時代の最先端、IT企業に就職!そして「縄跳び」との出会い
-ベッコアメから縄跳び!どんな出会いがあったのでしょう?
きっかけは働き始めた年に同じ大学を卒業した後輩から「縄跳びやりませんか?」と誘われたんです。
小学校のころのイメージとしては「縄跳び」は得意だったんですよ。ところがその時に「自分がイメージする縄跳び」から「見たこともない縄跳び」を知ることになったんです。
二重跳びや交差跳びでなく、名前も知らない技を操る「縄跳びパフォーマンス」の映像を見て「こんな世界があるんだ!」と。
縄跳びで表現する世界がある、やってみたい!
その後輩から「一年後に縄跳びの世界大会があります、一緒にやってみませんか?」と誘われまして。世界大会に出場出来る、と聞いて「出てみたい!」と思いましたね。
パフォーマンスとしても競技としても、このときに「縄跳び」と出会ったんです。それからは体操で馴染みのあった区民体育館で練習をすることになりました。
-ベッコアメを退職、世界大会を志しながら「縄跳びパフォーマー」としての活動を開始しました。
縄跳びを通したクリエイティブな身体表現に挑戦してみたかったんです。
縄跳びを始めて1か月後には縄跳びパフォーマーとしてステージデビューし、3か月後には誘ってくれた後輩とともに日本初のフリースタイル縄跳びプロフェッショナルチーム『NAWA-NAWA』を作りました。
そして1年後には、約束通り世界大会への出場を果たしたんです。
多忙を極めた縄跳びパフォーマー時代、そしてシルク・ドゥ・ソレイユの一員へ
苦労とは思っていません。やりたいことをやり続けるためだったので。
ただ苦労でなく大変だったという部分では、全てが忙しくなってしまいましたね。
やりたいことをやってるはずが過労に追われることになってしまいそうな、そんな時期を送っていました。
シルク・ドゥ・ソレイユのオーディションに合格!
-シルク・ドゥ・ソレイユのオーディションに受かるだけでも凄いことですが、さらにそこから一握りの人しかステージに上がることは出来ません。
オーディションをパスして、はじめて候補になることが出来るんです。誰もが連絡をいただけるわけでもなく、例えばオーディション合格から5年経っていきなり連絡が来て「明後日からこれる?」なんてケースもあるんですよ。
僕は幸いにも正規のオーディションを受けることなくビデオ審査のみで、「キダム」のツアーに参加する前提で契約することが出来たんです。そこで生活をシルク・ドゥ・ソレイユ一本に絞ろうと決めました。
世界トップクラスのアーティストたちとともに世界を巡る13年間
-世界のトップアーティストの一員としてカナダのモントリオールでトレーニングに臨まれました。
これはなかなか出来ない経験だったと思います。一緒にいる仲間はオリンピックのメダリストや世界選手権で優勝しているような本当にトップの人々。
ともにトレーニングに励む中、普段目にしているもので目が肥えてしまったような感覚にはなりました。これが求められる普通のレベルなんだ、と。
そして「キダム」のツアーショーに所属して世界中を巡りました。42か国、街でいうと200都市以上です。それぞれの土地で1週間から3か月暮らす、ということを13年間繰り返しました。
土地に触れ、人に触れ、文化に触れる。そんな生活を送ることが出来ました。
Skiping Rope mpg
youtubeの「Skipping Rope - Quidam - Cirque du Soleil」の映像です。
via www.youtube.com
「住所不定(?)」な旅団生活!
演者も裏方もプロが集まって世界を巡るツアーでしたが、およそ20か国以上の出身国から集まったメンバー構成でした。
年に一回の長期休暇があり帰国して休暇をとることが出来ましたが、基本的には世界を旅し続ける生活。例えば税金の支払いも働いた国ごとに確定申告のような作業があるんですね。そこで居住欄を示す場所には「ノンワールドレジデンス」と書いていました、「住所不定」です(笑。
-世界を旅する中で素敵な経験をたくさんなさったかと思います。少しだけ、そのエピソードをお話しいただいてもよろしいですか?
「5足の草鞋」くらいの生活をしていたと話す田口さん。
ときには徹夜で仕事した後にパフォーマンスに赴くこともあったそうです。