70年代に活躍したアイドル・女優の歴史(デビュー時1965年から1979年)70名
2023年7月19日 更新

70年代に活躍したアイドル・女優の歴史(デビュー時1965年から1979年)70名

1970年代に活躍したアイドルや女優(歌手もしくは女優デビュー時1965年から1979年)70名の懐かしい70年代の世界観をどっぷり満喫できるまとめです。70年代に活躍した美女たちの思い出が蘇ります!

572,222 view
1968年、スナッキーガールズに参加

1968年、スナッキーガールズに参加

LPは「海道はじめ(坂越達明&スナッキーガールズ」名義、タイトルはスナッキーで踊ろう。(スナッキーガールズには他に小山ルミ、羽太幸得子が居た)

写真前段の左が吉沢京子。真ん中は60年代に人気があった小山ルミ。右が羽太幸得子。
柔道一直線(1969年)のヒロインとして活躍した吉沢京子さん

柔道一直線(1969年)のヒロインとして活躍した吉沢京子さん

柔道一直線(1969年)
吉沢京子

吉沢京子

岡崎友紀(1970年3月には歌手デビュー)

岡崎友紀

岡崎友紀

岡崎 友紀(おかざき ゆき、本名:岡崎 友紀子、1953年7月31日 - )は日本の女優、歌手。東京都台東区浅草出身(出生地は千代田区神田)。

1968年にはNHK大阪製作の少年少女向け連続ドラマ「あねいもうと」に妹「とし子」役で一年間主演し(姉役は西尾三枝子)、全国的な知名度を得、翌1969年にはさらに活躍の場を広げ、多くのドラマやバラエティ番組に進出。

1970年3月には歌手デビューを果たした。とりわけ1970年9月よりTBS系で放送された、高校教師と女生徒との秘密の結婚による騒動を描き大ヒットした学園ラブコメディ「おくさまは18歳」(最高視聴率33.1%)でキュートなコメディエンヌとしての魅力が開花し、1970年代前半から中盤にかけて国民的アイドルとして人気を博した。

当時人気のバロメータだったブロマイドの売り上げが46ヶ月連続首位(マルベル堂発表)を記録、また日本においてアイドルの概念が今日のように「身近で可愛い芸能人」を意味するようになったのも、1970年代の始まりから人気が出た同学年の吉沢京子と岡崎の時代からであるとされる。

「おくさまは18歳」の大ヒットにより、「なんたって18歳!」「ママはライバル」等一連の「岡崎友紀18歳シリーズ(ライトコメディシリーズ)」が製作され、人気シリーズとしてテレビドラマの歴史に一時代を画した。
(出典:wikipedia/岡崎友紀)
岡崎友紀

岡崎友紀

石立 鉄男(いしだて てつお)さんも『おくさまは18歳』の主演に抜擢され大ブレイクを果たす。
岡崎友紀

岡崎友紀

高橋惠子(たかはし けいこ)

高橋惠子(たかはし けいこ)

高橋惠子(たかはし けいこ)

高橋 惠子(たかはし けいこ、1955年1月22日 - )は、日本の女優。血液型AB型 身長162cm。本名:同じ、旧芸名・旧姓:関根 恵子(せきね けいこ)。北海道川上郡標茶町字磯分内熊牛原野出身。小学6年生からは、東京都府中市で育つ。

デビュー作品は当初『おさな妻』で決定していたが、『高校生ブルース』の主演予定だった女優が怪我をしたことから、代役に抜擢されて、旧姓(当時の本名)関根恵子の芸名で、1970年8月封切の『高校生ブルース』で主演デビューを果たす。

妊娠する女子高校生という当時としては衝撃的な役を演じ、ヌードだけではなく、白いパンティに透けたアンダーヘアや、透け透けのネグリジェ姿を披露するなど、15歳とは思えない大胆な演技で、話題を集める。

さらに同年『おさな妻』でゴールデンアロー賞新人賞受賞。マスコミによる記事で、奔放な不良少女のイメージが作られた。自分とは違うイメージが一人歩きしたことから、女優引退を決意するが、引退作のつもりで臨んだ増村保造監督の『遊び』で増村の情熱に感動し、辞意を撤回した。
(出典:wikipedia/高橋惠子)
高橋惠子(たかはし けいこ)

高橋惠子(たかはし けいこ)

