亀石 征一郎さん(かめいし せいいちろう、1938年11月30日 - )は、日本の俳優・作詞家・脚本家・作家。東京市港区出身。本名同じ。
芝高等学校卒業。株式会社フェイスプランニング所属。
高校時代は空手道やボクシングに励む。空手道は弐段。劇団文化座を経て、1959年に東映ニューフェイスの第6期に合格。同期には千葉真一さん・太地喜和子さん・真山知子さん・茅島成美さん・新井茂子さん・都築克子さんらがいる。東映入社後、1960年に『おれたちの真昼』でデビュー。1962年に東映の専属を離れ、一時期は松竹芸能に所属。1968年より大映の作品に出演。テレビドラマでも1960年代から70年代にかけて主演や準主演をこなしたが、70年代半ば以降は悪役として多くの時代劇に出演している。
千葉真一さんとは親友で、千葉が主宰するジャパンアクションクラブ (JAC) の重役を務め、千葉が主演の時代劇『影の軍団IV』、『影の軍団 幕末編』では敵役・楯岡道雪に扮して主題歌「曠野」の作詞も担い、JACミュージカル『酔いどれ公爵』の原作を手掛けた。2005年には『フライング・タワー』で作家デビューした。
息子は剣一郎(長男)、将也(次男)、太夏匡(たかまさ・三男)の3人。3人はメンズファッションブランド「パイドパイパー」の主宰であり、「亀石三兄弟」として若者の間でのカリスマ的存在となっている。
過去には十二社で「侍」という居酒屋を営んでいた。
中田 博久(なかた ひろひさ、1943年3月9日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。東京府出身。身長176cm、体重78kg。父親は戦前中の二枚目俳優で戦後は映画製作会社の社長・中田弘二。妻は女優の新井茂子。アール・クルー所属。
日本大学第二高等学校在学中の1960年、父がかつて所属していた日活のニューフェースとして映画『南海の狼火』でデビュー。その後、日本大学藝術学部に進学し、卒業後の1965年に東映で再デビューを果たす。
『昭和残侠伝』シリーズなどで重要な役柄を演じる一方、特撮作品では主役級で活躍。
『名探偵明智小五郎シリーズ 怪人四十面相』では明智小五郎役を演じた。
1967年には『ウルトラマン』の後番組である『キャプテンウルトラ』に主演。宇宙を舞台に怪獣や侵略者と戦う素顔の等身大ヒーローを演じた。
1970年代以降、アクの強い悪役を演じる機会が増加。『仮面ライダーアマゾン』(ゼロ大帝)や『超電子バイオマン』(メイスン)などに出演した。河崎実監督作品には常連出演している。特技は柔道・殺陣・乗馬・ゴルフ・料理。
出演回数第4位は原口 剛さん
原口 剛さん(はらぐち ごう、1939年3月23日[1] - )は日本の俳優。本名は同じ。長崎県出身。中央大学卒業。劇団東演、劇団青俳を経て、オフィス香に所属していた。テレビ・舞台を中心に活動し、時代劇や刑事ドラマでは悪役を多数演じる。
声質は低音で激高する際に声が裏返るという独特の演じ方を持つ。なお、素顔は映像・舞台とも時代劇がほとんどなので頭を剃りスキンヘッドである。
出演回数第3位は川合伸旺さん(故人)
川合 伸旺さん(かわい のぶお、本名;川合 伸男、1932年4月18日 - 2006年6月24日)は、日本の俳優、声優。愛知県豊橋市出身。愛知県立時習館高等学校卒業。
劇団青俳・劇団NLT・三島由紀夫主宰の浪曼劇場を経て、フリーとなる。
特に時代劇における悪代官役で有名で、悪代官のイメージを確立させた役者の1人とされる。
一方、千葉真一主演の『激突! 殺人拳』では空手家、西田敏行主演の『翔んでる!平賀源内』ではドジな町奉行・能勢甚四郎を演じており、本来の芸域は広い。
