80、90年代国民栄誉賞受賞者を振り返る
2017年3月21日 更新

80、90年代国民栄誉賞受賞者を振り返る

政治の人気取りなんて揶揄する声もあるが、やはり国民栄誉賞は、その名の通り栄誉なもの。次は誰が取るかなんて話題になると十人十色白熱しそうですね。そこでここでは80年代、90年代に国民栄誉賞に輝いた英雄たちを紹介します。

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80、90年代国民栄誉賞受賞者を振り返る

政治の人気取りなんて揶揄する声もあるが、やはり国民栄誉賞は、その名の通り栄誉なもの。次は誰が取るかなんて話題になると十人十色白熱しそうですね。そこでここでは80年代、90年代に国民栄誉賞に輝いた英雄たちを紹介します。
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国民栄誉賞(こくみんえいよしょう)は、日本の内閣総理大臣表彰のひとつ。賞の運用は1977年(昭和52年)に定められた国民栄誉賞表彰規程に従って行われ、当時の首相・福田赳夫により創設された。これまでに23人と1団体が受賞している。

なお、内閣総理大臣や政権による表彰としては、本賞成立以前の1966年(昭和41年)に当時の総理大臣・佐藤栄作が創設した「内閣総理大臣顕彰」がある。

長谷川一夫(1984年受賞)

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職業:俳優
受賞年齢:満76歳没の18日後
受賞理由:演劇・映画界への貢献
代表作:銭形平次シリーズ
長谷川 一夫(はせがわ かずお、1908年2月27日 - 1984年4月6日)は、日本の俳優。旧芸名に林 長丸(はやし ちょうまる)、林 長二郎(はやし ちょうじろう)。愛称は長さん。

戦前から戦後にかけて、二枚目の時代劇スターとして活躍し、同時代の剣戟俳優である阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。歌舞伎界から松竹に入り、松竹時代劇の看板俳優となった。その後東宝、大映と移り、300本以上の作品に出演。舞台やテレビドラマでも大きな活躍を見せており、晩年には宝塚歌劇『ベルサイユのばら』の初演で演出を行った。没後、俳優初の国民栄誉賞を受賞。

植村直己(1984年受賞)

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職業:冒険家
受賞年齢:満43歳没の2ヶ月後  ※遭難のため、認定死亡
受賞理由:世界五大陸※最高峰登頂
功績:ヨーロッパ(モンブラン)、アフリカ(キリマンジャロ)、南アメリカ(アコンカグア)、アジア(エベレスト)、北アメリカ(マッキンリー:現デナリ)の五大陸最高峰を世界で初めて登頂成功
植村 直己(うえむら なおみ、1941年(昭和16年)2月12日 - 1984年(昭和59年)2月13日頃)は、日本の登山家、冒険家。兵庫県出身。1984年に国民栄誉賞を受賞。

山下泰裕(1984年受賞)

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職業:柔道家
受賞年齢:27歳
受賞理由:柔道界への貢献・記録達成
功績:ロサンゼルス五輪でのケガをおしての金メダルで日本国民じゅうが感動を呼んだ
山下 泰裕(やました やすひろ、1957年6月1日 - )は、日本の柔道家(八段)。

熊本県上益城郡山都町(旧矢部町)出身。東海大学卒業。同大学大学院体育学研究科修士課程修了、東海大学大学院体育学研究科博士課程修了、体育学博士。東海大学体育学部教授(1996年 -)、体育学部学部長(2009年4月 - )、副学長(2011年10月 - )。


同大学柔道部監督。柔道指導員、日本オリンピック委員会理事、全日本柔道連盟理事・副会長・強化委員長、日本オリンピアンズ協会理事。過去に、全日本柔道男子強化ヘッドコーチ(1992年 - 2000年)、男子強化部長(2000年 - 2004年)、強化副委員長(2004年 - 2008年)、国際柔道連盟教育コーチング理事(2003年 - 2007年)、神奈川県体育協会会長などを歴任。

引退から逆算して203連勝(引き分け含む)、また対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)という大記録を打ち立てた。1985年6月17日引退。血液型はA型。国民栄誉賞を受賞。

衣笠祥雄(1987年受賞)

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職業:プロ野球選手
受賞年齢:40歳
受賞理由:連続試合出場世界記録達成
功績:鉄人・衣笠として今も語り草となっている
衣笠 祥雄(きぬがさ さちお、1947年1月18日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)。現在は野球解説者・野球評論家・タレント。所属事務所はキャスト・プラス。広島東洋カープオーナー付スタッフ。京都府京都市東山区馬町出身。愛称は「鉄人」。国民栄誉賞受賞者。息子は俳優の衣笠友章。

連続試合出場記録日本記録・世界2位記録、連続フルイニング出場歴代3位、通算安打数歴代5位、通算本塁打数歴代7位(通算504本は張本勲とタイ)の記録保持者。赤ヘル打線の主砲として1970年代後半から1980年代の広島カープ黄金時代を築き上げる原動力となった選手の一人である。
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