平山みき

平山みき

平山みき

平山 みき(ひらやま みき、旧芸名平山 三紀、1949年8月22日 - )は、東京都大田区出身の歌手である。所属事務所はイエローライオン。日本音楽高等学校卒業。

1970年(昭和45年)、『ビューティフル・ヨコハマ』でデビューし、その鼻にかかった強烈なハスキーボイスが話題を呼ぶ。

翌1971年(昭和46年)、2枚目の当初はB面予定であった『真夏の出来事』がオリコン最高位5位と大ヒットする。

続く『ノアの箱舟』も10万枚を売り上げるヒットを記録しスター歌手への仲間入りを果たす。
1972年(昭和47年)『フレンズ』がヒットし後に多くのアイドルによってカヴァーされた。初期の楽曲は殆どが、作詞家・橋本淳と作曲家・筒美京平のコンビによる作品であり、「筒美京平の秘蔵っ子」的な存在と言われた。
(出典:wikipedia/平山みき)

真夏の出来事 平山三紀 - YouTube

「真夏の出来事」(まなつのできごと)は、平山三紀通算2枚目のシングル。1971年5月25日発売。発売元は日本コロムビア。
表題曲は、アルバム『エキゾチカ大魔境』、『恋の気分で』でセルフカヴァーされている。また、1999年には「真夏の出来事'99」のタイトルで、映画『アドレナリンドライブ』のエンディングテーマとなった。

1971年デビュー:天地真理・小柳ルミ子・南沙織・栗田ひろみ

天地真理・小柳ルミ子・南沙織は「新三人娘」と呼ばれた

小柳ルミ子

小柳ルミ子

小柳ルミ子

小柳 ルミ子(こやなぎ ルミこ、本名:小柳 留美子、1952年7月2日 - )は、日本の歌手、女優である。別名:rumico。福岡市早良区(当時は西区)生まれ。母親は秋田県出身。血液型はA型。愛称:ルミちゃん。

「夏川るみ」の名で宝塚歌劇団に入団し、2ヶ月で退団した。歌手デビューを当初から念頭においており、小柳にとって宝塚は歌や演技の鍛錬を積むためのいわゆる腰掛けであった。

芸能界デビュー
退団した同年の1970年、歌手デビューの前に顔を売るためにNHK連続テレビ小説『虹』で女優としてデビュー。

翌1971年(昭和46年)4月25日にはワーナー・ブラザーズ・パイオニア(現在のワーナーミュージック・ジャパン)の邦楽部門初の歌手として契約。作曲家平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューし、160万枚の大ヒットとなる。同曲は1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、また第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞した。

その後にリリースした「お祭りの夜」や「京のにわか雨」「瀬戸の花嫁」(日本歌謡大賞受賞)なども大ヒットし、天地真理・南沙織らとともに『三人娘』と呼ばれ、1970年代前半を代表するアイドルとなった。
(出典:wikipedia/小柳ルミ子)
小柳ルミ子

小柳ルミ子

わたしの城下町/小柳ルミ子 - YouTube

1971年12月31日
270 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

内藤洋子、酒井和歌子、関根恵子…「アイドル映画」という視点から昭和を紐解いた『昭和アイドル映画の時代』が好評発売中!

内藤洋子、酒井和歌子、関根恵子…「アイドル映画」という視点から昭和を紐解いた『昭和アイドル映画の時代』が好評発売中!

光文社より、「アイドル映画」という視点から昭和をという時代を特集した書籍『昭和アイドル映画の時代』が現在好評発売中です。
隣人速報 | 1,818 view
「花の中三トリオ」では誰が好きでしたか?

「花の中三トリオ」では誰が好きでしたか?

森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人のを称して「花の中三トリオ」と呼んでいましたね。あなたは誰推しでしたか?
フレッシュ3人娘、角川三人娘、フジの女子アナ三人娘…「3人娘」と呼ばれた著名人の方々!!

フレッシュ3人娘、角川三人娘、フジの女子アナ三人娘…「3人娘」と呼ばれた著名人の方々!!

芸能界でよく見受けられる「3人娘」という呼称。特にグループを組んでいない場合でも、類似の特徴がある場合にそう括られるケースが多いです。ここでは、そんな「3人娘」の中からいくつかピックアップしてご紹介したいと思います。
となりきんじょ | 29,692 view
意外なタレントの親が芸能活動をしていた!「二世タレントの親」特集!!

意外なタレントの親が芸能活動をしていた!「二世タレントの親」特集!!

芸能界でたびたび話題となる「二世タレント」。近年では木村拓哉と工藤静香の娘などが話題となっていますが、それ以外にも、「実は二世タレント」という人は意外に多く存在します。この記事で何人かピックアップしてご紹介したいと思います。
となりきんじょ | 10,259 view
今でもアイドル時代からの根強いファンも多い!『浜田朱里』が懐かしい!!(近年画像有り)

今でもアイドル時代からの根強いファンも多い!『浜田朱里』が懐かしい!!(近年画像有り)

1980年にデビューした松田聖子さんとも同期の浜田 朱里(はまだ じゅり)さん。デビューから40年近く経つ現在でも根強いファンも多いそうです。懐かしく思いまとめてみました。
ギャング | 26,504 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト