ディストピア小説「1984年」の影響
ベースとしてあるのはジョージオーウェルの1984およびその映画版だと監督のテリーギリアムも語っている。
1984ではビッグブラザーのもと情報統制化社会で国家の意向により情報は削除、捏造され個人の自由、知る権利、プライバシー権は一切ない世界を描いていたが、今作未来世紀ブラジル(以降ブラジル)ではビッグブラザーのような独裁者は存在せず政府としての形があるのみ。
また1984では終始重苦しい雰囲気でおまけにラストはビッグブラザー万歳なんて調子だから救いようがなくあまり人気がない。
しかしブラジルではさすがはモンティパイソンクルーのテリーギリアム監督だけあってクスッと笑えるブラックユーモアが満載でラストの救いようのなさは同じくあるが(社会風刺作品なのでそれは避けられない)幾分楽しんで見られる。
ディストピアSF 「メトロポリス」との差別化も!?
題材としてはラングの「メトロポリス」を彷彿させるが、ギリアムはコミカルと暴力を混在させた独自の演出により差別化に成功。
やがて犯罪者として洗脳されていく主人公の恐怖を、夢と現実を交錯させ、生々しくも幻想的に描き出している。忘れた頃に現われるデ・ニーロ扮する修理屋の使い方も的確で、作品に広がりを与えている。
「未来世紀ブラジル」以外にも、「ブレード・ランナー」や「天空の城ラピュタ」、手塚治虫の「メトロポリス」等数々の作品に影響を与えたと言われているフリッツ・ラング監督の「メトロポリス」。
1926年の作品。
その当時に考えられた100年後の未来都市。
「未来世紀ブラジル」同様、徹底的な管理社会をテーマにした物語です。
1926年の作品。
その当時に考えられた100年後の未来都市。
「未来世紀ブラジル」同様、徹底的な管理社会をテーマにした物語です。
舞台装置としての「ダクト」の存在感
ダクトは社会階級の構造のモチーフにもなっている。
労働者階級のバトルの家庭では、家族は日々の活動を邪魔するダクトをよけながら暮らさなければならない。
サムの家ではダクトは見えないが、その存在は常に(故障時などは特に)意識せざるを得ない。
記録省ではダクトは環境の一部として目に見えるが、従業員の頭上にある。
情報省ではダクトはまったく存在しない(このことが最も顕著な特徴である。貧困と無力さはダクトの侵襲性と反比例する)。
そして、すべてのダクトの末端は、独裁的な情報省に繋がっている。
via pds.exblog.jp
「ダクト」に見られるテリー・ギリアムの反抗心
きっかけは母国アメリカでの抑圧
テリー・ギリアムは1940年、アメリカのミネソタ州で生まれ、多感な青春時代をカリフォルニアで過ごしました。
そこでテリー・ギリアムは、戦後の冷戦時代に伴う赤狩りとその後のベトナム戦争の苛烈な反対運動の制圧を経験します。
体制側の無慈悲な鎮圧、そしてジャーナリズムの暴走。その経験で心底アメリカという国が嫌いになったテリー・ギリアムはイギリスへと渡り国籍を取ります。
まがいなりにも自由と平和を謳歌する国が、実のところその体制は、アメリカという国自体も、ハリウッドという映画社会の中においても、お上が偉い、独裁国家、独裁主導のそれと変わりないですよということ。
その象徴的な存在が、この映画における、ダクトの存在です。
映画の中では、色とりどりの色彩豊かなむき出しのダクトが、いたるところで出てきますが、このダクトで中央政府(国)は、国民に水道やらガスや電気や空調などの設備・資源を供給してますが、ダクトがなければ、(政府に頼らなければ)人間は生きていくことも出来ない、しかし、そのダクトがどのような仕組みになっているのかも知らず、故障すれば、また政府の許可を得た上で修理してもらうしかない。
という、現代社会においての一人では生きることができないという脆さを、このダクトがメタファーとして強調しています。
しかし、そんな体制管理の中に置かれるのを嫌う男がいます。
国的にはテロリスト以外の何物でもない危険な人物なですが、それがロバート・デ・ニーロの演じたタトルという黒ずくめのもぐりのダクト修理工であり、反政府テロリストです。
タトルは、アメリカで色んな苦渋を舐めてきて、真っ向から反抗してきたテリー・ギリアム監督自身の投影です。
タイトルに「ブラジル」が付けられた真相
実は、この映画で通して流れる曲のタイトルが『ブラジルの水彩画(Aquarela de Brasil)』なのです。これは、ブラジルの作曲家アリー・バロッソ(バローゾ)が、1939年に発表したもので、ブラジルのご当地ソングのような、この世の楽園であるブラジルを歌った歌詞が付いています。この映画に使われている時点で、それもまた何て皮肉なのでしょうか。
これはテリー・ギリアムがイギリス、ウェールズにある鉄鋼の街ポート・タルボットを訪れた際、何もかもが灰色のこの街で美しい日没を眺めていると、どこからともなくこの『ブラジルの水彩画』が流れて来て「音楽に導かれて現実ほど陰鬱でない世界」を思い浮かべた、事がイメージの発端となりました。
また、この『ブラジルの水彩画』のベースラインが『007のテーマ』と似ている、と言う事から、サムが地下鉄に乗るシーンのバックに『007のテーマ』が流れているの、見た方は気がつきましたか?
Aquarela do Brasil, aka "Brasil!" Ary Barroso, 1939! - YouTube
「ブラジルの水彩画」
via www.youtube.com
映像にはオマージュも見られた!
階段を床磨きマシンが落ちていくシーンは映画『戦艦ポチョムキン』で有名な「オデッサの階段」の乳母車が階段を落ちていくシーンのオマージュである。
ストーリー中盤、主人公サムの前に、甲冑を着けた巨大な「サムライ」が立ちはだかる。サムがサムライを倒して、甲冑を外すとその顔はサム自身の顔であった。
実はこれはジョークであり、その心は「Sam,You Are I(サム、お前は俺だ)」を短く発音すると「サムライ」になることからきている。
また、『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』における同様のシーンのオマージュにもなっている。
サムが劇中移動手段として使う車はメッサーシュミットKR175をベースにしている。
他にも、ローアングルで撮影された情報省の無数にいる役人達のシーンは、スタンリー・キューブリックの映画「突撃」へのオマージュとも言われています。
また、「サムライ」が出てくるシーンは、テリー・ギリアム監督自身、黒澤明の「七人の侍」が好きという事もあり、黒澤明へのオマージュではないかとも噂されていますね。
また、「サムライ」が出てくるシーンは、テリー・ギリアム監督自身、黒澤明の「七人の侍」が好きという事もあり、黒澤明へのオマージュではないかとも噂されていますね。
早川書房