猿岩石のヒッチハイク旅     インドからパキスタン、そしてイランへ。
2023年11月7日 更新

猿岩石のヒッチハイク旅 インドからパキスタン、そしてイランへ。

アジアは、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ。ヨーロッパは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、そしてゴールの大英帝国、イギリスまで。野宿、絶食が当たり前の「香港-ロンドン ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」旅。

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【MV】旅人よ~The Longest Journey(25th Anniversary Version)

デリーの街頭で
「I want job」
「We are Job Less」
と書いた紙を持って立ったが、2時間経ってもなんの収穫も得られず、あえなく撤退。
仕事探し2日目、まったく見つからず、3日目、残っていた200ルピーが飲食でなくなり、所持金0。
「全然ダメだ」
「今日、食わないと死ぬぞ」
公園で体力温存のために交替で立っていると、突然、爆風スランプのボーカル、サンプラザ中野とギター、パッパラー河合が現れた。
東京から助っ人に来たという爆風スランプは、公園で猿岩石のためにつくった曲、「旅人よ」を披露。
「強い風に今立ち向かってゆく♪
遥か彼方を目指した旅人よ♪
広い宇宙の上を歩いてゆく♪
遠い遠い自分に出会うために♪
カッコ悪い道を選んだ男♪
カッコ悪い夢を選んだ男♪」
猿岩石は涙を流しながら聴き、歌が終わると何度も頭を下げてお礼をいった。
その後、日本料理をオゴってもらい、ホテルに泊めてもらい、部屋についている風呂に入った後、フカフカのベッドで寝て、夢のように豪華な夜を過ごした。
翌日、爆風スランプは、猿岩石のイランのビザ代、3500ルピー(12000円)をつくるためにストリートライブを行った。
場所を変えながら数回のライブを行って、3600ルピーをGET。
森脇は
「働かずしてビザ入手だ」
と歓喜。
有吉は喜びのあまり、
「さすが爆笑さん」
と間違えて
「爆笑じゃねえよ」
と頭をハタかれた。
Just a moment... (2545343)

爆風スランプが見守る中、猿岩石は
「PAKISTAN」
と書いた紙を掲げ、ヒッチハイクを開始。
車が停まっては断られ続ける猿岩石と、停まる度に手を合わせてヒッチハイク成功を祈る爆風スランプ。
それを2時間、繰り返した後、トラックをGETし、4人は握手をして別れた。
ストリートライブの収益3600ルピーからイランのビザ代が3500ルピーを支払って残金は100ルピーになったが、別れ際に400ルピー の餞別をもらったので、500ルピーになった。
トラックはパキスタン国境に向かって3時間、ひた走り、デリーから100㎞離れたパニーパットという街に到着。
トラックはここから国境方面とは別方面に向かうため、2人は降車。
「OK」
「サンキュー」
とお礼をいい、街をみながら、
「大丈夫だ。
ゴラクプールとかに比べたら平和な感じがするよ」
と今夜の野宿ポイントを探し。
バスターミナルで路上生活で寝ている人たちを発見し、
「友達もいる」
といって、ここに泊まることを決めた。
少しくつろいでいると2人の男性が近づいてきて、有吉はヒゲを生やした男に手を握られ
『500ルピーで買ってやる』
「怖ぇー」
といって手を引っ込めても男は笑顔で迫ってくる。
「うわっ、ほんとやめて!」
さらに身を縮めて逃げたが、膝をついてにじり寄ってくる男に手を握られ、
「なんでソフトに触ってくんだよ、オイ」
Just a moment... (2545344)

身の危険を感じた2人は、野宿をあきらめて、ホテルのチェックイン。
お代は、2人で100ルピーだったので所持金は400ルピー(1400円)に。
その後、部屋にいるとブザーが鳴り、ドアを開けると
『ハロー』
といってさっきとは別のオカマ、2人が入ってきた。
瞬間、
(犯される)
と思った有吉は
「ノー・サンクス、ノー・サンクス」
といって追い返そうとした。
しかしオカマは手に下げたバッグからウイスキーを取り出すのをみて
(オカマはイヤだが酒は好き!)
という自分と
(リメンバー・ベトナム!
酔っぱらうわけにはいかない。
酔えば何をされるかわからない)
と自分が心の中で戦ったが、すぐに、
「ドリンキングね?
オンリー・ドリンキング」
といって招き入れてしまった。
オカマは水割りをつくって
『チアース(乾杯) !』
猿岩石は、
「ウワッ、強いよ」
「ウワッ、キツいな」
その後、森脇は、飲む量をセーブしたが、有吉は暴走。
10分後には、一気飲み。
30分後には、オカマの手を握って一緒に歌って踊り始め、
「ウイスキー・プリーズ」
『キス・プリーズ』
「キス・プリーズ?
キス・プリーズじゃないわ」
となぜかカマ言葉で返した。
「僕たちは4月13日に電波少年に騙されて・・・」
(有吉)
「騙されてって失礼だろ!」
(森脇)」
「・・・スタートいたしました!」
(有吉)
と語り出し、超ご機嫌でドンチャン騒ぎ。
2時間後、ボトル1本を空けてしまった。
途端、オカマは
『マニー』
といって手を出した。
「マニィー?」
有吉は不思議そうに顔をしてカマ口調で聞き返したが
「オイッ、お前、重大さ気づいてないだろ。
金払えっていってるぞ」
と森脇にいわれるとバッと立ち上がり
「エッ、ウソ!
私、払わないわよ」
とやはりカマ口調で抵抗。
「言ってもダメだって」
森脇は冷静だった。
実際に飲み食いした以上、代金は支払わなければいかない。
オカマは1200ルピーを要求したが、所持金400ルピーをすべて払うことでなんとか許してもらった。
「サンキューベリマッチ、バイバイ!」
有吉は、そういってオカマ達を送り出した後、
「怖ぇ、怖ぇ。
ホントアッタマくるよ」
とブツクサいいながらベッドに寝転んで即寝。
「ああ、こんなことしてたらいつまでたってもロンドンにたどり着けない」
(森脇)
「朝起きると部屋は散乱しており、俺は裸。
犯されたのか?
森脇に聞いても『さあね』とそっけない
犯られたのか?? 」
(有吉)
Just a moment... (2545347)

