テレビ朝日『プロレス総選挙』で「史上最高のプロレスラー」が決定
今回、日本のプロレス界を支えてきたプロレスラーと現役のプロレスラーの中から「史上最高のプロレスラー」がランキングによって決定。
ランキングは、プロレスラーの選ぶ1位に20ポイント、2位に10ポイント、3位に5ポイント。プロレスファンの選ぶ1位に10ポイント、2位に5ポイント、3位に1ポイントが加算され、合計ポイントが高い順に作成されている。
【ランキング結果】
19位真壁刀義 1151pt
18位ハルク・ホーガン 1266pt
17位蝶野正洋 1363pt
16位橋本真也 1413pt
15位ケニー・オメガ 1426pt
14位天龍源一郎 1645pt
13位小橋建太 1653pt
12位武藤敬司 1863pt
11位長州力 1940pt
10位スタン・ハンセン 2635pt
9位三沢光晴3129pt
8位獣神サンダー・ライガー 3471pt
7位ジャンボ鶴田 3479pt
6位棚橋弘至 4145pt
5位力道山 4264pt
4位オカダ・カズチカ 4571pt
3位初代タイガーマスク 5625pt
2位ジャイアント馬場 6562pt
1位アントニオ猪木 12964pt
なお、このランキング結果にネットでは、プロレスの素晴らしさを再確認したファンも多く、様々な声があがっている。
今、プロレス総選挙を見終えたけど、、、
— た💀け💀る💀DESTINO運命 (@0a8s2d6) March 13, 2017
やっぱりプロレスって最高だね!!!
放送開始が遅くなってプロレスファンじゃない人で見は人は恐らくいなかったかもしれない。
でも、これからプロレスの凄さをどんどん伝えて行きましょうよ。
改めて叫ぶ、、
プロレス最高じゃん!!っと。
心からプロレス好きになってよかったって思った🙂 #プロレス総選挙 #njpw pic.twitter.com/QCEdQ9JGwV
— mykmm (@mykmm1) March 13, 2017
昨夜WBC延長に負けて録りっぱなしでまだ観ていない『プロレス総選挙』、「ちがーう!」ってなること必至なので観るのをためらい、でもネットで順位だけ見て、1位猪木2位馬場に続く3位がちゃんと佐山、というだけで、もうすべてを許せる気持ちになっているところです。
— 兵庫慎司 (@shinjihyogo) March 13, 2017
内藤哲也も順位に入らないのか?本当に10000人に聞いたのか?#プロレス総選挙
— たまたまちゃん (@ripslyme326) March 12, 2017
#プロレス総選挙
— 徳光康之 (@dk97f3) March 12, 2017
ハンセン選手が10位!?1位じゃないのか!前田日明選手は?この順位は、おかしい!https://t.co/3qKEW2XNb1 pic.twitter.com/myK1VtkP7H
1位を獲得した「アントニオ猪木」について
ジャイアント馬場のデビューと同日の1960年9月30日、本名の猪木寛至として、東京都台東区の台東区体育館で大木金太郎を相手にデビュー(7分6秒、逆腕固めで敗退)する。
そして、沖縄県那覇市での長沢秀幸との試合において、リングネームをアントニオ猪木に改名。
また、デビューしてからまもなく、力道山の付き人となったものの、力道山は1963年(昭和38年)12月15日に死去。
猪木は、1964年(昭和39年)にアメリカ武者修行に出発。デューク・ケオムカと組んでテキサス東部版のNWA世界タッグ王座、およびヒロ・マツダと組んでミッドアメリカ版の同王座を奪取する。
アメリカ修行を終え、東京プロレスを設立するも破たん。その後、日本プロレスに戻り、ジャイアント馬場とのタッグチーム「BI砲」としてインターナショナル・タッグ王座を獲得。さらに、NET(現:テレビ朝日)が日本プロレス中継を開始した際、日本テレビとの取り決めで馬場の試合は日本テレビの独占とされた関係上、猪木はNETの日本プロレス中継のエースという形になり、UNヘビー級王座を獲得。また、ドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した。
1971年(昭和46年)に日本プロレスを追放された後、1972年(昭和47年)1月26日に新日本プロレスを旗揚げする。
ジャイアント馬場率いる全日本プロレスの圧力により有力な外国人プロレスラー招聘に難航したが、元国際プロレスのエースストロング小林との大物日本人対決、日本プロレス時代の先輩である大木金太郎との遺恨試合、ビル・ロビンソンとの実力世界一決定戦などで人気を博す。
タイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセン、ハルク・ホーガンなどを外国人エースとして育成もした。WWWFと提携して以降は多数の外国人スターを呼べるようになり、力道山亡き後のプロレス黄金時代を築いた。
そして、猪木監禁事件やIWGP立ち上げなどを経て、1998年4月4日の東京ドームにおける引退記念イベント「ファイナルイノキトーナメント」で、ドン・フライと対戦し、グラウンド・コブラツイストで勝利して引退した。
日本の元プロレスラー、実業家、政治家。日本を元気にする会所属の参議院議員(2期)、日本を元気にする会代表。
新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」(当初は「燃ゆる闘魂」)。日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。愛称は「アントン」。