プライベートでは時代劇で見せる演技とは異なり、大変気さくな穏やかな人柄であった(街頭で通り掛りの子供達から「悪代官だ!」と声を掛けられても、決して嫌な顔をせず、笑顔で手を振って答えていたという)。川合自身は「子供達が私の名前を知らなくても、顔を見ただけで『時代劇の悪代官の人だ!』と言われるのは、役者としてとても嬉しいことです」と語っていた。
その人気の高さから、アルフレックスにより川合の悪代官姿をモデルにしたフィギュア人形が発売されたほどだった(再現性も高く、悪代官の決まり文句の「お主も悪よのう」の台詞が書かれるなど、非常に凝った造りになっていた)。川合自身はフィギュア化を非常に喜びつつも「こんなものが売れるのかな」と心配していたが、即完売したという。
同じく時代劇の悪役で著名だった田口計とともにカンロのど飴のCMに出演した(2バージョン制作され、のど飴が賄賂の小判および密輸品の形で登場していた)。
洋画吹き替えではポール・ニューマンを担当していた。
1969年、結婚するも1年足らずで離婚。
晩年は画家として個展を開催していた。
本人が東京都内を車で走行中、建設中の橋が落下する事故が起こり、奇跡的に無傷で済んだ(もう少し前進していれば即死の恐れもあったが、「ベンツだったから良かった」と語っている)。
2003年、腹部大動脈瘤の手術中に脳梗塞を発症し、療養のため芸能活動を休止していたが、2006年6月24日19時56分、脳梗塞のため東京都中央区の病院で74歳で逝去。同月30日、東京都渋谷区の斎場で葬儀が営まれた。最後は金色の宮型霊柩車で運ばれた。
出演回数第2位は高野眞二さん
高野 眞二(たかの・しんじ、1925年(大正14年)12月8日 - )は、日本の映画俳優。神奈川県出身。身長は170cm。血液型はB型。日本大学高等学校卒業[要出典]。旧芸名は高野真二。
1954年、松竹に入社。時代劇、現代劇を問わず多くの松竹映画に出演。
1965年、フリーとなり以降は、東映や日活の映画やテレビに出演。芸歴50年以上の、映画・テレビの名脇役である。
水戸黄門に出演回数は歴代2位の56回出演し、藩主・悪代官・悪奉行・善家老・悪家老・悪徳商人・道中奉行などを演じた。
出演回数第1位は内田勝正さん
内田 勝正さん(うちだ かつまさ、本名:同じ、1944年9月19日 - )は、千葉県野田市出身の俳優。別名義:内田 昌宏(1978年頃に使用)。現在は、エ・ネスト所属。
1967年に青山学院大学を卒業。在学中はESSに参加し、英語劇を上演していた。卒業後の1968年、劇団四季を経て、三島由紀夫を中心とする劇団「浪曼劇場」の結成に参加。中村伸郎、中山仁、勝部演之、川合伸旺らと共に、劇団の中心俳優として舞台に立つ。三島には眼をかけられ、舞台『サロメ』ではヨカナーン役に抜擢されるが、三島の死後、劇団は解散。以後はテレビ・映画を中心に活躍する。
刑事ドラマ・時代劇の名悪役として知られており、テレビ時代劇『水戸黄門』ではゲスト最多の68回出演。悪役への転機は1972年の『木枯し紋次郎』第1シリーズへの出演がきっかけである。第11話で渡世人を演じたのが市川崑に注目され、市川が演出した最終話(第18話)「流れ舟は帰らず」に再度、敵役として出演。以後、悪役としての出演依頼が多くなった。
悪役としては厳つい表情に冷徹な口調などで、首謀者から参謀役、(主に若い頃は)手下まで幅広くこなす。その一方で、TBSドラマ「隣の未亡人」(主演:二宮さよ子)では、一見、悪役と思わせながら、実は主人公の再婚相手である雑誌編集者の役(二宮演じる主人公は作家)を演じたりしている。
日本俳優連合副理事長として俳優の権利向上・生活向上にも尽力している。