石井慧! オリンピック金メダル獲得後、石井節炸裂!!「屁のツッパリにもなりません」「ウツでも金」福田康夫首相は「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ政治家として人気が出ない」
2024年7月21日 更新

石井慧! オリンピック金メダル獲得後、石井節炸裂!!「屁のツッパリにもなりません」「ウツでも金」福田康夫首相は「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ政治家として人気が出ない」

山下泰裕が持っていた全日本選手権最年少優勝記録を破り、井上康生、鈴木桂治、棟田康幸とのライバルに競り勝って北京オリンピックに出場し、金メダル獲得。「屁のツッパリにもなりません」「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ、政治家として人気が出ない」

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石井慧は、大阪市と京都市の中間、大阪府茨城市で生まれ、約4㎏(3950g)という巨体は、高校教師をしている両親が用意していた靴が入らず、その後も桁外れの体重の増え方を示した。
共働きの両親に代わって昼間は祖母、淑子が世話をしていたが、4歳の石井慧が保育園に入って3ヵ月後、保育士とケンカして、
「やめさせてもらいます」
石井慧の物怖じしない、思ったことをいい、我が道を行く性格は、おばあちゃん似だという。
家族で海に行ったとき、水中メガネでみる海の生物にすっかり魅了され、海に顔をつけたまま、はるか沖までいってしまい、家族はあちこちを捜索。
「夢中になるとなにもみえなくなるです」
(母、美智子)
普段は非常に財布の紐が固い石井慧だが、夏祭りでカブトムシやクワガタを売る屋台を発見すると5000円を握り締めて購入し、ベランダをケースでいっぱいにして楽しそうに育て、京都の田舎にある母、美智子親の実家にいくと、同級生より3回りくらい体が大きい体で肉食獣のように虫、魚、動物を追いかけた。

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父、義彦、義彦は、高校から柔道を始め、日体大に進学。
卒業後、高校で体育教師と柔道部の顧問をしながら、修道館(大阪城公園内にある柔道場)でも柔道を教えた。
母、美智子も日体大出身の体育教師で元ハンドボール日本代表。
日体大の先輩後輩である2人は同じお好み焼き屋さんに通っていて、店のおばちゃんが母、美智子に
「いい人知ってるし、紹介するわー」
といって引き合わさせたのがきっかけ。
父、義彦、義彦は、
「とにかく骨太にしたい」
と石井慧に、納豆、海苔、じゃこ、野菜たっぷりの味噌汁、そして茶碗のご飯を小指ほどに握り締めた握り飯を食べさせた。
礼儀には厳しいが、勉強ができなくても怒らず、自分が中学生の頃から集めてきた切手シートを息子と娘がちぎって遊んでいるのをみたときも怒らずに寝込んだ。
また決して強制はせず、実は柔道をさせたくて、石井慧に柔道着のパジャマを着せ、修道館にもつれていったが、無理に練習させたり、柔道着も着させることもなく、好きに遊ばせた。
家では、さりげなく柔道の試合をみたり、柔道や格闘技関係の本やマンガをリビングに置き、石井慧が
「野球がしたい」
というと
「人が投げたボールを棒で打って拾いにいかせるんやぞ。
お前、そんなことやりたいんか?
男は1対1やろ」
というなど、さりげなく誘導し、
「柔道がしたい」
というのを待った。
強制はしないが、諭すのはうまく、飼い犬の散歩にいかない石井慧に
「お前が散歩に連れていかんかったら、この子はオシッコができひん・・・」
と物語風に語りかけ、情にモロい石井慧は、最後には泣き出し、散歩に出かけた。
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茨木市立大池小学校で、石井慧は体は大きかったが、運動音痴で競走ではビリ。
野球でバットを振ってもボールと数十cm離れ、Jリーグがブームになり友達とサッカーチームを結成したとき、ゴールキーパーになったが、あまりの下手さに
「明日から来んでいい」
といわれた。
一方、妹、愛は、スポーツ万能で、初めてスケート場にいったとき、スイスイ滑ったが、石井慧は母、美智子の腰にしがみついて離れることができなかった。
「混ぜるな危険と書いてある洗剤をみると混ぜたくなる」
という石井慧は、比較的、理科が得意だったが、基本的に勉強はできず、近所の塾に入ったが、あまり真面目に勉強せず、塾から苦情が出てやめることに。
母、美智子が
「お世話になりました」
と頭を下げる横で、
「こんなところでやってられるか、ボケ」
といい、後でハタかれ(殴られ)、より厳しい個別指導の塾に入れられた。
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父、義彦の密かな願いと誘導のかいあって、石井慧は小学校4年生から柔道を開始。
練習は週2回。
火曜と金曜の夕方から1時間半、市の体育館で行われた。
茨城市内に柔道部がある中学校で3校だけで、小学校だけで終わるケースが多く、この道場も礼儀と体力をつけさせるような練習内容だった。
石井慧は、この道場で目立つ存在ではなく、むしろ一緒に入った妹、愛のほうが、そのセンス、バネ、技のキレで指導者を驚かせた。
父、義彦は、柔道のほかにも水泳やラグビー、ハンドボールなどなんでもでき、全日本サンボ選手権大会(1979年8月、第8回大会、 90kg級)で優勝したこともあった。
しかし
「ピカイチじゃなかった」
という。
「だからこそ慧には器用貧乏になって欲しくなかった」
とドンくさい息子に、まず

