皆さんは「縄跳び」と聞くとどんなことを思い出しますか?
小学生のころ「〇〇跳び××回」と書かれた課題カードを片手に、休み時間に何度も挑戦した縄跳び。クラスごとに回数を競った長縄跳び。あるいは冬の寒い時期、縄跳びの縄が足に当たって痛かった思い出…。
思い出は人それぞれですが、おそらく誰もが経験したことがある「縄跳び」。
その「縄跳び」を引っ提げて世界各国でパフォーマンスを魅せてきたのが田口師永さん。
あのシルク・ドゥ・ソレイユ「QUIDAM(キダム)」のメンバーとして世界40ヵ国200ヵ所以上を公演して巡った田口師永さんに、ミドルエッジ編集部(ミド編)はお話を伺うことが出来ました。
小学生のころ「〇〇跳び××回」と書かれた課題カードを片手に、休み時間に何度も挑戦した縄跳び。クラスごとに回数を競った長縄跳び。あるいは冬の寒い時期、縄跳びの縄が足に当たって痛かった思い出…。
思い出は人それぞれですが、おそらく誰もが経験したことがある「縄跳び」。
その「縄跳び」を引っ提げて世界各国でパフォーマンスを魅せてきたのが田口師永さん。
あのシルク・ドゥ・ソレイユ「QUIDAM(キダム)」のメンバーとして世界40ヵ国200ヵ所以上を公演して巡った田口師永さんに、ミドルエッジ編集部(ミド編)はお話を伺うことが出来ました。
まずはその「縄跳び」を動画で御覧ください!
およそ私たちがイメージする「縄跳び」のレベルでないパフォーマンスであることが一目でわかりますよ。
Norihisa Taguchi PV
youtubeで田口さんの凄技パフォーマンスがご覧になれます。
via www.youtube.com
体操に親しんで育った幼少期
-「縄跳びアーティスト」として世界を巡った田口さんですが、縄跳びとの出会いは小学生のころだったのでしょうか?
小学生の時は体育の時間で縄跳びに触れていたので、休み時間なども楽しんで取り組んでいました。
その他にもバックグラウンドとして体操があります。幼稚園で体操があって、楽しそうに取り組んでいた姿をみた両親は僕が小学校に入っても体操クラブに通わせてくれました。
-小学生の頃はどんな日常でしたか?例えば土曜の夜はドリフを観たり(笑
ドリフはリアルタイムでは観ていなかった気がしますね。テレビのチャンネル権は父親だったのでおそらくプロ野球を観ていましたよ(笑。
幼少期から体操に取り組んでいると、ある程度体が出来上がって運動神経がよくなるんですね。
小学校や中学校では体育の授業がマット運動や跳び箱だと、先生が「じゃあまず田口君」という感じで例にされるといった具合でした。
体操教室には中学1年まで通って、中学時代の部活は体操部がなかったので陸上部でした。高校受験のころになると「また体操をやりたい!」という気持ちが強くなり、それが出来る環境を選びましたね。
自分の体操のレベルが見えた高校時代、そして大学時代
高校に入って体操部に入部しました。小学校時代の体操経験はスタートラインでは有利には働いた、といった程度でしたね。
高校の体操の世界で取り組んでいくと、次第に自分のレベルがみえてくるんです。環境のせいにはしたくないものの、強豪校とは環境の部分でも差があったかもしれません。
-大学は、順天堂大学に進まれました。
高校時代の体操経験を経て大学では体操は厳しいと感じていました。スポーツ自体は好きだったので順天堂大学のスポーツ健康科学部へと進み、大学時代は体育会系の部活として自転車競技を始めてみたんです。
ところが、理想と現実は違いましたね。
「自転車では成功出来ないぞ」
-その後は、スポーツに強い同大学にあって帰宅部ということになりました。
部活を辞めてからは「どうしようかなあ」と。運動系の大学で帰宅部というのは肩身が狭いですし。
一方、大学のころには映像表現に興味を持ち始めていました。当時まだ新しかった3DCGなどに興味があって、大学を卒業する半年ほど前に映像関連の専門学校とダブルスクールを始めていました。
そして専門学校に学びつつアルバイトでもしようかな、と考えてインターネット・プロバイダのベッコアメ・インターネットに。
-ベッコアメですか、懐かしい!時代はまだWeb黎明期でしたよね?
そうです。大学時代、メールアドレスは大学から支給されていたと思いますが。
当時はまだダイヤルアップの時代。ベッコアメでは「ダイヤルアップでインターネットにどう繋ぐの?」といったお客様サポートから始めましたね。そこでホスティングやサポートなどを学びつつ、インターネットの方向に。そしてベッコアメに就職しました。
2000年からスキッピングロープ(なわとび)をはじめ、翌年には世界選手権に出場して第9位となり、2002年に第3位を獲得。
同年「シルク・ドゥ・ソレイユ」との契約を果たし、2003年に「キダム」の日本公演でスキッピングロープのソリストとしてデビュー。「キダム」では唯一の日本人として13年間出演を続け、終了(2016年2月)までに42カ国(217都市)にて約4,000回の公演を行ってきた。
現在はその経験を生かし、ビジネス講演やセミナー、イベントなどでのパフォーマンス、教育機関でのなわとび先生などの活動を行う。
(HPより)