ナンシー関から「なまぬるいバラエティーが生んだスター」と称された中山秀征
中山秀征といえば、『シューイチ』『おもいッきりDON!』(いずれも日本テレビ系)、『クイズ・ドレミファドン』(フジテレビ系)といった番組でMCをつとめる「司会者」としてお馴染み。その少し前、90年代は『静かなるドン』(日本テレビ系)、『MMR未確認飛行物体』(フジテレビ系)などのドラマで主演を張る「俳優」としても知られていました。
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「なまぬるいバラエティー番組全盛の状況が産んだスター。テレビを見ている私には全く関係のない『(芸能界内の)しがらみ・関係性・その他諸事情』のみでスムーズに回っているブラウン管の中の和気あいあい。中山秀征はこれらの象徴的存在だ」
ナンシー関の中山秀征評
コラムニストの故・ナンシー関は、中山秀征のことをかつてこう評していました。ナンシーの言うとおり、たしかに、ヒデちゃんほど当たり障りのないタレントはいません。どんなタレントともそこそこうまく絡めて、ルックスもまあまあ良くて、気の利いたコメントも言える…。きっと低姿勢だから、スタッフ受けもいいのでしょう。すべてのバロメーターが平均点かそれよりちょっと上で、円形グラフにしたら綺麗な丸になりそうです。
しかし、それは逆にいうと、突出した要素がないということ。芸能界という一芸に秀でた者のみが集うコミュニティに籍を置き、そこでタレント(才能)と称するからには、図抜けた何かがあってしかるべきはずなのに…。特に全盛期のビートたけしを信奉し、松本人志に一目置いていたナンシーが、同じコメディアンでも、彼らのような職人気質はゼロで、どこか軽い印象のする中山に嫌悪感を抱くのは、無理もないというものです。
しかし、それは逆にいうと、突出した要素がないということ。芸能界という一芸に秀でた者のみが集うコミュニティに籍を置き、そこでタレント(才能)と称するからには、図抜けた何かがあってしかるべきはずなのに…。特に全盛期のビートたけしを信奉し、松本人志に一目置いていたナンシーが、同じコメディアンでも、彼らのような職人気質はゼロで、どこか軽い印象のする中山に嫌悪感を抱くのは、無理もないというものです。
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1985年に『ABブラザーズ』を結成
しかし、ヒデちゃんが元お笑い芸人でありながら、あまり芸人・芸人していないのにはワケがあります。というのも、彼はもともとアイドル俳優志望。コメディアンになる気など、毛頭なかったのです。それが、所属事務所であるナベプロの若手育成ライブで出会った、お笑い芸人志望の松野大介とネタみたいなことをやるようになり、いつの間にか芸の道を志すようになります。1985年には松野と『ABブラザーズ』を結成し、晴れて芸能界デビュー。結成直後、『ごきげんよう』の前身番組『ライオンのいただきます』のアシスタントに抜擢されるなど、若手のホープとして周囲から期待をかけられていました。
アイドル雑誌に特集され、写真集まで出していた
今でもとっちゃん坊や的二枚目のヒデちゃんですが、元来アイドル俳優志望だっただけあって、若い頃はベビーフェイス全開の超絶イケメンでした。相方の松野は…まぁ、まずまずといったところ。
2人は(特に中山は)テレビ映えするだけではなく、この時からトークも抜群で、小堺一機の急なムチャブリにもアドリブで難なく対応し、会場を沸かせていました。ルックス良し、トーク良しという、今でいう関ジャニ∞的な要素を兼ね備えていたために、『いただきます』放送時間に学校があるはずの女子中高生から、絶大な支持を集めたといいます。結果、アイドル雑誌にも特集が組まれるようになり、1986年7月には「A&BEAT(エイトビート)」という写真集まで発売。発売記念で行われた握手&サイン会では、ファンの女の子が数百人集まり、会場に切らなかったというから、その人気たるや尋常ではありません。
2人は(特に中山は)テレビ映えするだけではなく、この時からトークも抜群で、小堺一機の急なムチャブリにもアドリブで難なく対応し、会場を沸かせていました。ルックス良し、トーク良しという、今でいう関ジャニ∞的な要素を兼ね備えていたために、『いただきます』放送時間に学校があるはずの女子中高生から、絶大な支持を集めたといいます。結果、アイドル雑誌にも特集が組まれるようになり、1986年7月には「A&BEAT(エイトビート)」という写真集まで発売。発売記念で行われた握手&サイン会では、ファンの女の子が数百人集まり、会場に切らなかったというから、その人気たるや尋常ではありません。
そんな若者人気を見込まれて、デビューから数ヶ月で伝説的人気を誇った『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』の後継として『ABブラザーズのオールナイトニッポン』がスタート。テレビでは華のあった中山ですが、しゃべりのほうはというと当時はまだ発展途上。代わりに、相方の松野が仕切って番組を回していました。
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マルチタレント化していった中山と、あくまでお笑い芸人にこだわった松野
この世の春を謳歌していたABブラザーズにも、やがて斜陽の時が訪れます。1990年『いただきます』を卒業したあたりから、コンビとしての仕事が減少していき、人気が下降気味に。いちおうその後も2人でネタ見せ番組にもたびたび出演していたようなのですが、当時はウッチャンナンチャン、B21スペシャルといった「お笑い第3世代」が頭角を現し始めていた時期であり、もともとネタのストックが多くなかった彼らは、苦戦を強いられるようになります。
また、この頃には歌に司会に演技にとマルチタレント化していった中山と、あくまでお笑い芸人であり続けたいと考えていた松野との間に溝が生じていき、そして1992年、ABブラザーズは自然消滅的に解散することとなったのでした。
また、この頃には歌に司会に演技にとマルチタレント化していった中山と、あくまでお笑い芸人であり続けたいと考えていた松野との間に溝が生じていき、そして1992年、ABブラザーズは自然消滅的に解散することとなったのでした。
ABブラザーズ解散後は、いっさい連絡を取っていないという2人。ヒデちゃんが相変わらず芸能界の第一線で活躍しているのとは対照的に、松野は小説家・コラムニストとして活動するも、最近は「ホームレスになりそう…」と告白するなど、生活的に困窮しているようです。まったく相反する人生を歩むこの元コンビですが、果たして今後、再共演はあるのでしょうか…。
松野大介(@daisumatsu)さん | Twitter
松野大介 (@daisumatsu)さんの最新ツイート 作家・コラムニスト 横浜。64年2月川崎市生まれ。日刊ゲンダイ土日版にテレビコラム「電力ムダ遣いタレント」連載中。 元タレント(ABブラザーズ85年デビュー番組多数) 脱原発(首都圏の放射能汚染を危惧してる)ボクシングジム通いが趣味。忌野清志郎、石垣島の地ビールを嗜好。写真は引っ越したい石垣島 横浜
(こじへい)
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