独特の深みがある演技が光る柄本明さん
柄本明さんの経歴
1948年、印刷屋を営む父親と母親の間、東京都中央区に生まれた柄本明さん。ご両親は大の映画・芝居好きだったようで、幼い柄本明さんもその影響を強く受けて育ちました。
幼少期は歌舞伎座の裏に住んでいたそうですが、家業が傾いて生活が苦しくなってくると、一家は杉並区に引っ越しされています。当時は映画が全盛を誇っており、あちこちに映画館がありました。小学生の柄本明さんは一人で西武新宿線に乗っては各地の映画館を巡り、一日に3本立ての映画を5回も観るほど映画にハマっていたようです。
大きくなって高校を卒業した柄本明さんは、精密機械の商社に就職します。
20歳のときに知人と早稲田小劇場の芝居『どん底における民俗学的分析』を観に行くと、その面白さに衝撃を受け、このまま会社員を続けるのか悩むようになりました。そして、
役者として生きることを決意し、会社を辞めてしまいます。
20歳のときに知人と早稲田小劇場の芝居『どん底における民俗学的分析』を観に行くと、その面白さに衝撃を受け、このまま会社員を続けるのか悩むようになりました。そして、
役者として生きることを決意し、会社を辞めてしまいます。
1974年、自由劇場に参加。いよいよ俳優として起用されるようになるも、その当時の作風が柄本明さんの感覚に合わず、1976年に退団してしまいました。
そして、自由劇団で知り合ったベンガルさん・綾田俊樹さんと一緒に劇団『東京乾電池』を結成します。
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その後、自由劇団で同じ時間を過ごした高田純次さん・岩松了さんも劇団『東京乾電池』に入団しています。
柄本明さんは端正なマスクとはいえないものの、その独特の存在感でテレビ・映画に出演する機会に恵まれるようになります。1998年の映画『カンゾー先生』では日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、2004年の映画『座頭市』では毎日映画コンクール男優助演賞を獲得しました。
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シリアスな演技だけではなく、コメディアンとしての一面も持つ柄本明さん。志村けんさんとの共演では巧妙なコントを披露し、多くの視聴者を笑わせています。
2011年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、社会や公共の福祉・文化への貢献が認められて紫綬褒章を受章されました。
2011年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、社会や公共の福祉・文化への貢献が認められて紫綬褒章を受章されました。
柄本明さんにまつわるエピソード
芸能界の交友関係
柄本明さんのWikipediaページには以下の記載があります。
芸能関係者とプライベートの交流をほとんど持とうとしなかった渥美清と親交の深かった数少ない芸能人である。笹野高史を加えた3人で連れ立って芝居を見に行ったり、バーに飲みに行くこともあったという。
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笹野高史とは自由劇場時代からの30年来の親友で、両者とも『男はつらいよシリーズ』、『釣りバカ日誌シリーズ』で何度も共演しており、どちらかがバラエティに出演した際、互いの愚痴をこぼし合う仲である。
柄本明さんがトーク番組に出演される機会は意外と少ないので、このようなエピソードが分かると親近感が湧いてきますよね。劇団『東京乾電池』の成功も、柄本明さんの人脈があってのことだといえるでしょう。
独特な存在感のイメージが強いですが、この交友関係の広さという部分では、人柄の良さといった一面が伺えるような気がします。
独特な存在感のイメージが強いですが、この交友関係の広さという部分では、人柄の良さといった一面が伺えるような気がします。
出生地 :東京都中央区
身長 :175㎝
血液型 :B型
職業 :俳優
コメディアン
活動期間:1974年~