ミニストップから数量限定で「水大福~カンロ飴風味仕立て~」が発売!!
ミニストップから、カンロ株式会社が発売するロングセラーブランド「カンロ飴」とコラボレーションした、ひんやり和スイーツ「水大福~カンロ飴風味仕立て~」が数量限定で販売された。
今回、「カンロ飴」をより多くの人々に食べてもらいたいカンロと、新たなスイーツの展開を考えていたミニストップの思惑が一致し、商品化が実現した。
今回、「カンロ飴」をより多くの人々に食べてもらいたいカンロと、新たなスイーツの展開を考えていたミニストップの思惑が一致し、商品化が実現した。
「水大福~カンロ飴風味仕立て~」は、カンロ飴の特徴である、しょうゆを隠し味に加えた独特の味わいを再現。カンロ飴風に色づけした柔らかな涼味生地で、カンロ飴風味のタレを包み込みモチモチした水大副に仕上げた。
開発に10カ月かけ、シンプルながら風味の良いカンロ飴のフレーバーが生かされたスイーツになっている。
開発に10カ月かけ、シンプルながら風味の良いカンロ飴のフレーバーが生かされたスイーツになっている。
今回、独特の風味はもちろん、カンロ飴を損なわない味、興味を持ちやすい形や容器など、様々な面を納得するまで追求して作られている。
定番商品「カンロ飴」
昭和20~30年代に生まれた子供にとって、飴(あめ)やキャンディはおやつの筆頭候補だった。チョコレートやキャラメルもあったけれど、それらはちょっとぜいたくな存在。飴はもっと身近で、親子ともども気軽に楽しめるおやつだった。
「カンロ飴」は、1955年の発売から60年以上にわたり、変わらぬレシピで作られ、多くの人に愛されるロングセラーキャンディだ。
カンロ株式会社
中国の故事から、天から降る甘い露であり、不老不死の薬の意でもある「甘露」(かんろ)に因み、子供たちに親しまれるよう、カタカナ表記の「カンロ」とした。
カンロ株式会社は、東京都中野区に本社を置き、飴を中心とした菓子を製造する日本の食品メーカーである。キャッチフレーズは「ひと粒のメッセージ」。コーポレート・スローガンは「カンロはお口の童話です」。
カンロ株式会社は、東京都中野区に本社を置き、飴を中心とした菓子を製造する日本の食品メーカーである。キャッチフレーズは「ひと粒のメッセージ」。コーポレート・スローガンは「カンロはお口の童話です」。
via tabizine.jp
カンロ飴は、焦げや煮詰め問題に悩まされ、困難を乗り越え作られた飴だった!!
カンロは数年にわたり、根気強く試作を繰り返した。
水飴と砂糖の比率を変える。水飴に含まれる各成分の組み合わせを見直す。さらには真空煮詰釜の火力と時間の関係を調べ上げる。細かな実験を繰り返した結果、ついに煮詰めの問題を解決することができた。
だがもう一つの問題である焦げ臭さに関しては、解決の糸口さえつかめない。当時の常識では、どんなしょうゆでも高温の釜の中に入れれば、即座に焦げ付くのが当たり前だったのだ。悩んだカンロが出した結論は、醸造メーカーに焦げ付かないしょうゆを一から開発してもらうこと。地元醸造メーカーとの共同研究の結果、晴れて念願の焦げ付かないしょうゆを開発することができた。
苦心の末に生み出した飴は「カンロ玉」と名付けられ、1954(昭和29)年の春、山口県内で発売された。カンロ=甘露とは「天から降る甘い露」の意味。カタカナで表現したのは、幅広い消費者に認知してもらうためだった。
当時のお菓子は量り売り。「カンロ玉」の大きさは1粒8gと標準的な大きさだったが、1個2円で販売された。ほとんどの飴が1個1円の時代だったから、問屋から「売れるはずがない」と冷遇されることもあったという。だが、「カンロ玉」は最初から爆発的に売れた。しょうゆが醸し出すコクのある味わいが、子供だけでなく大人をもひき付けたのだ。
1957年頃のパッケージ
カンロ飴は爆発的なヒット商品となったが、特殊な販売活動を行ったわけではない。今のように食品スーパーがあるわけでもなく、試食販売のようなマーケティング手法もなかった。問屋セールスと同行し各所の菓子屋に置いてもらう単純な方法で、口コミで広がっていった。
カンロ飴だより ロングバージョン
via youtu.be
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