「映画を楽しんでいるときは、全てを忘れて没頭出来る」
日本の映画監督といえば黒澤明、今村昌平、川島雄三、小津安二郎、、、先人たちの築き上げたその道は「やすやすと足を踏み入れられる世界ではない」と思いながらも「好きだからやりたい」想いが募っていったという三島さん。
中学校の卒業アルバムには「映画監督になりたい」と”小さく”書いていたのだそうです。
中学校の卒業アルバムには「映画監督になりたい」と”小さく”書いていたのだそうです。
演劇を作っていた高校時代~自主映画を撮り始めた大学時代
ミド編)映画監督の道に向けて一直線に走り始めたんですね。
ところが高校時代、実は演劇を作っていたんですよ。本当は映画を撮りたかったんですがアルバイトが禁止の学校で8mmフィルムを買うお金がない(笑。
映画部がなくて予算もつかない、ところが文化祭がとても充実した高校でクラスごとに10か月もかけて出し物を作るんですよ、主に演劇だったんですけど。で、演劇だったらクラスに予算がつくので文化祭に向けて、演劇部でもないのに毎年演劇を作り続けていました。
映画が撮りたかった三島さんが3年間で作った演劇。
1年次…「検察側の証人」
2年次…「幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬」
3年次…「西部戦線異状なし」
そう、どれも映画を演劇化したのでした。
大学進学後にはいよいよ映画サークルに入って脚本を書き始め、ついに自主映画を撮り始めることとなったのです。
1年次…「検察側の証人」
2年次…「幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬」
3年次…「西部戦線異状なし」
そう、どれも映画を演劇化したのでした。
大学進学後にはいよいよ映画サークルに入って脚本を書き始め、ついに自主映画を撮り始めることとなったのです。
NHK時代の11年で数多くのドキュメンタリーを企画監督~独立後に助監督を経て映画監督デビュー
ミド編)4歳の頃に憧れ、また現在第一線で活躍している映画監督として。三島さんご自身が描く映画監督像は変わりましたか?
いまだに映画の国を夢見て走り続けている感じですよ。いつになったら映画の国の住人になれるんだろう?映画の国の住人になりたい、ずっと住み続けたいって。
映画を観てもらった方に喜んでもらうことはもちろんとても大切。自分自身の仕事ぶりとしては、NHK時代から一貫して、自分がどこまでやれたかを意識的に見つめていたという三島さん。ご自身の作品を振り返って、常に反省ばかりなのだと仰います。
「部屋のひとつひとつの灯りのなかに、小さなドラマがある」
「幼な子われらに生まれ」の舞台となるニュータウン、その撮影中いくつもの部屋の灯りを観ながら、三島さんはそんな気持ちになったそうです。
ご自身も独立後の助監督時代の葛藤など様々なドラマを生きながら、いまはようやく「映画王国」の門が朧げながら見えてきたかもしれないくらいのところかな、いや、そこまでもいけていないのかも、と笑って話して下さいました。
「いつか映画の国の住人になるために」三島さんの映画監督としての道は果てしなく続きます。
ご自身も独立後の助監督時代の葛藤など様々なドラマを生きながら、いまはようやく「映画王国」の門が朧げながら見えてきたかもしれないくらいのところかな、いや、そこまでもいけていないのかも、と笑って話して下さいました。
「いつか映画の国の住人になるために」三島さんの映画監督としての道は果てしなく続きます。
映画「幼な子われらに生まれ」2017年8月26日より全国公開です
映画『幼な子われらに生まれ』公式サイト
映画『幼な子われらに生まれ』公式サイトです。8月26日(土)テアトル新宿・シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー