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経歴
母国チリのコブレサルで頭角を表し、1990年にスペインのセビージャに移籍、1992年にレアル・マドリードに加入、マドリードでキャリアの全盛を迎える。
1994/95シーズンには28得点を挙げ念願の得点王に輝いた。
世界一危険なストライカーとして名を知られるようになったサモラノは、1996年、鳴り物入りでインテルに移籍。
しかし彼はカルチョの世界で徐々に輝きを失っていく。
1996/97シーズンは僅か7得点でシーズンを終え、インテルで迎えた最後のシーズンとなる2000/01シーズンまで10得点以上を記録したシーズンは皆無だった。
現役生活最後のクラブは母国チリの名門コロコロ。
2003年7月18日に引退を表明し、第2の人生にユニセフの親善大使の職を選んだ。
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所属クラブ
1985~1988年
「コブレサル」
1988~1989年
「FCザンクト・ガレン」
1990~1992年
「セビージャFC」
1992~1996年
「レアル・マドリード」
1996~2000年
「インテル」
2000~2001年
「クラブ・アメリカ」
2001~2003年
「CSDコロコロ」
「コブレサル」
1988~1989年
「FCザンクト・ガレン」
1990~1992年
「セビージャFC」
1992~1996年
「レアル・マドリード」
1996~2000年
「インテル」
2000~2001年
「クラブ・アメリカ」
2001~2003年
「CSDコロコロ」
チリのクラブ「CSDコロコロ」。かわいい名前ですね。
クラブ名の由来は、かつて侵略l国(スペイン)への抵抗を続け、結局降伏しなかったマプチェ族の首長の名前から取っているそうです。
実はかっこいい名前でしたね。
クラブ名の由来は、かつて侵略l国(スペイン)への抵抗を続け、結局降伏しなかったマプチェ族の首長の名前から取っているそうです。
実はかっこいい名前でしたね。
突出した活躍 「レアル・マドリード」時代
via divnil.com
92/93シーズン、サモラーノはレアル・マドリードに移籍、ゴールを量産、いきなり26ゴールを挙げる。
翌93/94シーズンはバルダーノ監督の信頼を得ることができず、ベンチを温める時間が長くなる。
しかし94/95シーズン見事に復活。
宿敵FCバルセロナから移籍してきたM・ラウドルップ、超新星ラウールそしてアマビスカらと強力攻撃陣を築き、
自ら28得点を挙げ得点王になるとともに5シーズンぶりにリーグ制覇をもたらした。
W杯 「ササコンビ」
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コンビの力
チリの4大会ぶりの出場となったフランスW杯に出場し、マルセロ・サラスとの「Za-Sa(サ・サ)コンビ」で同国をベスト16へと導いた。
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国歌斉唱
ことの始まりは1998年のフランスW杯の大陸予選の時だった。
当時チリ代表をけん引していたイバン・サモラノとマルセロ・サラスの『ササコンビ』。
そのFWサラスが毎回短く切られてしまう国歌斉唱に対し、「国歌を切るなんて失礼極まりない、けしからん」と発言をした。
そのことがきっかけになり、ファンが率先して伴奏が終わっても歌い続けるようになったのである。
それを受けてか、本大会ではロングバージョンの国歌が使われた。