・片足でかけるのではなく両足でかける体落し
・小技として支え釣り込み足
・右利きだったが左組み

を教えた。
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石井慧は、柔道の動きや技を習得するのに人の倍以上の時間がかかったが、父、義彦は、
「メッチャ上手になったやん」
とウソをつく罪悪感に耐えながらほめ、
「いい意味でスキンシップ、悪くいえば身体検査」
とマッサージしながら体の大きさや筋肉をチェック。
よく鍋料理をつくって野菜、魚肉を多く食べさせ、チャーハンには、たくさんの種類の野菜を小さく刻み、ご飯と同じくらい投入。
石井慧は
「飲めるだけ飲め」
といわれ、牛乳を飲めるだけ飲んで吐き出した。
父、義彦親の影響で料理に興味を持ち、大きくなると
「オムライスは、フライパンでケチャップを炒めて水分を飛ばしてからご飯を入れるとパラパラになる。
卵は白身と黄身を分けて、白身は思い切り空気を入れて泡立て、黄身は潰す程度で混ぜて焼くとフワッとなる」
というほど上手になったが、この頃は中華料理風に炒めた卵とニンジンを
「ウンパオ!」
と名づけて食卓に出したが、ニンジンが生のままで不評だった。
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石井慧が小学校5年生のとき、父、義彦は、強豪、清風中学をお受験させることを決意。
スポーツ推薦はなく、純粋に学力で入るしかないが、
「携帯電話持ち込み禁止」
「頭髪は刈り上げ指定」
など生活指導に厳しい私立中高一貫校の偏差値は63。
上位10%、40人のクラスで4番以内に入る成績でなければ難しい。
父、義彦は進学塾に入れようとしたが、塾の講師は石井慧の成績をみて、
「無理です」
といった。
父、義彦は
「最初からそんなこというてどないするんじゃ。
落ちても文句はいわんし、家でも勉強をやらせるから」
とゴリ押し。
以後、2年間、石井慧は、平日は学校が終わった後、22時まで、休日は9~22時まで塾で勉強。
しかしなかなか成績は上がらず、塾のテストでいい点を取ると講師にカンニングを疑われたり、
「清風に合格できたらハワイ旅行、プレゼントするわ」
といわれたりしながら通い続け、周囲には
「オレ、清風にいくねん」
小学校6年生になると160cm、85kgになったが、勉強だけしていたのでクラスの自分より背が高い女子に腕相撲で負けた。
中学受験は、小学6年生の1月に終了。
小学校の卒業アルバムには
『自分の夢は?』
「柔道でオリンピックに出たい」
『もしも生まれ変わったら?』
「今よりも強くなりたい」
『もし魔法が使えたら?』
「悪魔と友達になる」
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1999年、石井慧は清風中学に進学し、石井慧は、茨城市から大阪市天王寺まで電車通学を開始。
同級生の柔道部員は6人だけ。
いずれも小学校から本格的にやっている猛者ばかりで、中には全国大会で上位に入った者もいた。
当然、石井慧は1番弱かったが、とにかくサボらなかった。
例えば打ち込みを100回やるとき、速い人は5、6分で終わってしまう。
そのとき石井慧は、まだ20~30本残っていたが、最後まで手を抜かずにやった。
同級生に投げられたり、寝技で負けても
「これで1つ強くなった」
と前向きに考え、練習を続けた。
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高野山真言宗の教えをベースに仏教の教えも学校教育に取り入れる清風中学では、般若心経を唱えたり写経を行い、食事のときは
「水一滴にも天地の恵がこもっております。
米1粒にも万人の力が加わっております。
ありがたくいただきます」
と挨拶する。
いいと思ったことは必ず実行する石井慧は、家でも
「米1粒も残してはいけない」
と思うあまり、食べ過ぎて吐いた。
学校で
「電車の中ではお年寄りに席を譲りなさい」
といわれると早速、実行。
しかし譲ったのは、それほど高齢ではない女性で、少し心外な表情。
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体育の授業が終わった後、教室に戻ると学生ズボンがない。
探したがみつからず、石井慧は半パン姿で阪急電車に乗って帰宅。
祖母、淑子が
「どうなっとるんや」
とクレームを入れると、教師は学校中を探し、体育館の倉庫のマットの間に隠されてあったズボンを発見。
おそらくデブで弱い石井慧に対する陰湿な行為だったが、その後、精神的にも肉体的にもたくましくなっていき、誰もそんなマネはしなくなった。
そしてそれに伴い勉強の成績は低下。
母、美智子は担任に
「受験の貯金が切れてきましたね」
といわれた。
父、義彦は、高校の勤務が終わると清風中学にいって練習が終わった石井慧を連れて、実業団や大阪拘置所、修道館などで稽古。
そして史上最強の柔道家といわれる木村政彦の言葉、
「3倍努力」
やゴッドハンドといわれた空手家、大山倍達の言葉
「技は力の中にあり」
を自分が思いついたように教え、たとえ相手が自分より小さくても、釣り手を上から持つことを禁止し、基本通り、相手の鎖骨の辺りを握り、
「下から下から」
と下からいく柔道を指導。
ある日、修道館で練習していた石井慧は、柔道を始めたばかりの大人に乱取りを申し込まれ、ほぼ素人の相手を投げることができず、思わず、
「チッ」
と舌打ち。
すると父、義彦が
「お前なにやっとるんじゃ!」
と激怒。
「お前はあの人の半分も生きていない。
そんな人からお願いされて、一生懸命練習をやっておられるのに・・・」
石井慧は泣きながらその人に謝りにいった。
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