88日目、無一文となってしまった猿岩石は、
「PAKISTAN」
と書いた紙を掲げて、ヒッチハイク開始。
すると警官がやって来て
『何をしているんだ』
と怒り気味に紙を奪い取り、
『こいつらパキスタンに行こうとしている。
テロリストかもしれない』
と咎めた。
1947年にパキスタンが強引に分離独立して以来、インドとパキスタンは敵対的な関係にあり、多数の政治的な事件も起こり、パキスタンを嫌っているインド人は多かった。
ちょうどこのときもパキスタン国内で9人が死亡する爆弾テロ事件が発生し、パキスタン側が事件の背後にインドがいると主張したため、両国の緊張感は増していて、インド警察のパキスタン入国者に対するチェックは厳しかった。
そんなことは何も知らない猿岩石は、ただただ緊張。
警察署に連行されかけたが、パスポートとビザをみせて、なんとかことなきを得た。
警官は
『人騒がせな奴らだ。
これを出したら、また捕まるぞ』
と注意しながら紙を返した。
解放されたものの、インドとパキスタンが非常に危険な状態にあることを思い知った2人は、
「場所変えようか」
とパキスタンではなく、目的地を国境より手前にあるアムリッサルに変更した。
Just a moment... (2545348)

「Amritsar 」
と書いた紙を掲げてヒッチハイク再開。
2時間後、トラックが停まってくれたので、あわてて運転席横にかけ寄り、
「お願いします」
と手を合わせ、心を込めて日本語で頼んだ。
『荷台でいいか?』
「YES」
『じゃあいいよ』
「やったー」
2人は勝利者のポーズをとって、ダッシュで荷物を取りにいった。
オカマで苦しんだパニーパットから、途中、食事をオゴッてもらいながら、8時間かけて北西に約400㎞移動し、アムリッサルに到着。
アムリッサルは、パンジャーブ州最大の都市。
インドで唯一、シク教徒が大多数を占め、その総本山、黄金寺院がある。
黄金寺院は、「アムリタ・サロヴァル(不老不死の池)」と呼ばれる聖なる池の中央に建てられ、この池の名が「アムリトサル」の由来といわれている。
しかし2人にとって重要なのは、アムリッサルがパキスタン国境まであと50kmという位置にあること。
着いたのは、17時。
国境はすでに閉鎖されていたので、今夜の野宿ポイント探し。
バスターミナルを発見し、
「あっ、ここいいねえ」
といってカーペットを敷いたのはトイレの前。
インド42日目の夜となる2人は、
「やっとだな」
「最後にふさわしい」
といいながら寝た。
Just a moment... (2545352)

翌89日目、7月10日、恐る恐る
「Pakistan」
と掲げ、1時間後、トラックをGET。
「これで出れるな」
「やっとだよ」
トラックに揺られて2時間後、国境に到着したことを知らされ、降車。
まずはインドからの出国手続き。
「まだパキスタンじゃないんだ。
「まだパキスタンじゃない。
インドが終わり」
と緊張しながらパキスタンへの入国手続きに向かい
『所持金を書いてください』
と聞かれ
「ノー・マネー」
と答え
『ノー?』
と驚かれた。
こうして徒歩で国境を越え、43日間と長かったインドの脱出、そして9ヵ国目、パキスタンへの入国に成功した。

