西成暴動1990
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こちらが当時の映像になります。ジュラルミンの盾を持った機動隊と、火炎瓶や武器を持った労働者たちの攻防が余さず収められています。海外ではよく見られる光景ではありますが、日本という世界でも安全とされている国でこうなるのは異様とも言えます。若かりし頃の島田紳助司会者も番組内で戦慄!?
2年後の1992年10月には第23次暴動も発生!!
第22次暴動については、結局6日ほどで鎮静化したのですが、その2年後の1992年10月には第23次暴動が発生。これはバブル崩壊による就労状況の悪化が原因であり、大阪市の更生相談所の対応の不手際から、生活に困った労働者が暴徒と化しました。
このように、その派手さから今でも語り継がれる第22次暴動を経て、90年代前半には計2回の暴動が発生しました。しかしその後はまた労働者は沈静化し、再び暴動の発生しない期間が長く続くこととなります。そして流石にもう暴動は起こらないだろうと思われた2008年、西成に再び火が灯されることとなります。
このように、その派手さから今でも語り継がれる第22次暴動を経て、90年代前半には計2回の暴動が発生しました。しかしその後はまた労働者は沈静化し、再び暴動の発生しない期間が長く続くこととなります。そして流石にもう暴動は起こらないだろうと思われた2008年、西成に再び火が灯されることとなります。
2008年、久々に暴動が発生!!
第23次暴動から16年が経過した2008年6月、21世紀における日本最初の暴動として名高い第24次暴動が発生しました。これは飲食店における労働者と店員のトラブルが発端であり、警察が労働者に対し「始末書を書かなければ生活保護を打ち切る」と脅したことから問題に発展。そして西成署前に労働者が多数集まり、一触即発の事態となりました。
西成署には花火などが投げ込まれ、警察官が複数負傷する事態となったものの、釜ヶ崎の労働組合の委員長が逮捕されたことで暴動は沈静化。1990年の第22次暴動のような過激な事態とはなりませんでした。
西成署には花火などが投げ込まれ、警察官が複数負傷する事態となったものの、釜ヶ崎の労働組合の委員長が逮捕されたことで暴動は沈静化。1990年の第22次暴動のような過激な事態とはなりませんでした。
第24次暴動の一コマ。
via ja.wikipedia.org
このように、21世紀に入ってもなお暴動が発生する西成・あいりん地区。都構想により「西成の名前が消える」といった話もありますが、日本社会の一側面を垣間見ることが出来る縮図として、個人的には名前を残しておいてもらいたい場所ではありますね。
via ja.wikipedia.org
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