親子鷹だった「パオロ・マルディーニ」
親子でACミランに在籍
チェザーレ・マルディーニを父に持つ。10歳で父が主将として活躍したACミランのユースに入団。
1984年16歳でACミランのトップチームに入り、’85年1月20日のウディネーゼ戦でセリエAにデビューし、同年中に左サイドバックのレギュラーを獲得。
’97年のフランコ・バレージ引退後は主将としてチームを支える。
史上最高の左サイドバックと評され、ミランの象徴とまで呼ばれた選手。
そのサッカー人生の全てをACミランに捧げ、25年間という長きにもわたりミランのバンディエラ(旗手)としてチームを支え続けた。
ちなみに、パオロ・マルディーニの息子もACミランに入団しました。しかもDFです!
これで三代に渡ってACミランは、マルディーニ一家に守られる事になりましたね(笑)
是非、大成してほしいです。
これで三代に渡ってACミランは、マルディーニ一家に守られる事になりましたね(笑)
是非、大成してほしいです。
24年間に及ぶキャリアの中で、イタリア代表としても126試合に出場。アズーリでワールドカップやEURO優勝のトロフィーを掲げることはできなかったが、94年と2000年に二度の準優勝を経験した。
主将を務めた2002年の日韓ワールドカップを最後に代表を引退。
ワールドカップでは、史上最多2217分の出場時間、23試合ものフル出場試合数(最多)を達成しました。
チームが勝ち進まなければ試合時間や試合数は増えません。
強豪チームにあって不動のDFリーダーを務めた事が、彼の実力がチームに還元され、勝ち進んだ事を物語っています。
ワールドカップでは、史上最多2217分の出場時間、23試合ものフル出場試合数(最多)を達成しました。
チームが勝ち進まなければ試合時間や試合数は増えません。
強豪チームにあって不動のDFリーダーを務めた事が、彼の実力がチームに還元され、勝ち進んだ事を物語っています。
ACミランでの数々の栄光
ユースの頃からのミラン育ちであり、そのチームメートはファンバステン、ライカールト、フリット(グーリット)のオランダトリオに始まり、パパン、サビチェビッチ、ボバン、バッジョ(バッジオ)、ウェア、ビアホフ、シェフチェンコと世界最高級の攻撃選手が揃っていたため、自ずとその才能に磨きがかかったのだろう。
ミランでのキャリアはタイトルに恵まれたものだった。セリエAで優勝7回、チャンピオンズカップ(リーグ)で優勝5回という数字は間違いなく殿堂入りに値するものだ。
プレーヤーとしての評価
センターバックとしてプレーしているが、本来左サイドバックの選手であるため、守備はもちろん、攻撃力や走力にも極めて高い才能を持ち合わせていた。
あのカペッロ監督が『ダビデの彫刻』と言った美しく強靭な肉体を誇り、元フランス代表キャプテンでチームメートだったドゥサイイーは『パオロは全能だ。彼は全てを持っている』と手放しの賞賛を惜しまない。
彼の功績と評価は引退後の現在も変わることはなく、2013年7月、『ワールドサッカー』誌が、世界各国の記者や監督、元選手の投票で各ポジションの歴代最高選手を選出した際に、左サイドバックのポジションとして選出された。
尚、イタリア人から選ばれたのは唯一マルディーニのみである。
そして全体の得票数では、フランツ・ベッケンバウワー、ディエゴ・マラドーナ、ヨハン・クライフ、ペレに次いで5番目の得票数であった。
元ブラジル代表のロナウドは現役時代に対戦したDFの中で最高のDFはマルディーニだと述べている。
ピークを過ぎて尚、優れた力を堅持、ディフェンス力・統率力は素晴らしい。
数多くのビッグゲームをこなしてきただけあって、非常に経験豊富。
DFの要として信頼出来るサッカー選手だ。