Bengal Monitor ベンガルオオトカゲ

良くも悪くもインドは、旅全体を通じて印象深い国だった。
有吉は、
「もしもう1度いくならインド」
といい、森脇は
「1番行きたくない国」
という。
野宿をしていると何かに嚊まれ、一瞬、蚊かと思ったが痛さが違うのでみてみるとトカゲだった。
それも40~50㎝もある大きなトカゲだった。
最初は怖かったが、食糧難の2人は石をブツけて捕獲。
皮をはいで食べようとしたが、インド人に
『殺生はやめろ』
といわれ断念した。
「インドが1番ツラかったですね。
紙を使わずにお尻もずっと・・・
爪には常にウンコが入ってる状況がインドでしたね」
(有吉)
「普通,左手で拭いて右手で食べるじゃないですか。
こいつ違いましたからね。
右手で拭いて右手で食ってましたから」
(森脇)
Just a moment... (2545356)

一方、新しく入国したパキスタンは、ウルドゥー語の「パク(神聖、清浄))」と「スタン(国、地方)」を合わせて名づけられた。
国土は79.6万km²と日本の約2倍。
東にインド、北に中国、アフガニスタン、西にイラン、そして南はアラビア海に面している。
北部には、ヒンドゥクシュ山脈、カラコルム山脈、ヒマラヤ山脈が連なり、エベレストに次ぐ世界第2位の高さを誇る「K2」がそびえている。
この「Karakorum No.2 (カラコルム山脈測量番号2号 )」は、人里から遠く離れた奥地にあったため、19世紀末までほとんど存在を知られることもなく名前さえ無かった。
古代からインダス川の恵みを受け、肥沃な大地にインダス文明が興り、シルクロード交易で多くの民族、文化と交流してきた。
現在でもモヘンジョ・ダロやハラッパーなど、いくつものインダス遺跡が残っている。
人口は、2億38181万人。
首都は、イスラマバード。
Just a moment... (2545359)

宗教は、イスラム教徒97%。
日本でイスラム教と聞くと
「テロリスト」
「過激派」
「ジハード(聖戦)」
など血なまぐさいイメージが浮かびがち。
一般的なイスラム教徒(ムスリム)に対しても
「豚肉を食べない」
「酒を飲まない」
「1日何度か地面に頭をつけてお祈りをする」
などという習慣やモスク(イスラム教会)での集団礼拝のシーンあ異質にみえてしまう。
しかしそれらは断片的な情報から生じる誤解で、パキスタンのムスリムの多くは自然体の生活を送っていて、道徳教育が徹底されているので治安はよく、旅行者が犯罪に巻き込まれるのはヨーロッパ先進国よりも少ないといわれる。
世界3大宗教は、仏教、キリスト教、イスラム教という順番で興り、信者数は、キリスト教が20億人、イスラム教が16億人、仏教が4億人。
1番若いイスラム教は生活全般に規範が示し、ムスリムはそれに従って生活する。
最も基本的なのは

1 信仰告白
2 礼拝
3 喜捨(金品を寄付・施捨すること)
4 断食
5 巡礼

という「5行」で、これらは時期や方法などが決められている。
「断食」は、イスラム暦第9番目のラマダーン月に行われるが、病人、老人、旅人、幼児、妊娠中の女性、乳児のいる母親、戦闘中の男子などは免除される。
Just a moment... (2545361)

食べ物は、ハラール(許されたもの)とハラーム(禁じられたもの)があるが、パキスタンで売られているものは、ほぼすべてがハラール。
一般的な料理として、カレー、ナン、チャパティー(無発酵のパン)、サモサ(揚げ餃子)、ビリヤーニ(炊き込みご飯)、タンドールという釜を使って調理する料理などがあり、よくチャイ(ミルクティー)を飲む習慣もある。
パキスタンは、手縫いサッカーボールで、世界の70~80%を占める大生産国だが、これはイギリス植民地時代に牛皮革の取り扱うことができるムスリムの安価な労働力が理由。
一方、インドのヒンドゥ教では、牛を神聖なものとして考え、お牛様が道を塞いで渋滞が発生することもある。
イギリスの植民地支配から独立建国したとき、インドを挟んで東パキスタン、西パキスタンにわかれた「飛び地国家」だった。
結果、パキスタン北部のカシミール地方の領有権争いで2回、東パキスタンが「バングラディッシュ」として独立しようとしたとき、インドが介入したことで1回、合計3回、「印パ戦争」が起こった。
パキスタンとインド、両国共に核を保有しながら、

2001年12月、インドの国会議事堂を襲撃する事件
2008年11月、インド最大の都市、ムンバイで、174名死亡、300名以上負傷という凄惨な同時爆破テロが起こり、実行犯10名のうち、パキスタン人のテロリスト1人が捕獲された後、処刑。
(「ホテル・ムンバイ」で映画化)
2019年2月、南北に分断されたカシミール地区のインド側で治安部隊を運ぶ車両部隊に1台の車が突っ込んで自爆し、44人と襲撃者が死亡すると、インド空軍が48年ぶりに管理ラインを超えてパキスタン国内イスラム過激派の拠点を空爆。

など軍事的緊張状態を続けている。
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