにレギュラー出演していました。
via www.amazon.co.jp
第3位 横田睦美 129点
合格者 | 横田睦美(No.28) |
---|---|
得点 | 129点 |
加入日 | 1985年11月29日 |
加入時の年齢 | 18歳 |
ニッポン放送『三宅裕司のヤングパラダイス』の「ヤンパラ・イメージガール・コンテスト」と「ザ・スカウトアイドルを探せ!」のコラボ企画のコンテストで、見事優勝。同時に、おニャン子クラブの新メンバーとなりました。この時、渡辺美奈代(No.29)、三上千晶(No.30)、矢島裕子(No.31)らも合格し、メンバーが一気に4人も増えています。
当時、『夕やけニャンニャン』の司会だった吉田照美は、自身の文化放送『てるてるワイド』の裏番組のコンテストで司会を務めるハメになり、冗談混じりの愚痴をこぼしていました。
横田は、学校側の都合で、合格直後はラジオのみの出演でしたが、学校を卒業した翌年3月から夕やけニャンニャンにも登場しました。おニャン子クラブには解散まで在籍し、グループの楽曲ではたびたびメインボーカルを務めました。
当時、『夕やけニャンニャン』の司会だった吉田照美は、自身の文化放送『てるてるワイド』の裏番組のコンテストで司会を務めるハメになり、冗談混じりの愚痴をこぼしていました。
横田は、学校側の都合で、合格直後はラジオのみの出演でしたが、学校を卒業した翌年3月から夕やけニャンニャンにも登場しました。おニャン子クラブには解散まで在籍し、グループの楽曲ではたびたびメインボーカルを務めました。
via www.amazon.co.jp
第2位 河合その子 140点
合格者 | 河合その子(No.12) |
---|---|
得点 | 140点 |
加入日 | 1985年4月5日 |
加入時の年齢 | 19歳 |
『夕やけニャンニャン』の放送が始まったのが、1985年4月1日。「ザ・スカウトアイドルを探せ!」も同日から始まり、トップバッターで登場したのが河合その子でした。いきなり140点というぶっちぎりの高得点で、見事合格。実はこのとき、エントリーした5人中3人が合格し、内海和子(No.13)、富川春美(No.14)もおニャン子クラブの一員になっています。
おニャン子クラブで最初にソロ活動を始めたのは河合で、1985年9月、『涙の茉莉花LOVE』でソロシングルデビューを果たします。作曲は、後の伴侶となる後藤次利で、作詞も実は、共作の一人が後藤です。本曲は、オリコンシングルチャートで第1位を獲得しました。
おニャン子クラブで最初にソロ活動を始めたのは河合で、1985年9月、『涙の茉莉花LOVE』でソロシングルデビューを果たします。作曲は、後の伴侶となる後藤次利で、作詞も実は、共作の一人が後藤です。本曲は、オリコンシングルチャートで第1位を獲得しました。
via www.amazon.co.jp
第1位 立見里歌 142点
合格者 | 立見里歌(No.15) |
---|---|
得点 | 142点 |
加入日 | 1985年4月19日 |
加入時の年齢 | 19歳 |